4.こうして天使は少年と少女に初めての恋をもたらす。
(-_-メ)和) と、まぁそんなところだ。
『俺を作った男は死んだ。その上俺がいなくなれば、二人の記憶はあっという間に消えるだろう。もはや太陽も星も見えず、風が頬をかすめるのも感じることもない。光も感情も感覚も消える。』
怪物は、創造主であり父でもあるフランケンシュタイン博士を殺した。
俺は何があっても親を殺すことは無いだろう。
なぜなら。
既に死にかけている。
※※
酷い有り様だった小学校生活の最終盤に親が持ち込んでくれた、韓国のインターナショナルスクールへの入学は、俺の人生にとって、まさしく
両親の大学時代の親友がホームステイ先になってくれたこと。
その家族の子供たちに迎え入れられ、同年代の友人ができたこと。
ほぼ言葉の通じない環境で、効率よく語学と勉学を身に着けられたこと。
濃密で多様な人間と絡むことで、自分の悩みをある程度相対化できたこと。
多くの学びを経て、そろそろ次のステップに進もうとしていた中学二年から三年に上がる、ちょうどそのときだった。
母親が倒れ、俺は帰国を余儀なくされた。
くも膜下出血だった。
ICUで再開した母は、もう、俺を俺と認識できない状態だった。
発見が遅れ、ほとんど助かる見込みのない状況だったが、無理を言って手術をしてもらったのだという。
結果は、右半身不随・失語・意識レベル低下・独歩自立不可。問答無用の要介護5の判定を下される身体となった。
治る見込みはない。
終末期介護という、人生の撤退戦が始まった。
何とか退院できることになったとき、父は在宅での介護を希望した。
俺はそもそも両親のためであれば何でもする気でいたから、何も言わなかった。
そうして、家に重度障害者のいる生活が始まった。
料理・洗濯・掃除・雑事・食事介助・車椅子での散歩・病院への付き添い。
在宅介護の“仕事”を覚えるのに必死で、中学三年生の生活は、
自分ができることをやるため、高校は徒歩二分の場所を選んだ。
もう少しレベルの高い進学校も狙えたが、通学に取られる時間が惜しかった。容態の急変に備え、いつでも帰ってこられる距離にいたかった。
想像通りというか、介護生活は厳しいものだった。
要介護5ともなれば医療費は無料だが、その他のこと、ベッドや車椅子といった介護用品のレンタルや入院した時の諸経費は掛かってくる。障害者年金もあるが、在宅介護の全額を賄えるほどではない。
父は丸一年の休職の後、仕事を時短に切り替えた。当然給料は減ったし、その中で相変わらず自宅やら車やらのローン、日々の食費と生活費は払い続けなければならない。
俺は“給料代わり”として月に三万円を貰っていたが、必ず月に一万円は残し貯金していた。母の食費もそこから出していた。
“おやつ代”もだ。
「クッキーは、粉が気管に入って吐き戻してしまうんだ」
冷凍しておいた生地を捨てずに済んで良かった。
「プリンなら、食べてくれたんだ」
二俣姉妹には「簡単だ」などと言ったが、実はけっこうな自信作だったのだ。
「―――と、まぁ」
6畳の部屋に、最近では一番強い西日が差している。
開けた窓から風に乗って、吹奏楽部の音が入り込んできた。
高い高い空を駆ける飛行機が、長い長い尾を引くのが見えた。
「そんなところだ」
俺は、相楽家の事情を二俣に話し終えた。
「……」
俺のベッドに腰掛けていた二俣は、何も言わない。
「実はもう、ナガサは知ってるんだ」
「え?」
「あいつ、こっそり病院清掃のバイトしてるだろ? そこで偶然母親を連れて定期検診に来た俺と会って―――って」
そこで俺はミスに気付いた。二俣が完全に顔面蒼白になっていたからだ。
―――ナガサのやつ、意外と友達甲斐が無いな。
二俣にまでバイト先を内緒にすることはないだろ。
「……私―――」
勉強の準備は机に広がっていたが、二俣はまだ用意していなかった。
「今日は帰るわ」
言って、立ち上がった。
「あと、もう家庭教師はいいわ」
「なん―――」
「あなたのスパルタのおかげでけっこう忘れてた部分も身についたし後は自分の力でなんとかする」
こちらの口を挟ませない早口で一気に言い切った。
「分からないの。私―――」
彼女は、泣きそうなのに険しい顔で、怒っているのに悲しそうで、叫び出しそうなのに静かな声で言った。
「あなたには頼れない。だってきっと……絶対に何も返せないもの」
俺は何も言わなかった。
二俣は帰って行った。
※※
そして翌朝。
飛行機雲は雨の予兆と言われている通り、空は見上げる果てまで曇り、湿った匂いの冷たい風が吹いている。
「おっはよー! カズくん聞いて、今日は傘忘れなかったんだよ」
「すごいな。逆に晴れるんじゃないか」
「逆に晴れちゃうかぁ。嬉しいけど悔しいなぁ」
バス停でいつも通りにまずはナガサを出迎えた。そう決めたわけではないが、三人でつるむようになってからは、次のバスに二俣が乗ってくるようになっていた。
「お、バスきたよカズくん、
「そうだな……だいたい後ろの方に座ってることが多いから最後の最後じゃないか」
しかし、いつものバスに二俣は乗っていなかった。
次の、次のバスにも乗っていなかった。
※※
「あ、吏依奈! 先に来てるんなら言ってよぉ!」
ナガサがぜんぜん怖くない怒り声で、すでに教室の席に着いていた二俣に詰め寄っていく。
「ごめんなさいくるり。テスト近いから、早めに来て学校で予習しようと思って」
「おはよう二俣」
「……うん」
恐らく、出会ってからこれまでで一番小さな声の返事だった。
目も合わせなかった。
その日の二俣との会話にもなっていない会話はそれっきりだった。
※※
昼休み。
屋上に通じる階段の踊り場。
シートを敷く。
弁当箱を開ける。
マウスガードを外す。
唐揚げ、卵焼き、プチトマト。
何故か最近は運動会みたいな献立が多い。
静かだ。
「……」
と、朝から堪え続けていた青黒い雲が泣き出した。
最初は砂を流すように。
次第にラジオのノイズのように。
屋上の欄干を打つ金属音。
ピチャピチャと水たまりの作られる気配。
一人で食べる昼食は、久しぶりかもしれない。
あ。
そういえば。
「俺、傘持ってきてないな」
無くて困る距離ではないが。
「暗いな」
踊り場に明かりがないことを、一年以上経ってようやく知った。
【続く】
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