頭をかくとき 中

 ここは、どこだろう。

 私は、誰だろう?


 真っ白な病室、知らない人。

 そして、知らない男の子。



 私は一体、誰なんだろう。

 何者なんだろう。

 頭にもやがかかったように、思い出すことが出来ない。

 頭が痛い。

 ただ、心にぽっかりと大きな穴が空いている。


 忘れちゃいけない、とっても大事な何かを、私はきっと忘れている。


 あの男の子は、私にとても優しく接してくれる。

 その度に、胸がきゅっと締め付けられる。罪悪感に、押し潰される。


 私は、どうすれば良いんだろう?

 私には、何が出来る?

 どうすれば、私は心の穴を埋められる?

 どうすれば、私は全てを思い出せる?


 わかんない。わかんないッ!!


 頭が痛い。割れそうだ。


 嫌だ。大切な人も、過去も、思い出も、何もかも思い出せないまま生きていくなんて、そんなの嫌だッ!!



「・・・・・・そんなに、思い出したいかぁ?」


「・・・・・・! 誰?」


 突然、何とも気の抜けた中性的な声が病室の入り口から響いた。

 私は驚いて、そちらを見る。

 そこには、真っ白のワンピースを着た、可愛い女の子・・・・・・? が立っていた。


「今は取り敢えずはじめまして、って言っとこうかぁ。俺は赤穂泰久あこうやすひさ。みんなにはヤスって呼ばれてる。こんな格好だけど、男だ。よろしくなぁ」


「えっ、男の子なんですか!?」


「おう。ちゃんとついてるぞ」


 にへへと笑うヤスと名乗った彼は病室に入ると、持っていたバッグの中から一冊のノートを取り出し、それを渡しに差し出した。


「これは・・・・・・?」


「日記だぁ。前のあんたが、熱心に書いてた、あんたの歩みさぁ。急ぎだったから、これしか持ってこれなかったけどなぁ」


 私の、日記・・・・・・!

 これを読めば、もしかしたら私は──


「もう一度聞く。そんなに、思い出したいか?」


「え?」


 彼は一転、真面目な顔でそう言って、続けた。


「前までのあんたの人生は、お世辞にもあんまり良いものだとは言えない。ひどい目に遭ったこともあるし、辛い想いも沢山してきた。それでも、」


 ──あんたは、思い出したいか?


 まっすぐで、真剣な、それでいて何処か心配そうな目で、彼は見つめる。



「世の中には知らなくて良いことも、思い出さなくて良いことも山ほどある。もしそれが、あんたの今までの人生そのものだったのしたら・・・・・・」



 思い出さなくても良いこと。知らなくても良いこと。

 でも、それが私の今までの人生だったとしたら、このぽっかりと空いた穴は何?

 あの男の子を見て感じる、胸の苦しみは何?


 この心の焦りは、一体何?


 この罪悪感は、一体何?


 この感情はきっと、忘れる以前の私のものだ。


 こんなに心に喪失感が残るのに、こんなに胸が苦しいのに、こんなに焦がれているのに、こんなに罪悪感を抱いているのに・・・・・・


「この記憶は、忘れちゃいけないものなんだって、思うんです」


「・・・・・・」


「私は、この日記を読みます。そして、全てを受け入れます。たとえ、どんな結果になったとしても、私は! ・・・・・・過去の私を、私と関わってくれた人達の想いを、否定したくないんです」


 ヤスと名乗る彼はただ一言、「そっか」と言うと、何度かうなずき、病室を出ていってしまった。


 病室には、彼の残したノートが一冊。


 私は一人になった部屋で、ノートを開く。

 全てを、思い出すために。

 かつての私を、思い出すために・・・・・・。













 ・・・・・・やっぱり、そうだった。


 この記憶は、忘れちゃいけないものだった。

 ボクって、ほんとバカだなぁ。

 





 ナオ・・・・・・ただいま

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る