七つ星ロマンティック
KMT
序章「後悔と決意」
第1話「七瀬の後悔」
KMT『七つ星ロマンティック』
彼が私の視界によく写るようになったのは、一体いつからだろうか。気がつくと、私の隣にいるようになった。そして、この世の全ての悲しみを一人占めしているかのような、大粒の涙をいつも浮かべている。
「あなたはどうしていつも泣いているの?」
ふと私は聞いてみた。彼がいつも瞳に涙を浮かべ、悲しみに暮れている理由を。きっと私が研究に数百年費やしても得ることができない見解を、質問という手段は意図も容易くそれを引き出すことができる。
「僕は弱い人間だから……」
私は彼の気持ちが理解できなかった。私はどちらかというと強い人間だからだ。私は運動場で転んで傷ができてしまったら、土や砂を払って唾をつけて立ち上がる。
しかし、彼は痛みに耐えられず、わんわんと泣きわめいてしまうらしい。
「うーん……」
また、私は一生懸命作った粘土細工を誰かにいたずらで壊された時は、いたずらしてきた子にやり返して作り直す。しかし、彼は悲しさに耐えられず、これまたわんわんと泣きわめいてしまうらしい。
どうしてそんなに弱いんだろう。泣くことに何の意味があるのだろうか。無意味なことをしていたって仕方がない。さっさと気持ちを切り替えて、生きていけばいい話ではないか。
私は産声を上げた瞬間しか瞳に涙を浮かべたことがない(と思いたい)。それ故に私は、彼の返答を至極下らないものだと
「ねぇ、弱い自分は嫌い?」
「……うん」
「じゃあさ」
私は汚れた手で彼に手を差し伸べた。
「私が特訓してあげる」
私は彼に臆病さを克服してもらうために、特訓を付けることにした。遊園地にてジェットコースターやお化け屋敷などの絶叫マシンを体験させ、屈強な精神力を育成させた。小学生だったから仕方ないにしても、あの頃の私は発想が単純だった。
「わぁぁぁぁぁん」
挑戦しに向かって再び戻ってくるまで、彼は常に泣いていた。いくら時間をかけても、彼の涙が乾くことはなかった。
特にお化け屋敷から逃げるように帰ってきた時が一番悲惨だった。涙の量が尋常ではなかった。なせだろう。小学生の私にはさっぱり分からなかった。
「お化け嫌だ……お化け怖い……」
最初の特訓以降、彼はお化け屋敷に入ることを拒むようになった。私の想像を絶するようなトラウマを植え付けてしまったようだ。ここまで来ると流石に申し訳なく思い、私達は遊園地を後にした。
私は特訓を中止し、作戦パート2にして早くも最終作戦を実行することにした。
「嫌だ……嫌だぁ……」
「いいから行くよ!」
私は逃げ出そうとする彼のシャツの裾を掴み、夜のプチクラ山の山道を進んでいった。最後の作戦は軽い肝試しだ。プチクラ山の暗い夜道を歩き、一周して戻ってくること。
「嫌だぁ……怖いよぉ……」
「しっかりしなさい! 男の子でしょ!」
彼がしっかりと歩みを進められるように、私も付き添った。男であるというのに、入り口から既に泣き虫の成虫状態だ。
そう、私は彼が男であるというのに、臆病者であることが非常に気に食わなかった。女である私より弱いなんて、神様はとんだ製造ミスをやらかして、彼をこの世に送り込んでしまったらしい。男は女を守れるくらい強くあらねばならない。
私が彼に特訓をつけた理由は、そんな過度な偏見に心を支配されていたからだ。今思い返すと心底恥ずかしい。
「こんなのちっとも怖くないわ。ほら、さっさと歩きなさい」
懐中電灯を照らし、胸を張ってズカズカと山道を進んだ。
私はこの特訓を計画した自分の愚かさを呪った。
「うわぁぁぁ!!!」
私達を襲ったのは小さな山犬だ。牙に涎を絡ませ、新鮮な血肉に狙いをつけて追いかけてきた。一部の人には想像もつかないかもしれないが、元々ペットとして飼われていた犬が捨てられ、野生で凶暴化することもあるのだ。
軽い噂程度でプチクラ山に山犬が出没すると聞いていたが、小学生ながらの薄っぺらい危機感で高を括っていた。
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
案の定、彼は恐怖に心も体も支配され、情けなく逃げ回っていた。私も逃げてるんだけど、彼と全く同じ「逃げる」という選択をしてしまっていることが、とてつもなく恥ずかしかった。
それでも逃げるしかない。小学生である私達からすれば、いくら小さな山犬でも立派な化け物だ。私達は特訓のことなど脳裏にも残さず、ひたすら足を動かした。
