第29話「行き過ぎた嫉妬」



「よし、これで走順は決まったな」


 赤団の団長、昼川龍生ひるかわ りゅうきはノートに団対抗リレーの走者を書き込む。昼休み、赤団の代表走者は多目的教室に集まって計画を練っていた。2年1組の代表走者である七瀬と星、そして和仁も召集された。


「わ、私がアンカーですか……」

「当たり前でしょ。あんた走力だけは折り紙付きなんだから。アンカーは確実に走るのが上手い人が担わなきゃ」

「『だけ』は余計よ!」


 なぜか代表走者ではない恵美まで付いてきた。しかし、学校の情報にやたらと詳しいからと、龍生が彼女に作戦参謀を頼んでいる。恵美の厳正なる思考の結果、七瀬は最後の第9走者、つまりアンカーとなった。


「噂だと白団のアンカーはあの真理亜らしいわよ。あんたの走りでねじ伏せてやりなさい」

「あ、真理亜も走るんだ。ていうか、ほんとによく知ってるわね。どこからそういう情報得てんの?」

「私の情報収集能力をナメないでよね」


 親友とはいえ彼女の異常な情報網羅は恐ろしいが、こういう頭の使い時にはとてつもない力を発揮する。仲間として頼もしく感じる七瀬だった。


 作戦を練った結果、赤団の走順は以下の通りとなった。



 一年C→三年C→一年B→三年B→二年A(和仁)→二年B(星)→一年A→三年A(龍生)→二年C(七瀬)



 各学年から3名の走者(A,B,C)を選出し、男女学年共に混合の走順を決定する。走順の計画は完全に各走者に委ねられている。毎年行われている趣向だ。


「七ちゃん、一緒に頑張ろうね!」

「えぇ、やるからには優勝よ!」






“ぐぐぐ……土屋七瀬……いつまで私の星君に付きまとう気なのよ……”


 多目的教室の扉の影で、真理亜が中の様子を伺っていた。案の定距離が近い七瀬に嫉妬する。


“今度こそあんたを懲らしめてやるんだから。覚悟しなさい!”


 今すぐ星から七瀬を引き剥がしたい欲を抑え、真理亜は2組の教室に戻った。




「ねぇ~、馬場くぅ~ん」

「ふ、布施さん!」


 真理亜はクラスメイトの涼太の席へ向かう。修学旅行で女子生徒を盗撮し回っていた変態男子だ。真理亜は自分の胸をこれ見よがしに彼の席に乗せる。


「ちょっとお願いがあるんだけどぉ~、聞いてくれるぅ~?」

「へ? あ、う、うん……いいよ……///」


 真理亜の性的な誘惑に興奮し、二言返事で承諾してしまった涼太。変態男子である彼の場合は尚更だ。彼女の小悪魔的思惑に引っ掛かってしまう。視線が完全に彼女の胸に集中している。


「やったぁ! 涼太君優しいねぇ~♪ 真理亜、優しい男の子大好き💕」

「ぼ、僕にできることなら……何でも言ってね……ふへへ……///」


 瞬時に名字呼びから名前呼びに変え、ますます男を落とすテクニックを磨いていく真理亜。涼太は完全に彼女の虜となってしまった。もちろん彼に向ける色仕掛けは、自分の次なる作戦に必要な駒進めに他ならない。


“うわっ、落ちるの早! どんだけチョロいのよ、この変態……。ていうかキモッ!”


 涼太の不気味な笑顔に若干引くも、真理亜は心の中で火糞ほくそ笑む。彼の協力がなくてはなし得ない作戦。七瀬をおとしめる作戦のためだ。


“絶対に許さない……土屋七瀬……”






 放課後、生徒達は最後まで体育大会の話題で盛り上がった。ほとんどの生徒が期末テストを流れ作業のように済ませ、結果を気にすることなく次なる試練への準備に移行していた。


「走る練習しないとね……ある程度自信はあるけど、相手も相当早いだろうし」

「そこは大丈夫。凛奈先生が協力な助っ人を用意してくれるって言ってたから」

「ほんと? 流石七ちゃん!」

「いや、ほとんど恵美の人脈のおかげだけどね……」


 恵美が凛奈に頼み、彼女の知り合いで競争の特訓に付き合ってくれる人物を紹介してもらえることとなった。もはや彼女の情報収集能力は、学校という壁を越えてしまっているかもしれない。


