利害なきベッド

目箒

第1話 うっかり寝てしまった

 隣の部署の武藤さんとうっかり寝てしまった。

 長崎大樹ながさきだいきは知らないベッドに自分と入っている「仕事の鬼」の寝顔を眺めながら、そんな実感がじわじわと湧いてくるのを覚えている。武藤朝陽むとうあさひは確か自分より5歳くらい上の34歳だったと記憶しているが、寝顔は自分よりよっぽど年下に見える。大学の時、後輩と飲み明かして雑魚寝して、自分が一番最初に起きた時のことをなんとなく思い出した。


 大手……と言う程ではないにしろ、そこそこ人数のいる会社の中で、長崎と武藤がお互いを知っているのには理由があった。武藤は社内にその名を轟かせている「仕事の鬼」。非常に優秀で上司の覚えもめでたい。ただし、全然優しくない。他人のミスは容赦なく指摘する。それをあげつらって何か言うことはない。本人の仕事はほぼ完璧だし、彼のミスを見つけられるのは彼だけで、上席すらそれに気付かない。


 ただし、全然優しくない。


 それに比べたら長崎の方など可愛い物だ。割り切った関係を持っている女の子が社外に5人いると言うだけ。それは何故か知られている話で(長崎は自分から言っていない)、武藤にも知られていた。何故それを長崎が知ったかというと、昨晩の飲み会の席で話を振られたから。


(だって、そーゆーことって男友達とはできないし)


 男友達とは飲み歩いたり映画見たり馬鹿みたいな話したり。ありとあらゆる自分の内面をさらけ出して笑い話にしているけど、性行為だけはできない。だから、性行為もする友達が欲しかった。たったそれだけの理由だ。

 別に、過去に印象に残るような性的な何かがあったわけではなく、単に自分はどうしても世間一般で言う性の規範に馴染めなかっただけなのだろう。


 隣の部署で、男。武藤は部署内から恐れられているし、長崎は女子社員から少しだけ警戒されている(それと同時に、言い寄ってくる人もいるけど、彼は仕事関係の女性とだけは関係を持たないと決めていた)。

 2人がお互いを警戒する理由は何もなかったのだ。


 その結果が、これである。長崎は何があったかはっきり覚えている。部署の合同の飲み会で、「変わり者同士」の名目で隣同士にされて、なんとなく話は弾んで。二次会に参加する気にはなれなかったので、2人とも一次会で集団から外れた。多分、二次会では自分たちの話が酒の肴になるのだろう。


「飲み直しませんか?」

 でも、長崎はそれで良かった。だったら、武藤と2人で飲み直した方が良い。なんとなく話が弾む武藤と。武藤も長崎とは気楽に話せると思っていたようで、たまたま見つけたバーで飲み直した。武藤の最寄りで乗り換えようとした時、転んだ酔っ払いを助けて駅員に引き渡したら長崎は終電を逃した。

「泊まっていきます?」

 武藤はそう誘ってくれた。断る理由もなかったので、長崎はありがたくその話に乗った。


 なんだ、優しい人じゃないか。そんな安心感が心に灯った。


 武藤の部屋は、生活感こそあったが綺麗に片付けられていた。流石仕事の鬼……などと思っていると、

「ちょっと窮屈かもしれませんが……」

 と言いながら寝間着も貸してくれた。長崎の方が少し背が高いのだ。部屋にベッドはひとつしかなかった。

「一緒に寝るんですか?」

 酔いのせいなのか、そんな言葉が長崎の口を突く。別にそれでも構わない。だって何だか波長が合う。雑魚寝した友達と同じような気分だ。

「あ、いや、災害用の寝袋があるので自分はそれで寝ますよ」

 そんなものまで用意しているのか……と驚く一方で、一緒に寝られないことを寂しく思う自分にも驚いた。どうやら、噂と実際に話したギャップのせいか、自分は彼の事をとても好きになってしまったみたいだった。なんだ、優しい人じゃないか。話も合うし。今度一緒に遊びに行きたい。映画とか。どんな映画が好きだろう。友達になりたい。

「武藤さぁん」

 そんな甘ったるい声が自分の口から出たことに驚いた。向こうも少し困惑している。

「一緒に寝ましょう。俺、武藤さんのこと好きですよ」

「ありがとうございます」

 彼は苦笑した。


 寝てから自分が抜ければ良い、と思ったのか、武藤は長崎を壁側にして一緒にベッドに入った。シングルベッドに男二人が入るのは流石に狭い。

「狭くないですか?」

「雑魚寝みたいなもんですよ」

「雑魚寝ってこんなに密着するんですか……?」

「時と場所と場合によります」

 酔っ払って友達の脚を枕にしていたことだってあるし、その逆もある。よく事故が起きなかったな……と後になって思ったものだ。

「それじゃ、おやすみなさい」

 武藤はだいぶ眠たげだった。長崎を置いて先に寝てしまう。そのことが、猛烈に寂しく感じられて、

「まって」


 男友達とは飲み歩いたり映画見たり馬鹿みたいな話したり。ありとあらゆる自分の内面をさらけ出して笑い話にしているけど、性行為だけはできない。


 その筈だった。


 馬鹿みたいに相手の気を引きたくて、長崎は武藤の唇を奪ったのだ。


 関係を持っている「友達」とするみたいなキスをして。武藤は目を丸くしてこちらを見ていた。

「目、つぶってください」

「え、長崎さん」

「最後にちょっとだけ付き合ってください……」

「付き合うって……」


 男との性行為の仕方をよく知らなかったから、行為そのものは半端に終わったけれど、コンドーム2枚を消費して2人は夜を明かした。武藤の部屋にもコンドームはあったのだ。

(酒入ってるときの同意って同意じゃないんだよなぁ)

 警察に突き出されるかも。そんなことを考えながら、長崎は武藤の寝顔を見つめた。


 結論から言うと、武藤は長崎のことを通報したりはしなかった。ただ、「忘れさせてください。忘れてください」とだけ言った。

「わかりました」

 そんなの嫌だと言うこともできず、長崎は一夜の宿を借りた礼を述べて部屋を辞した。


 駅までの道がわからなくて地図を開いているところで、迷っているだろうことを察して送りに出てきてくれえたので、改めて優しい人だなと思うなどした。

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