第31話「強奪」
「わぁ~、すっかり夕方だね」
「ちょっと張り切りすぎたわね」
私達は凛奈先生に練習で使ったストップウォッチを返しに行っていた。練習は終了してもう帰るのだけど、辺りはすっかり夕暮れに飲まれようとしている。他に練習していた生徒達が下校の準備をする音が静かに聞こえる。
「急ごっか」
「うん」
「ほ~し君♪」
すると、廊下の奥からあの子が顔を出した。この聞くだけでムカつくような浮わついた声、真理亜だ。
「真理亜さん……」
流石の星君も彼女の鬱陶しさに参るようになっていた。彼が一番迷惑してるものね。
真理亜のやつ、きっと星君の練習が終わるまで学校で待って、隙を見て姿を現したに違いない。隣に私がいるというのに、往生際の悪い人だ。
「真理亜、言ったでしょ。星君付きまとわれて迷惑してるって。だから……」
私が毎度のように彼女に注意しようとしたその時……
「うっさいわね、あんたは黙ってなさい」
真理亜は私の唇に自分の唇を重ねてきた。
「んん!?///」
すぐさま私は彼女を押して突き放した。いきなりなんてことするのよ! 訳がわからない。いきなりキスだなんて……しかも女同士で……。
え、待って。
「ふ~ん、やっぱり。こういうふうに残りの願いの数が分かるのね」
真理亜がソックスを下げ、右足の太ももに刻まれた「3」の数字を見せつける。私が自分の体にチャージしたKANAEの能力を使える残りの回数だ。いや、今はその能力は完全に彼女のものとなった。
「真理……亜……なんで……」
私はただただ驚いたまま立ち竦む。彼女には願いの能力の存在を明かしていない。どうして知っているのか。しかも、能力を他人に移す方法まで……。
「ふふっ、それくらい自分で考えらんないの? ほんと馬鹿ね。そんな様子じゃ、あんたにこの能力は宝の持ち腐れよ。代わりに私が有効活用してあげるから♪」
いい加減他人に押し付けたいと思っていた能力だけど、次の持ち主が真理亜というなら話は別だ。彼女のことだから、ろくでもないことに使うに決まっている。今すぐ止めなければいけない。
「そうねぇ~、やっぱりお願いすることと言ったら……」
真理亜の視線が星君に向けられた。彼女が見せる不敵な笑み、いたずら心や憎しみまでもが込められたような表情。
嘘でしょ……やめて……
「ふふっ、そうだ♪」
「真理亜! やめて!!!」
真理亜が大きな声で叫んだ。
「星君が私のことを好きになってくれますよ~に!!!」
窓の外に一筋の流れ星が見えた。
「あ……あぁ……」
星君が真理亜の元へゆっくりと歩み寄る。そして、大きな腕で彼女を包み込む。私は星君を止めようにも、最悪な光景が視界どころか体全体を麻痺させていて動けない。
「真理亜さん、ずっと突き放してきてごめんね。なかなか言えなかったけど、本当は僕……真理亜さんのことが好き」
「星きゅん♪ 私も大好きだよ~♪」
目の前で星君と真理亜が抱き合っている。彼女の太ももに刻まれた数字が、3から2になっている。真理亜が願ったことが本当に叶ってしまった。
あれだけ彼女のことを鬱陶しく思っていた星君が、自慢の優しさで彼女を包み込んでいる。
「星君! 何やってるの! 真理亜なんかに……」
「七ちゃん、僕の大切な人を悪く言うのはやめて。これ以上真理亜さんに酷いこと言わないで」
ようやく喉から吐き出せた言葉も、星君の真剣な表情の前で跳ね返される。彼の言う『大切な人』が、私を意味する言葉ではないという事実に、ただ嗚咽を漏らすことしかできない。
「悪いけど、僕は本気で真理亜さんのことを愛してるから。これからは彼女にも優しくしてほしい」
「そうよそうよ! 七瀬さんって私達の仲を引き裂こうとしてるの? そんなのサイテー!」
調子に乗った真理亜も星君と共に私に吐き捨てる。星君の態度が先程までとは真逆だ。完全に彼女の味方についている。
「真理亜……よくも……」
かろうじて私の心の中には、彼女への怒りが生き残っていた。どうやって能力の存在と他人への移し方を知ったのかは、今はまだわからない。それでも、このまま彼女を野放しにしておくわけにはいかない。
「星君を返して!!!」
私は彼女に飛びかかる。こうなれば
星君、待ってて。今すぐ助ける。能力を奪い返して、洗脳を解いてあげるから。
ガシッ
しかし、真理亜の顔を掴もうとした私の腕は、星君の手に押さえ付けられた。
「七ちゃん、いい加減にして。僕の大切な人に乱暴しないでよ」
「で、でも星君は今……能力で洗脳されて……」
なんでなの……。私、あなたを助けようとしたんだよ? なのに、どうしてあなたが拒むの?
