第2話

その日、お義父さまはお勤めに出ていて、晋太郎さんはいつものように、奥の部屋に籠もっていた。


私はお義母さまとお祖母さまの三人で、いただいた甘納豆をつまんでいる。


「ところで志乃さん」


ふいにお義母さまは言った。


「晋太郎とは、仲良く出来ていますか?」


「えぇ、それなりに……」


ほとんど話しなんてしていないけど、喧嘩もしていない。


なにしろもう夫婦になってしまったのだから、あの人にとってもこれ以上、どうということもないのだろう。


私にしたって、なにが正解なのかも分からない。


お茶をすすると、お義母さまはお祖母さまと目を合わせた。


「晋太郎の所にも、これを持っていってやって」


そう言って、取り分けた甘納豆を懐紙に乗せる。


晋太郎さんのものだという大きな湯飲みを渡され、初めてそれに触れた。


私の手には大きくて重すぎる根岸色のごつごつとしたそれを、盆にのせる。


「いってらっしゃい」


そう促されて、私はこの家へ来て初めて、晋太郎さんの自室となっている奥の部屋へ足を向けた。


北に向かう廊下は冬でも少し湿っぽくて、ツンとした冷たさが足袋を通して体の芯まで響く。


ここは屋敷の中でも、特に静かな場所だった。


緊張なのか寒さのせいか、かじかむ手で板戸を開く。


広い縁側と、それにかかる屋根の庇が大きく庭に向かって伸びていた。


庭は綺麗に掃かれた何もない質素な土だけ庭で、その人はそんな小さな庭を前にして、書架に広げた本を静かに読んでいる。


晋太郎さんは日々を仕事と道場の手伝いとに費やし、時折どこかに出かけていた。


この奥まった部屋にじっと籠もっていれば、同じ家にいてもほとんど顔を合わせることはない。


家にいる時には、晋太郎さんはこの部屋から出ることはほとんどなかった。


「お茶をお持ちしました」


盆ごと差し出す。


晋太郎さんはそれをちらりと見ただけで、何も言わず視線を本に戻した。


日のよく降り注ぐ縁側は、風さえなければ冬でも暖かい。


「……。何をお読みになっているのですか」


用は済んだので、戻ろうと思えば、すぐに戻ってもよかった。


祝言の日とその翌朝に言葉を交わして以来、この人の顔もろくに見ていない。


何を話そう、なんて話そう。


年上の大きな男の人を相手に、どう接していいのかも分からない。


無意識にぎゅっと拳を握りしめる。


「もう下がっていいですよ」


本から離れた手は、ただ盆を引き寄せただけだった。


大きな湯飲みを軽々と持ち上げ、視線を本に向けたまま口をつける。


そう言われて、緊張で固まっていたのが少しほぐれた。


小さな庭は白壁に囲まれていて、壁際にわずかに常緑樹が植えられている他は、地面がむき出しになっていた。


何を話そうか話題を探してみたけれど、それすら思い浮かばない。


仕事のことも、たまにいく道場の師範としての手伝いのことも、全部お義母さまから聞いて知っている。


「では、失礼します」


立ち上がろうとして、続きの奥の部屋にずらりと箪笥の並んでいるのが目に入った。


「まぁ、立派な箪笥がこんなに。ずいぶんたくさん置いてあるのですね」


掃除の時にも、この部屋に立ち入ったことはない。


ふらりと近寄る。


「とっても素敵。ここには、何が入っているのですか?」


「触るな!」


引き出しに手を掛けようとして、その声にビクリと手を引っ込めた。


「いや、大声を出してすまなかった。しかしそれには触らないで欲しいのです。できれば……そのままにしておいてください」


「は、はい! すみませんでした」


ろくに返事も出来ず、ペコリと頭を下げる。


そこを逃げ出した。


そんな急に、突然あんな大声を出さなくてもいいじゃない! 


私はただ単に、並んでいた箪笥が見たかっただけなのに……。

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