ガシッ
「うわっ!」
すると、あろうことか彼が地面のくぼみにつまづき、勢いよく横転してしまった。
「痛た……」
「大丈夫!?」
彼の元に駆け寄るだけの余裕があって助かった。私はすぐさま彼を抱き起こした。彼は膝を擦りむいただけの痛みにも耐えられず、ほろっと涙を滲ませていた。
ガルルル……
「うわぁ! 嫌だ! パパ……ママァ……」
すぐそこまで迫っている山犬を見て、頭を抱えて縮こまる彼。転倒した衝撃で、逃げる体力も気力も手放してしまったらしい。
「あっ……あぁ……」
私の口からも言葉にならない恐怖が垂れ流れる。山犬は当然心を落ち着かせる余裕など与えず、私達目掛けて飛びかかってきた。
噛まれていた間のことは、はっきりと覚えていない。でも、唯一覚えていることは、痛みではなく後悔だ。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
私は右足の太ももを噛まれながら、大声で叫んだ。容赦なく食い込む鋭い牙が、自分の犯していた過ちを教えてくれた。
私は彼が男のくせに弱々しいことを理由に、無理やり克服させようと辛い目に遭わせた。彼の臆病な性格を悪いことと決めつけ、真っ向から否定した。なんて最低な人間だろう。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
だから、せめてもの償いになるか分からないけど、私は望むように体を差し出した。山犬は尚も私の太ももを噛み続ける。
ごめん……
ごめんね……
酷いことして……本当にごめんね……
バシッ
すると、僅かながら痛みが弱まったような気がした。噛まれている間はずっと目を閉じていたため、何が起きたか確認すべくゆっくりと開く。
山犬が前方に倒れている。
そして隣には、彼が立っている。
「や、やめろ……これ以上……な……
私は即座に理解した。彼が山犬を突き飛ばし、私から遠ざけてくれたのだと。いつものように瞳には大粒の涙が乗っかっている。しかし、山犬から守るかのように両腕を広げ、私の目の前に佇んでいる。
彼が、私を守ってくれているのだ。
「や、やめ……」
それでも、山犬は体勢を立て直して起き上がる。所詮小学生の力で一回突き飛ばしただけ。当然大したダメージにはなっていない。再び睨み付ける山犬に、彼は再び弱腰だ。
そして、山犬は再び飛びかかってきた。
「うわぁっ!」
バン!
凄まじい銃声が私達の耳をつんざく。次に目を開けた時には、山犬は脱け殻のように横たわっていた。細かい血渋きを地面に撒き散らしながら。
「パパ……」
「七瀬」
私のお父さんだ。狩猟用のライフルを手に、静かに佇んでいる。お父さんが私達のピンチを救ってくれた。お父さんは山犬の死体に手を合わせた後に、動けない私達に歩み寄る。
「二人共、早く山を出よう」
「うっ……うぅ……」
ついに私の瞳からも大量の涙が溢れ出てしまった。これでは彼と同じだ。恥ずかしく手たまらないのに、私の涙はお構い無しに垂れ流れてくる。
そしてお父さんは、私と彼を抱きかかえようと大きな腕を広げる。
「待って……」
すると、彼が私を呼び止める。
サッ
「え?」
彼はポケットから絆創膏を取り出し、私の太ももに一枚貼り付ける。しかし、鋭い山犬の牙が食い込んでいたのだ。もちろん溢れ出る血の量が尋常ではないため、小さな絆創膏はすぐに剥がれてしまう。
「あれ? 待って……うぅ……」
何枚も何枚も貼り続け、その度に絆創膏は溢れ出る血に乗って流れていく。傷口にぴったり貼り付けられることはない。当然だ。まずは血を拭き取られねばいけないのに。
「大丈夫だよ……これを貼っておまじないをかれけば……すぐによくなるから……」
それでも彼は涙でいっぱいになりながらも、貼り続ける。
「七瀬さん……ごめんね……」
あぁ、そうか。私はようやく気付いた。彼の本当の魅力は、その純粋な優しさなんだと。力が弱くても、臆病な心を持っていても関係ない。
相手の喜びや悲しみを理解し、思いやる気持ち。それが彼にはある。真っ赤に染まる絆創膏が証明している。
「星君」
「え?」
私は彼の頬を流れる涙を拭い、今の自分が示せる精一杯の思いを口にした。
「……ごめんね」
あの時彼に怖い思いをさせてしまったという後悔は、大きくなった今でも私の心を容赦なく巣食っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます