怒りの蹄
「ううっ」
トラックの荷台の中にいるクレセントを襲った人間の一人が、呻き声を上げて身じろぎした。
ケンタロウはそいつに近づいていき、拾い上げたライフルのグリップ部分でこめかみの辺りを殴りつけた。そいつは横倒しになって動かなくなる。
「こいつら、よくも」
「ちょっと、ケンちゃん。今はそれよりクレセントを」
怪しい連中に起きてこられるのも困るが、ミドリはケンタロウが乱暴するところを見たくなかった。
クレセントはまだ、力が抜けて横になっている。
背中から、大きく、そして美しい、一本一本の羽根が折り重なった天使のような翼が生えている。本当に翼が生えたのだ。ミドリはその翼にそっと触れてみた。柔らかな感触がある。
クレセントには最後にこんな形で人間の愚かさを味わわせることになってしまった。ミドリはそのことが残念でならない。美しい流星群の夜が、台無しだ。
トラックの外ではなにやら言い争っているような声が聞こえている。
「この所業は、シガサキさん、全てあなたが仕組んだものであるということで、よろしいですね?」
サツキが刺々しい口調で言った。
「仕組んだなんて人聞きの悪い。私はただ天馬というものを一目見てみたかっただけだ」
シガサキは微笑みながら話すが、それは人を不安にさせる類の笑みだ。
「こんなことをして、許されるとでも?」
「罪人を裁くには、証言が必要だ。私ときみたち、警察は果たしてどちらの証言を聞き入れるかな?」
シガサキはクックックッと笑った。カズマはそんな笑い方をする人間を現実で初めて見た。
「シガサキさんと言いましたか?」
カズマが口を開くと、シガサキが視線を寄越した。
「あなたは、天馬という存在がどういうものか、理解できていますか?」
シガサキの顔が無表情になる。質問の意味を考えているようだ。
シガサキは答えた。
「世にも珍しい、翼の生えた馬だ」
「残念。不正解」
サツキが何か言いたそうな顔でカズマを見たが、ぐっと我慢した。
カズマは話す。
「天馬の翼は、人と馬の絆の結晶だ。かけがえのない絆を結び、その結果として表れるもの。今夜は絆を築いた人と馬にとっての大切な夜。あんたはそれを踏みにじった。天馬を目にする資格もない、あんたが」
「そんなに褒められても何も出ないよ」
シガサキはニカッと歯を見せて笑ってみせた。
すかさずサツキが喰ってかかろうとするが、カズマはその前に言う。
「俺はあんたに説教垂れるつもりはない。ただ、一つ言っておこう」
カズマの中で沸々と怒りが噴き上がった。
「これ以上彼らの邪魔をするつもりなら、許さない」
カズマの静かな迫力を含んだ声に、さすがのシガサキも押し黙った。
シガサキの顔から笑みが消え、少しずつその顔に本性が露わになっていく。
「もうすぐここに警察が到着します」
サツキがあとを繋いだ。
「その時、正直にご自身の罪を告白してもらえますか?」
「私の罪? 天馬を連れ去り、私のコレクションに加えようとしたことかな?」
「そうです」
サツキが一歩前に出た。どうやら彼女は何か考えがあるようだ。
「警察にその通りに話してください」
「私は罪を被るためにわざわざ出てきたわけではないよ」
「そうですか。だけどここに、証拠があります」
サツキが上着のポケットから手の平サイズのデジタル機器を取り出した。
それを見たシガサキがはっと息を飲んだ。
「私が記者であるということをお忘れですか? あなたの先ほどの発言は全て、ここに記録されています。どうか塀の中で罪を償ってください」
「……貴様!」
シガサキが悪魔のような形相になり、今にも飛びかかってきそうな体勢になった。
カズマはサツキの前に出て庇おうとしたが、その前に高らかな嘶きとともに銀色の光が飛来した。
「うわっ!」
シガサキはみっともない声を上げてその場に尻もちをついた。
そこへ、やってきたシルバーライトが覆い被さるように四つ脚を置く。蹄鉄のついた前脚を上げ……。
「や、やめろ。やめろおおお!」
横になっていたクレセントが上半身を起こした。少しずつ、体に力が戻ってきている。ミドリとケンタロウはその様子をじっと見守った。
荷台の入り口から、カズマが顔を見せた。
「馬の調子はどう?」
「はい。大事には至らなかったようで」
「そうか。よかった」
カズマは一度外のほうを確認し、再びミドリたちのほうを向いた。
「もうすぐここに警察が到着する。可能なら、きみたちにはその前にこの場から離れてほしい」
「えっ、それって」
「今日はきみたちにとって大切な夜だ。邪魔が入ってしまったけど、まだ星は流れてる」
カズマが優しく微笑んだ。
「こういうのはどうかな? 拉致された馬は事故を起こしたトラックから脱走し、行方不明。どんなに探しても見つからない」
ミドリはケンタロウと顔を見合わせる。その言葉で、カズマの意図が理解できた。
「あとのことは僕たちに任せて、行っておいで」
ミドリはカズマの心遣いに感謝した。
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