 誰もが体育大会の優勝を狙い、あらゆる手を尽くして戦いに挑んでいる。今年は例年にないほどの盛り上がりを見せそうだ。


「私、トイレ行ってくるね」

「あ、うん。先に正門で待ってるよ」


 星に言い渡し、七瀬は女子トイレへと向かう。






 バシッ


「あっ」


 女子トイレの出入口を潜ろうとした瞬間、誰かに肩がぶつかって転倒してしまった。


 いや、肩にのし掛かるかなりの痛み。ぶつかったと言うより、ぶつけられたと言う方が正しいだろうか。


「痛っ……」

「あ、ごめんなさぁ~い」


 耳に飛び込む浮わついた声がそれを証明していた。七瀬が顔を上げると、視界には下衆なものを見るような表情の真理亜が、こちらを嘲笑いながら立っていた。


「七瀬さんみたいなウザい奴、視界に入れないよう努力してたから全然気付かなかったわ。ほんとにごめんなさいねぇ」


 まるで誠意がこもっていない謝罪の言葉。見下す視線と高飛車な態度。彼女の方からわざと肩をぶつけてきたことは明白だった。


「……」


 挑発に乗ると面倒だ。抵抗したい気持ちを必死に圧し殺し、七瀬は真理亜を素通りして奥へと進む。


「ん? ちょっと、何これぇ?」


 ガシッ


「痛っ……あ!」


 真理亜が七瀬の後頭部に掴みかかる。勢いよく髪を引っ張り、痛みと共に引き寄せられる。そして、手には七瀬の髪留めが握られている。無理やり外したのだ。


「うわぁ、こんな少女臭いもん付けてるんだ。高校生にもなって恥ずかしい~」

「嫌! 真理亜!」


 七瀬は髪留めを取り返そうと手を伸ばす。ピンクの水玉模様の白いリボン型の髪留め。それは、一ヶ月半前に星が七瀬へ贈ったプレゼントだ。

 受け取った時は恥ずかしがっていたが、七瀬は何だかんだでずっと愛用していた。学校の日も、休日も、この髪留めを使って自分の長髪を結っている。今ではすっかり宝物だ。  


「ダメ! それは星君がくれたものなの!」


 だからこそ、星の優しさの証である宝物を汚す真理亜を、七瀬は許せなかった。




 バシッ


「あっ!」


 真理亜は髪留めを七瀬の顔面に投げつけた。七瀬はすぐさま傷が付いていないか確認する。真理亜は力強く握っていたが、傷や割れ目もなく無事だった。


「また星君の名前……いい加減にしなさいよ。幼なじみだからって調子に乗って」


 真理亜は先程のふざけた態度とは違い、怒りに満ちていて切迫とした様子だ。ここは女子トイレ。男子が介入する隙もないため、真理亜はこれでもかと思うほど本性をさらけ出す。


「いつまでも幼なじみで仲良しごっこしてられると思わないでよね。星君は真理亜のものなんだから。絶対に真理亜のものにするんだから……」


 真理亜はそう言って早足で去っていった。毎度毎度うざったらしいが、どことなく真剣な表情だ。彼女が再びとんでもないことをしでかす気がして不安でたまらない。


「……」


 七瀬は速やかに用を足し、女子トイレを出ていく。




「七瀬ちゃん、大丈夫だった?」

「え?」


 すると、女子トイレを出た途端、壁にもたれ掛かっていた一人の男子生徒に声をかけられた。


「えっと、1組の土屋七瀬ちゃんだよね?」

「あ、うん、ありがとう。あなたは確か……」

「2組の平居昇」


 例のイケメン転校生だ。直接話す機会は今が初であるため、どことなく気恥ずかしい空気に包まれる。


「俺、偶然さっきの聞いちゃったんだ。真理亜ちゃん、可愛くて人気者だと思ってたのに、あんな一面あるんだね」

「うん。男子の前では可愛い子ぶるけど、女子の前ではあんな感じ。気を付けた方がいいよ」


 昇も彼女の本性を知る数少ない男子生徒の一人となった。真理亜が可愛い少女の皮を被った悪魔であるという事実を、一人でも把握している者が増え、不思議と心強くなる七瀬。

 だが、やはり彼を前にすると、なぜか心臓の鼓動が加速してしまう。


「ねぇ、色々やられてたよね。痛いところ、ない?」


 昇が七瀬の頬に手を伸ばす。




「あっ、私正門で友達待たせてるから! もう帰るね! 昇君ありがと!」


 手が届く前に、七瀬は逃げるように廊下を駆けていく。噂通りのイケメンで優しい男子生徒だ。七瀬も思わず惚れそうになってしまった。

 しかし、彼のような人気者が自分と一緒にいるところを誰かに見られたら、学校中で騒ぎになってしまうかもしれない。勝手にときめいてしまう胸を押さえながら、教室へ鞄を取りに行く。




 昇はトイレの前で一人ポツンと取り残される。


「……」


 そして、何か言いたげに七瀬の後ろ姿を見つめる。彼の胸の中にも、一つの複雑な感情がざわめいていた。


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