第1-2話 青いリボンまであと何秒?

 

「いいね……ここまで自己ベストマイナス5秒……!」


 名神高速に乗り換えたわたしは、大阪府に入り、市営地下鉄の高架をアンダーパスする。

 前回の反省を踏まえ、加減速を繰り返すより、一定の速度で走るように気を付けていることが功を奏しているようだ。


 この辺りは道幅も広く、比較的真っすぐなので、あまりコース取りを気にする必要はない。

 そもそも、左側の車線が人力車や荷車を曳く場合に走る車線、右側の車線があたしのような背負いもしくは手持ちで小さな荷物を運ぶ場合に走る車線と決められている。


 15人ほどの乗客が乗った大型の人力車や、淡路島産の玉ねぎを満載した荷車を曳いた男子が、時速50㎞ほどの速度で左側の車線を走り抜けていく。


 わたしも学校にある荷車を一度曳かせてもらったことがあるが、重すぎて走れなかった。

 男子は男子で凄いのである。


 気分よく走るあたしの左手に大きなスタジアムが見えてくる。

 白銀に輝く箱形のスタジアムは、この辺りのランドマークで……京都に至るメインルートの中間点。


 あたしは横目でスタジアムを見ながら、そのすぐ近くを通る高架道路を走り抜ける。

 大昔の博覧会のシンボルであるへんてこな塔を過ぎて、片側3車線に広がった高速道路を気持ちよく駆け抜ける……左から新緑が輝くなだらかな山が迫ってくると、来たっ!

 ここが勝負の分かれ目である。


 この辺りから道幅は狭く……勾配が急になり、カーブもきつくなる。

 三車線の直線道路を快調に飛ばしまくって来た子は、一気にスタミナを持っていかれ、大減速する。


 綿密な事前シミュレーションを繰り返したあたしは、定速走行を意識し脚を残しておくことで、ここで一気に記録を伸ばす作戦に出たのだ!


「はふぅ……この坂、無理やわぁ~」


 前を走っていた少し大きめのバックパックを背負った制服姿の女の子 (大阪の有名な私立高校の制服だ)が、バテてしまったのか目に見えて脚の動きが遅くなる。


 申し訳ないけど、彼女でタイミングを計らせてもらおう。


 あたしは彼女の後ろ、スリップストリームを使える場所に着き、息を整える。


 30秒間の全力ダッシュ……十分に余力を残した太もも、ふくらはぎ、足裏にふわり、と波のようなものが溜まっていくのを感じる。


 3、2、1……ここっ!


 あたしはすべての力を足に込めると、ゆっくりと三つ数え、彼女の影から一気に飛び出す。



 バアアンッ!



 軽く何かが爆発したような音がローファーの靴底から響き、あたしの身体は一気に加速する……時速100㎞……110㎞……135㎞!


 ここまで加速できる子は、めったにいないと自負しているあたしの必殺技 (スキル)だ。


 同時に、30秒を目指したカウントダウンを始める。

 ペナルティ対象にならない30秒の間に、京都へ続く坂は越えておきたい……!


「うっそ、なんやあれ……速すぎるやろ……?」


 彼女の声が、ドップラー効果で流れていく。

 息継ぎをする暇さえ惜しい……あたしはひたすら両脚を動かし続けた。



 ゴッ!



 十方山を貫くトンネルに突入する。

 暗さに目が慣れるよりも早く、圧縮された空気の固まりは後方へと吹っ飛んで……。


「抜けたっ!」


 トンネルを抜け、京都上空に広がる青空が見える……沢山の道路がグネグネと複雑に絡み合った大山崎のジャンクションを超え、右手奥に淀の競馬場を望むカーブを過ぎると、ゴールの京都南インターチェンジまであと少しである。


「はあっ……むふっ、イイ感じじゃない?」


 あたしは大きく息を吐き、スピードを緩める……スマートウォッチでの目算だが、制限速度を超えていた時間はおよそ29.7秒……ギリギリを狙った完璧な調整。


 これで、高校デビューしたばかりのあたしが、4月の”ブルーリボン賞”いただきっ!

 あたしはそう確信したのだけれど……。



 びゅんっ!



「はへっ?」


 ふっ、と気を抜いたあたしの横を、赤と黄金の旋風が駆け抜けた。


 ぶわっ、と風に巻かれる見事な金髪……赤を基調としたブレザー制服の胸には、天を指す猫の姿を意匠化したエムブレム。

 ブラウンチェックの膝丈スカートをものともせず、優雅に……なおかつ大きなストライドで繰り出される脚は真っ白なタイツに覆われており、黒のローファーからはキラキラと赤い粒子がこぼれ落ちている。


「っっ!!」


 あたしは思わず息を飲む。

 速度計測アプリが、時速150㎞という信じられない数字を叩き出していた事も勿論だが、彼女が着ている制服に見覚えがあったからだ。


 日本最大の物流会社シロネコムサシが設立した、全寮制の名門高校で、全国トップクラスのメッセンジャーを多数抱えるマンモス高校……!

 部員千人を数える私立神戸白猫学園総合物流部、しかも彼女はその部長の……。


 ピッ!


 京都南インターチェンジの料金支払いレーンを過ぎ、アプリに表示されたあたしのタイムは37分38秒。

 だけど、あたしをぶち抜いていった彼女のタイムは……。


 10秒以上先着されちゃった……インターチェンジ出口の停止信号で、信号が青になるのを待っている彼女の横に並ぶ。


 身体の奥底から湧き出してくる悔しさを押し殺し、隣に立つ彼女をちらりと見上げる。

 170㎝を超える、かなりの長身だ。


「おーっほっほっほっ!」

「貴女、なかなか良い走りでしたが、残念でしたわね!」

「4月の”ブルーリボン・京阪神”は、わたくし、白根小路 麗奈しろねこうじ れいなが獲らせていただきましたわ」


 やっぱり……!


 右ほおに左手の甲をあて、高飛車お嬢様然としたスタイルから放たれる澄んだ声。

 関西最強の私立神戸白猫学園総合物流部、その絶対的エースである部長、白根小路 麗奈!!


「そうそう……時速130㎞を超える加速は、知らず知らずのうちに足首に負担が掛かっているものですから、しっかりとケアをしておいてくださいませ」


 返事すら忘れ、こぶしを握って立ち尽くすわたし。

 彼女……麗奈さんはその凛とした立ち姿とは少々ギャップのあるセリフを残すと、風のように行ってしまった。


「うううううううっ~! くっそおおおおおおっ!!」


 ひとりになった途端、押さえつけていた悔しさがあふれ出す。


 4月のランキングが更新され、あたしのタイムは第二位……。

 あたしは雲一つない青空に向かって、雄たけびを上げたのだった。



 ***  ***


「……へぇ?」

「高校入学1か月で麗奈と12秒差か……」


 京都南インターチェンジを見下ろす位置にある雑居ビル。

 その屋上に、スーツをびしりと着込んだ長身の男がいた。

 無精ひげを生やし、年齢不詳を気取っているが、まだ30歳になるかならないかくらいだろう。


 男は、今月の「ブルーリボン・京阪神」のタイムランキングを見て、感嘆の声を上げる。


「俺たちの日本記録まで30秒か……面白い奴が出てきたんじゃないか?」

「なあ……空?」


 男は晩春の青空を見上げる。

 吐きだされた言葉は、さわやかな風に吹かれ、ビルの谷間を流れて行った。

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