第105話

 ただし、衝撃の事実と言うわけではありませんでした。楓の頑なな態度を見ていれば、彩音でも何かあることは察しています。

 寧ろ、楓が自ら話をしてくれたことは前進だと感じています。


「楓さんのお考えは、承知いたしましたわ。」


 あさっりと聞き入れられてしまったことが楓には気味悪く感じられます。



 間もなくして芽衣が戻って来た時、紅葉が競技中の選手を指さしながら彩音たちに説明をしていました。

 どんな話をしているか楓には聞こえてきませんでしたが、紅葉の解説を感心して聞いています。 


「……陸上部の皆、水瀬君が来てるって知って驚いてたよ。」


「そんなこと、わざわざ言わなきゃいいだろ?黙ってればいいのに。」


「わたしが黙ってても、絶対スグに気付かれると思うよ。」


 芽衣は彩音たちを見て言いました。陸上部の大会には似つかわしくない集団になっているので、目立っていると言いたいようです。

 日傘とオペラグラスは使用禁止にしましたが、彩音たちが周囲の視線を集めてしまうことは楓も理解していました。


「水瀬君が、ボディーガードみたいになってるね。」


「いや、ちゃんと護衛役は来てるみたいだ。」


 最初は楓も気付いていなかったが、スーツ姿の女性が数人こちらの様子を窺っている。誘拐されかけた過去があるのなら、やむを得ない措置かもしれない。


「まぁ、何かあっても、俺一人じゃ対処出来ないからな。」


 楓と芽衣が見ていることに気付くと、その女性はペコリと小さく頭を下げて挨拶をした。


「へぇ、本当にお嬢様なんだ。……わたしじゃ、お近づきになれないかな?」


「えっ?九条さんたちと仲良くなりたいの?」


「ダメかな?……わたしみたいな庶民じゃ相手にされない?」


「庶民が相手にされないなら、俺はここにいないと思う。でも、ちょっと意外だな。」


「意外かな?


 楓は何かを思いついて、立ち上がりました。そして、『倉本さん、ちょっといい?』と沙織を呼びます。

 沙織は自分が呼ばれたことに首を傾げていましたが、近付いてきます。


「私に、ご用でしょうか?」


「さっきの話で、俺よりも適任者が見つかったんだけど相談してみたら?」


 楓は、芽衣に『仲良くなるチャンスだよ。』と言い残して、その場から離れてしまいます。

 残された二人はぎこちなく笑顔で向き合っていましたが、しばらくすると並んで座りどちらともなく話が始まりました。沙織の相談相手になることが面倒だったのではなく、楓は芽衣が『適任者』だと本気で考えていました。


「……今回は、上手く進んでいるのかな?」


 楽しそうにしている彩音たちを見ながら、楓は言いました。

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「渉美さん、素晴らしかったですね。」


「ええ、あんなに大きな声で誰かを応援するなんて初めてでしたわ。」


「これで、次の大会に進むことが出来るんですか?」


「そうですわね。……また応援に行きたいですわ。」


 興奮気味で話す彩音たちは、縋るような目をして楓をチラリと確認しました。応援に行くことになれば、同行者が必要になります。


「早めに予定を教えてくれれば……、いいよ。」


 楓は了承するしかありませんでしたが、紅葉まで一緒になって喜んでします。


「……ところで、楓さんはどちらで『あのサンドイッチ』を買ってこられたのですか?」


 ピクニックで使うような大きなバスケットと紅茶の入った水筒を見つめながら、千和が質問しました。ここに来るときは持っていなかった物です。


「あぁ、あれ?……親切なお姉さんがくれたんだ。」


 それは悠花の母親からの届け物でした。

 スーツ姿のお姉さんは、鋭い目つきで楓を見ながら『水瀬楓様、お嬢様をお願いいたします。』とプレッシャーをかけることも忘れませんでした。


「親切なお姉さん……、ですか?」


 彩音が中心になっていることで忘れていまいがちだったが、澪と悠花も普通のレベルとは違っています。そのことを楓に思い出させてくれる瞬間でした。

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