弐 身体測定、体力測定

第8話 金町 コンゴ友愛祈念ボノボの森

 二階堂先輩の研究室を訪ねる日がやって来た。約束通り、穂香ほのか(大)は有給を取ってくれた。

 

「せっかくの有給なんだから、いっそ、お姉ちゃんは、らしいブレザー服を着ていったら」

というわたしのレコメンドをスルーした穂香ほのか(大)は、いつもの社会人スーツ姿となった。わたしは、らしいセーラー服姿となる。

 

 それぞれの愛用チャリちゃんに跨り、金町駅北の.東都理科大学バイオメディカル研究キャンパスを目指す。

 前を走る穂香ほのか(大)は、中川沿いのコースを選んだ。中川を右手に見ながらしばしチャリちゃんをこいでいくと、前方に、『コンゴ友愛祈念 ボノボの森』が見えてくる。三菱系の研究所跡地に作られた、霊長類ボノボのための公園である。


「わたし達が卒論書いてた時は、建築中だったんだよね」

と言った穂香ほのか(大)は、

「だから、ボノボの森を見るの初めてなんだ」

と続けた。


 流域面積世界2位のコンゴ川沿いに、何百万年もの間、平和な母系社会を築いてきたことで著名な霊長類はボノボたち。2040年代に入り、近隣の人々による残念な騒乱のおかげで、ボノボ社会は大きなダメージを被ってしまった。

 どのような政治バランスが働いたかはつゆ知らず、わたし達が通っていたキャンパスの隣に、国連の基金などの交付を受け建設されることとなった、金町かなまちボノボの森(通称)。その特徴はというと、コンゴ川沿いらしい熱帯雨林を促成育樹した小さな森に住まう10体のボノボ達のすべてが心身に障害を負っていること、だ。手や足や内蔵の一部を失ってしまった彼ら彼女らに癒やしを与えつつ未来的な義手や義足を授けることを目指す、世界唯一の障害ボノボ用施設が、金町かなまちボノボの森(通称)なのだった。


 穂香ほのか(大)と異なり、わたしは金町ボノボの森に割と詳しい。なぜなら、ユウと別れた後の失意のわたしは、ボノボの森の一般公開フィールドを何度も何度も訪れ、義手や義足を時折さすりながらも、平和に暮らしているボノボに心を癒やされていたのだから。まもなく二十代を終えようという頃だったわたしは、たとととボノボたちが挨拶代わりの性交をはじめても、あらあらお盛んですわねといった風に微笑んでいられる程度には大人だったのだ。


 だから、金町かなまちボノボの森の正式名称が、大学政治的な力関係のためか、『葛飾区立新宿かつしかくりつにいじゅくみらい公園附属 国立大学法人京都大学大学院理学系研究科霊長類研究所コンゴ友愛祈念 ボノボの森』という、どう呼んでも所在地がわかりにくい名称であることも、わたしは知っていた・・・ちなみに電車でボノボの森に行く時は、JR常磐緩行線金町駅を北口を出て、まずは左手の東都理科大バイオメディカル学環のキャンパスに向かうのよ。理科大キャンパスの裏口がボノボの森の入口なのだから。


 ただ、わたし達の卒論の(事実上の)指導教官になってくださった二階堂先輩が、まさかのボノボの森勤務ということは知らなかった。当時、博士過程に在学しながら研究室助手をしていた二階堂先輩に、わたし達は随分とお世話になったのだけれど、社会人となってからのわたし達は研究室の皆さんとはすっかり疎遠となっていたのだ。たまに来る研究室OB、OGからのメッセージを概ねスルーしてしまっていたためとも言う。

 霊長類ボノボの森勤務というと動物園の清掃員のような感じがしてしまうかもしれないが、二階堂先輩の今の肩書は、『国立大学法人京都大学大学院理学系研究科霊長類研究所 コンゴ友愛祈念ボノボの森 バイオマテリアル分野 特任准教授』というパリっとしたものだ。まぁ、二階堂先輩は、京大理学部を卒業なされた後に東大でマシンインテリジェンス分野で修士号を取ったという、わたし達とは異次元の秀才さまである。もちろん、有給助手待遇で東都理科大でバイオメディカル博士課程に進むと3年でさらっと博士号を取得なされている。出身校の特任准教授なんて、パリっとした肩書も当然なのでしょうね。


 穂香ほのか(大)が、ボノボの森の一般公開フィールド前駐輪場に自転車を止めた。わたしも続く。この駐輪場は、コンゴ騒乱で犠牲となってしまった人々とボノボ達に祈りを捧げる人が無償で利用できる。わたし達は、入り口の祈念の台で手を合わせてから、ボノボの森沿いの遊歩道に向かう。

 

 穂香ほのか(大)は初めて生で見るボノボ達を左右にキョロキョロと眺め、わたしは少し懐かしく思いながら彼ら彼女らを眺める。


 けれども、ボノボ達の姿は、わたしの記憶とは違っていた。


(やっぱ開園したばかりの頃は義手や義足は不十分だったのかぁ)


 わたしが通っていた頃は、ボノボの森が開園してから5年ほど経っており、ボノボたちはそうとは気づかないほどによくできた義手・義足を身につけて、のんびりと過ごしていた。


 眼前で、片手のボノボが片足のボノボと、ゆっくりと抱き合っている。

 記憶の中のボノボ達よりもしょんぼりしている気がするボノボ達を目にして、(やっぱり、わたしは時間遡行タイムトラベルをしたんだね)

と、わたしは、少ししんみりとなりつつ実感してしまう。


 ☆

 

 ボノボの森を出たわたし達は、いったん東都理科大のキャンパスに入ってから、二階堂先輩の研究室がある霊長類研究所を目指す。

 

 らしい制服姿のわたしは、母校のキャンパス内を穂香ほのか(大)の後ろに続いて歩く。すれ違う学生たちの何人もが、わたしの姿にちらちらと視線を向ける。


(まぁ、こんな小学校みたいな見た目の子が、中学生らしいセーラー服着て大学のキャンパスを歩いていたら、ちょっと気になるはずよね)


 脳内記憶では一人前の大学OGであるわたしは、しょうがないわね、と達観しながら、ちょこちょことキャンパスを歩いた。

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