「洗脳って何? 彼女への愛は僕の本心だよ。変なこと言わないでよ」
「真理亜! 星君を元に戻して!」
星君は自分の思いを歪められてしまっていることに気付いていない。願いの能力はここまで影響が大きいんだ。元に戻せるのは、今能力を保持している真理亜だけ。私は彼女に懇願した。
「はぁ? 戻すわけないでしょ。これ以上私に口答えしてもいいの? 能力を使えば、あんたなんかどうにでもできるのよ?」
「そんな……」
先程から真理亜は星君の前でも本性をさらけ出しているけど、一切気にしていない。真理亜のことを愛してるからこそなんだろう。
「七ちゃん、今日は真理亜さんと帰るから。先帰ってて」
「じゃあね~、哀れな負け犬の土屋七瀬さぁ~ん♪」
星君と真理亜は腕を組んで離れていく。星君は暗闇に沈んでいく私の意識なんか、ちっとも気に留めないまま背を向けて去っていく。
待って……行かないで……
「星君……」
二人の姿はあっという間に廊下の奥へと消えていった。私は誰にも気付かれないまま、一人廊下に座り込んで泣いた。
「うぅぅ……」
本当に哀れでどうしようもない人間だ、私は。なんで正直になれなかったんだろう。なんで素直に思いを伝えることができなかったんだろう。何もかも遅すぎる。真理亜に全て奪われてしまった。能力も、愛しの人も。
本当に滑稽で仕方がない結末だ。自分が星君を好きっていうことに、今さら気が付くなんて……。
* * * * * * *
「七瀬……」
リビングのテーブルで泣きじゃくる七瀬を、スターは心配そうに眺める。ここまで本気で泣かれてしまったら、どう接すればいいのか分からない。彼はまだ人間の欲望を、心を知らないのだ。
「スター……あんたも真理亜のところに行ったら? もう私なんかと一緒にいても……意味ないわよ……」
ティッシュで涙を拭うが、決して泣き顔は正面に向けない七瀬。KANAEの能力の持ち主が真理亜に変わり、スターの欲求傾向の調査も更に滞ることになる。進めるのであれば、七瀬の元を離れて真理亜のそばにいることが賢明だ。
「あ、えっと……俺一旦天界の方に戻るな。用事あるから……すぐ戻る」
「そう……」
七瀬は濡れたティッシュをゴミ箱に投げ捨て、テーブルにふて寝した。適切な言葉がけができず、スターは気まずい空気から逃げるように天界へとワープした。
「スター!」
「プリシラじゃんか。こんなところでどうした?」
天界にたどり着いたスターは、天使寮の前で女の天使と出会った。彼女の名前はプリシラ。スターと同期の天使だ。
「あんたがなかなか戻ってこないから、様子見に行こうと思ってたのよ。調査は終わったの?」
現世に調査に向かった他の天使達は、続々と調査を終えて天界に戻っているらしい。真っ先に調査を終えたプリシラは、わざわざ現世に戻ってスターの調査の進行状況を確認しに行こうとしたようだ。
「いや、まだだ。ちょっと人間同士でトラブルが起きたみたいでな。調査が続行不可能な状態で……。一旦ユリア様に報告に行ってくる」
「続行不可能? 待って、私にも詳しく教えて」
ユリアの屋敷に向かうスター。プリシラもその後を付いていく。
「それは大変ね……」
スターから現世での状況を聞き、ユリアは冷や汗を垂らした。真理亜は今KANAEの力に溺れている。悪用されては現世にどのような影響が出てしまうか。想像しただけでも恐ろしい。
「スターは今すぐ能力の回収に向かって。期間は長くなってもいいから、慎重に行うこと」
「はい!」
「それとプリシラ、あなたにはスターの代わりに七海町での調査をお願いするわ」
「え、私がですか?」
突然追加の調査を任されたプリシラ。彼女は一番先に調査を終えて天界に戻ってきた。ユリアはその優秀さを買って頼んだ。
「もう一個私の分のKANAEがあるから、それを使って。最後の一個だから、無駄にしないようにね」
「はい!」
「スター、もし能力の回収が済んで余裕があれば、プリシラの調査を手伝ってあげてね」
「分かりました!」
スターとプリシラは屋敷を出て、現世へワープする準備をした。
「あ、スター! 最後にもう一つ!」
ユリアが二人を追いかけてきた。
「七瀬ちゃんって子、かなり落ち込んでるみたいだから、あなたが支えてあげてね」
「俺が……ですか……」
「そう。好きな人と離ればなれになるのは辛いことだから、その悲しみを理解してあげるの。大丈夫。死者をお世話する予行練習だと思って。あなたならきっとできる。期待しているわ」
「……分かりました」
スターは土屋家の玄関の前に立つ。人間がなぜ怒り、なぜ笑い、なぜ悲しむのか。そして、その感情が渦巻いた先に何を望むのか。スターにとっては人間について分からないことだらけだ。
「……よし」
しかし、ハプニングではあるものの、結果として七瀬と巡り会えたのは何かの縁だ。彼女との関わりを通して、人間のことを理解する努力をしてみよう。そんな決意を胸に、スターは玄関のドアを開けた。
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