満天の別れ
クレセントが急に立ち上がった。バッと翼を広げたかと思うと、鳴き声を上げトラックの荷台から逃げ出していく。
「あっ、ちょっと待って」
ミドリとケンタロウは急いで荷台から下りた。
翼の生えたクレセントが林の中へ走り去っていくところが見えた。
クレセントは怯えていたように思える。無理もない。こんな仕打ちをされて動じないほうがおかしい。
ミドリとケンタロウが追いかけようとすると、いつの間にかどこかへ行っていたシルバーライトが現れた。クレセントと同じ方向へ林の中を進んでいく。
二頭の馬を追って走る二人だが、馬のスピードには到底敵わない。馬たちはあっという間に視界の外に消え去った。
流星の空も遮られて見えない、薄暗い林の中を手探りで進む。
「ねえ、私たちこのまま遭難とかしちゃったらどうしよう?」
ミドリは傍らのケンタロウに言った。
「どうって」
「私はね、べつにいいよ。ケンちゃんと一緒なら」
ケンタロウがげんこつの形を作った手でミドリの頭を軽く叩いた。
「あっ、痛い! 何すんの!」
「ミドリが変なこと言うからだろ」
「変なことって何よ! せっかくの流星群の夜だから気を遣ってあげたのに!」
「いいから行くぞ」
ケンタロウがミドリの手を取り、先導して走り出した。ミドリは思わずドキッとしたが、大丈夫、この薄闇の中では赤面した顔を見られる心配もない。
それからしばらく木々の間を進むと、視界が開けた場所に出た。
どこか見覚えのある景色。
そこは、星降りの丘だった。
満天の星空が広がっている。思わず息を飲む、幻想的な光景。
空のあちこちで、流星が踊っていた。
天然のプラネタリウム。足は地についているのに、宇宙に近づいた気がする。瞬く星々に囲まれているようだった。
近くに、闇夜に映える葦毛の馬体と、白銀の翼を生やした月毛の馬体が見えた。
二頭の馬は、まるで踊るようにステップを踏みながら円を描いてぐるぐる回っていた。
ミドリとケンタロウはゆっくりと馬たちに近づいていく。
シルバーライトは意外にも面倒見の良い馬のようだ。シルバーライトのおかげでクレセントを助けることができたし、慰めにもなった。
一時はどうなることかと思ったが、クレセントの状態は大丈夫そうだ。元気に動き回っている。
ミドリは馬たちにある程度近づいたところで、足を止めた。自分はここまで。
ケンタロウがミドリのことを振り返る。ミドリは彼に向かって小さく頷いた。それを確認したケンタロウが、クレセントのほうへ歩み寄る。
シルバーライトが輪を外れてミドリのほうへやってきた。ミドリは手綱を取り、シルバーライトの額を撫でてあげた。ミドリも鼻高々の自慢の馬だ。本当によくやってくれた。明日は好物のリンゴをプレゼントしてあげよう。
ミドリはシルバーライトと一緒に、ケンタロウとクレセントの様子を見守る。
ケンタロウとクレセントは、すぐ近くで見つめ合っていた。翼を生やしたクレセントの姿は神々しいが、その少し幼く見える顔は、ケンタロウの弟の顔に他ならない。
二人は種族の壁を越えた兄弟だった。
空では星々が煌めいている。
ミドリは知らぬ間に自分の頬を伝っていた涙を、服の袖で拭き取った。約束したんだ、この日は泣き顔ではなく笑顔で見送ると。
ケンタロウが小声でクレセントに言葉をかけた。どんな言葉を囁いたのか、ミドリの耳には届かない。
それでいい。
今日は、二人の夜だ。
夜空に複数の流星が一斉に線を描いた。
クレセントが大きく嘶き、翼を左右に広げ羽ばたいた。
ちょっと寂しげなケンタロウの背中越しに、クレセントが走り出す。
丘の斜面に向かって走り、そして飛んだ。
力強く羽ばたくクレセントの体が上昇していく。
流星の空をバックに、クレセントは飛び去った。
神秘的な光景に、ミドリの体が震えた。
空中から何か小さなものが降ってくる。
それは、一枚の煌めく羽根だった。
ケンタロウがクレセントからの贈り物であるその羽根を受け取った。
それは二人が築いた、絆の証だ。
人と馬の、物語。
その一つの結末が、ここにあった。
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