立てば芍薬、座れば牡丹、歩く貴女は百合の花
甘雨夜深
青春と間瀬
「死にたいって本気で思ったことある?」
真夏の夜に打ち上がる花火の音で周囲の音が打ち消えていく中、彼女の言葉だけがしっかりと僕の中で響き渡る。
何かの聞き間違いでは無いかと、戸惑う僕を押さえつけるかのような強い意志を持った鋭い彼女の眼差し。そして、その目から花火の光を反射する虹色の雫がホロりと静かに流れ落ちていった。
二日前
体育館独特のシューズと床が擦れる音がそこら中で鳴り響く。
オレンジ色のゴムボールがコートを自由に動き回って、最後は放物線を描いてパスっとネットの中を潜り抜けた。
喜びの声と悔しがる声が入り混じる空間をステージ上に座って見ているだけの僕は、まるでこの人たちは別世界の人間なのかと思う。
本当は痛くもなんともないお腹を擦りながら、ボールの動きを目で追っていると、隣で横になっている間瀬が口を開いた。
「なぁ。屋上行かね?」
間瀬が突然意味の分からないこと言うのはいつも通りなので、もう驚かない。
「授業サボってさ」
恐らく、仮病で体育を見学している時点で僕らは周りから見れば、今でも十分サボっていると言う分類に入っている思う。
別に僕も間瀬も体育が極端に苦手なわけではない。ただ『面倒臭いから』それだけの理由で僕たちは高校の体育をほとんど見学だけで終わらせていた。我ながら馬鹿みたいな理由だと思う。情けないとも感じてはいる。
そんな学校社会のクズの片割れが屋上に行きたいんだなんて、一体どんな理由か。
「なんで?」
「……なんか、青春っぽいじゃん」
お互い目を合わせないので少しの間、沈黙が続く。ボールがリズム良く跳ねる音と歓声と少しばかりの罵声が僕らを無作為に包み込む。
「お前、もしかして本当に頭痛いの?」
「いや。超元気」
「……だよな」
「別に屋上行きたいって思っても良いじゃん」
「そこは別になんとも思ってないから。そこより、何で急に『青春』とか痛いこと言い出したわけ?」
「……実は俺、好きな人に振られた」
またシュートが入ったようで歓声と拍手が響く。俺も適当に合わせて乾いた音を数回鳴らす。
「それで?」
正直、心の奥は凄く焦っていた。さすがに話がいきなり過ぎる。
それでもまだ、目は合わせなかった。むしろ今の間瀬の顔はなんとなく見たくなかった。
「告って振られたとかそういうわけじゃないんだけど。なんか間接的? っていうのそんな感じ」
「うん」
「まぁ、その子のさ、いわゆる匂わせのストーリーってやつ? 見たらなんか、萎えた」
結構ダメージデカかったって言いながら笑っている間瀬の声が聞こえるけど、きっと顔は笑ってないんだと思う。
「んで萎えまくってたらさ。そうだ、青春しよう。って思った。恋愛以外の」
「ようは気晴らしをしたいんだな」
そゆこと、と言いながら指パッチンを鳴らす間瀬。
「でも、うちの学校、屋上空いてないけど」
「知ってた。でも俺の頭じゃこれしか青春っぽいの出てこなかった」
「随分容量の少ない頭だな」
「だからさ、なんかいい案無い?」
「無い。そもそも『青春』なんて僕には無縁過ぎる。それに第一、僕と間瀬はそんな一緒に青春を謳歌するような友達関係じゃない」
「お前の言いずらいことをズバって言えるとこ好き」
「お前に告白されても嬉しくない」
ケラケラと笑う間瀬の声はやっぱりいつもと違ってどこか悲しい音が混じっている。
「そうだ。スポーツとかは?」
「そもそも体育の授業をサボっている奴が言うか?」
「それもそうだな」
早くこの時間が、体育の授業が終わらないかと思って、何度も時計を確認するけど、針は一向に進まない。
「あー、でもやっぱ。スポーツ良いな。彼女を甲子園に連れて行くとか最高に青春じゃん」
「じゃあ野球やんの?」
「やんない。あれは俺が生きる世界とは別世界の種目だ。髪も切りたくないし」
「あっ、そ」
「……夢を追いかけるのも青春か」
「夢は?」
「彼女が欲しい」
「結局恋愛じゃん」
「だーな。……」
時計の針はほんの少ししか進んでいない。
「もう、残り五分かよ」
どうやらコートで必死に輝こうとしている人間と、僕のようにそのレーンから外れ、堕落している人間とでは時間の感覚が違うらしい。
「青春ってなんなんだろう。普通の青春ってなんだろう」
遂に間瀬が壊れたロボットのように呟き始めた。
普通か。確かに普通の青春ってなんだろう。
「久保はさ、彼女作らないの?」
「なに? 嫌味? 作らないんじゃなくて作れないの」
「でも、幼なじみの子いるじゃん」
一瞬小さい頃から見慣れたあの顔が頭の中に流れてきたが、すぐにかき消す。
「アイツは違うから」
「とか言ってそのうち付き合うんだろ。良いよなあの子。梓ちゃんだっけ? 可愛いよな。男子にも結構人気あるんだぜ」
「へー、」
「そう! んでそのうちお前と付き合ってストーリーに上げて、俺みたいに間接的に傷つく奴が産まれるのさ」
「ねぇ、いつまで言ってるわけ。それに梓のストーリーで間瀬みたいな人間は生まれないから。絶対に」
妙な沈黙がしばらく続くと、間瀬が急に起き上がって俺の顔を見つめた。さすがに傷ついている人間に言い過ぎたか。いや、これはしつこい間瀬が悪い。
「なんだよ」
間瀬の顔はやはり元気の無い顔だった。それに間瀬の眼鏡のレンズから見えるアイツの目はどこかほんのり赤かった。
「お前は俺みたいに勝手に後悔すんなよ。普通の青春しろ」
そもそも普通の青春が何か分かってない奴のアドバイスも勝手な同情も迷惑なだけだ。
「分かったから、ずっとこっちを見つめんなよ」
さっきから待ち望んでいた音色が学校中に鳴り響いた。
それから教室に戻った後は間瀬とは一切言葉を交わさなかった。別に、毎回の休み時間毎に話すような親しい中では無いし、僕は一人の方が気が楽だ。
いつも勝手に変に絡まれているだけ。
『青春』なんて言葉の対義語の世界で僕は卒業までひっそりと過ごす。
「お祭りそろそろだね」
五時間目の休み時間。教壇の方で話す女子達の声が聞こえる。本の続きを読みたいのに、昼間の間瀬のせいで、何故か女子の会話に敏感になる。
「今年どうする?」
「みんなで一緒に行こうよ」
「あっ、ごめん。今年は彼氏と」
「うわ、リア充じゃん」
「いいな。青春したい」
一人の彼氏持ちの周りに間瀬みたいな『青春』に飢えた人が群がっている。そんなに『青春』とやらがしたいのか。もし、その考えが普通だと言うのなら、僕はもう周りが間瀬にしか見えない。
ヒト科 間瀬属 名字 名前
そんな風に見えてくる。
そんなアホなことを考えていると、制服の右ポケットに入れたスマホがヴァイブレーションを二回鳴らして揺れた。
一回はゲームとかの通知。
二回はメッセージの通知。
普段、公式くらいからしかメッセージの来ない僕だが、あいにく公式からメッセージは通知を切っている。つまり、誰かから通知がきたということになる。だいたい予想がつきながらロック画面を見る。
間瀬:お前も梓ちゃん誘って祭り行けよ
もはや返信する気も失せ、既読も付けないままポケットにスマホを入れようとすると、握ったまま、また二回ヴァイブレーションが鳴る。
今日本当にしつこいな。と呆れながらロック画面を開くと
梓:六時間目を保健室でサボることに決定! 晴人も暇だったらおいでね
別に誰も見やしないのに、急いでスマホをポケットの中に入れた。何故か隠したくなった。隠さなければ恥ずかしい思いをすると予感した。僕を相手にする人は誰もいないのに。
「どうしたんだ久保」
いや、一人変わり者が居た。席に座っていればいいのに、わざわざこっちに来ることないだろ。
「そんなに慌てる内容だったか? 祭り誘えってだけだぞ」
お前じゃないって言うのもなんだか面倒くさくて、僕は無言で睨みつけたまま、間瀬に向かって静かに中指を立てた。
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