第9話 早朝の朝霧ヨーコさん

「朝霧先輩って、最近すごく生き生きしてますね?」

 なんて話しかけられたのはお昼時間。


 机でお手製の弁当を食べてたら、いきなり後方から話しかけられたわけで


 んで、慌てて振り向くと

 そこには、大卒入社5年目で、ウチの会社の出世株間違いなしのイケメンくんこと、貴水(たかみ)くんが、何やら私の顔をのぞき込んでます。


 思わず目が点な私。


「確かに、朝霧先輩、睡眠がよく足りてるからじゃない?」

 そう言ってきたのは、貴水くんと同期入社で、バリバリに営業こなしてる阿室(あむろ)さん。

「なにせ、最近の朝霧先輩、朝礼寸前駆け込み出社の常連ですもんね」

 なんて言いながらクスクス笑っています。


 うん

 私、彼女からよくこんな攻撃を受けてる。


 まぁね、面白くないと思うよ彼女も。

 私、彼女ほど仕事出来ないしね、事務仕事ばっかだしね、なのに、年功序列のせいで給料彼女より多いしね。


 ま、

 以前だったらここで、カチンと来て言い返しもしてたんだけど、最近の私は、もうね、

 アルカニックスマイルをスキルレベルでマスターしたからね

「ごめんねぇ、最近年のせいか、よく寝れるのよぉ」

 と、言いながら、ニッコリ微笑む。


 ここで、あちらの世界の白狐のヨーコで手慣れたニッコリ笑い。


 なんかそれに、阿室さんったらたじろいでるし

 貴水くんたら……あらやだ、少し頬を赤くしてない? もう、やぁねぇ、あはは。



 まぁでも、夜、夢の中で向こうの世界に行くようになってすごく調子がいい。


 早寝早起きしてるし、晩酌もやめた。夜遅くのジャンクフードも辞めたもんだから、


 お肌つやつや

 髪の毛も生き生き

 そんでもって、この短期間で4kgも痩せちゃったしね


 まぁ、痩せたのには、いつものんべんだらりんと歩いていた通勤を猛ダッシュに切り替えたのに加えて、向こうの世界に持って行くために、荷物を何度も持ち運んだからねぇ……5階の自室までさ。



 で、まぁ、そんな私に何か用事かな?


「あぁ、朝霧先輩、今度夏祭りあるじゃないですか、僕も友人と一緒に行くんですけど、一緒にどうかな、と思って……」

 そう言って笑う貴水くん


 んで、

 その向こうでなんか嫌そうな顔の阿室さん


 うん、阿室さん、大丈夫よ、安心して。


 私、貴水くんに、アルカニックスマイルでニッコリ笑いながら

「ごめんね。おばさんなんで、夜が弱くてねぇ」

 そうお断り。



 なんか、戻っていく2人が

「……お前がおばさんなんていうから断られちゃったじゃないか」

「だ、だって……」

 なんてボソボソ話が聞こえたような気もするけど、気にしません。


 今の私は、こっちの世界のことよりも、向こうの世界での生活の方が楽しいんですからね

 ……でも、イケメンのお誘いは、もったいなかったのかな? ま、いいけどねぇ。


◇◇


 今日は比較的余裕で帰宅できた私は、家の事を済ませると即座にベッドへ。


 ちなみに、今は20時を少し回ったところです……あはは

 帰りに、スーパーのヘローズで買った食材ととともに横になった私ですけど、さすがにすぐには寝付け


◇◇


 ……ないと、思ったんだけどなぁ


 パチッと目を覚ました私は、白狐なわけです。

 ベッドから起き上がると、まだ外は夜明け前……そっか、あれくらいに寝れば、こんな時間ってことか。


 でも、単純に、向こうの世界と同じ時間が流れているわけではなさそうなのよね。


 元の世界の

 夜の22時くらいに寝ると、朝の6時くらい、

 夜の0時くらいに寝ると、朝の7時くらい、

 夜の20時に寝ると、こうして夜明け前……朝の4時くらいかしら?


 と、到着時間には大きな差はないんだけど、


 元の世界の朝8時頃に目が覚める時って、こっちの世界では、だいたいだけど、夕方の5時から6時くらいな感じ。


 つまり、

 元の世界では8時間程度しか経過していないのに

 こっちの世界では11,2時間経過してる感じね。


 あくまで体感だけど

 こっちの世界での時間の方が数時間長い感じかしら……

 なんでそうなるんあだろう、と少し考えてみたんだけど、正直さっぱり検討がつかないし、それに私的にはむしろ嬉しいことなので、あまり深く考えないことにします。



 さて、私はクロガンスお爺さんに教えて貰った魔法灯という持ち運び式の灯りに火を灯します。

 これも例の魔石で光る魔具というものだそうです。

 昨日、温水魔石を入れ替えたついでに見て貰ったんですけど、幸いこの灯りの魔石はまだ当分使えそうだったのよね。


 私はその灯りを頼りに部屋着に着替えると、それを持って台所へ移動。

 そこで、ヤカンに水を入れると、魔法調理具という、これも魔石で動いている調理台に火をつけて、それでお湯を沸かします。

 紅茶のティーパックは持って来ているので、それを入れて飲もうかな、って



 でも、こうして見ると

 私の世界では、電気が普通に行き渡ってて必需品になってるんだけど

 こっちの世界では、その代わりに魔石っていうのが生活に深く浸透しているんだな、って、つくづく思ったわけです。



 そうして、お茶の用意をしながら、

 その横で、食材を並べていきます。


 強力粉の袋に瓶入りのイースト、食塩と砂糖の袋……ちゃんとホームベーカリーも持って来たわ。

 えぇ、今日はパンを焼いてみようと思っています。


 というのも

 昨日お邪魔したラミアのラテスの食堂ででた、あのパン。

 とても固かったんだけど、クロガンスお爺さんやテマリコッタちゃんが何もいわなかったところを見ると、この世界ではあのパンが普通なんだなって思った訳です。


 でも

 もし、こっちの世界で、ふわふわのパンを焼くことが出来たら……

 そして、それをラテスに教えてあげることが出来たら、あのラテスのお店の美味しいランチがもっと素敵になるんじゃないか……そんなことを思ったわけです。


 さて、

 簡単な手順はメモしてきたから……っと、よしよし、材料と一緒にメモもちゃんと入ってるわね。


 私はそのメモを見ながら、材料を混ぜ合わせてコネコネコネコネ……

 ふふ、この作業は、テマリコッタちゃんと一緒にやったらすごく喜んでもらえそうね。


 さて、そんなことを考えながらおよそ10分

 生地をしっかりこねた私は、生地をひとまとめにして、さぁ、あとはホームベーカリーへ突っ込むだけ。

 この機械、すっごく前に買ったやつだから、材料をこねるまでしないと駄目なのよねぇ……ま、それだけ頑張ったって言う実感が得られるから良いんだけどね……さて、コンセント、コンセント……


 ……コンセント


 ……コンセント!?


 私、ことここにいたって、やっと自分が大失敗を犯していることに気がつきました。


 この世界に、電気なんてないじゃないの!

 ホームベーカリーなんて、動くわけないじゃないの!


 思わず、ず~んとなって床につっぷする私。



 しばしそのままお待ちください。



 ……あ、待って

 そういえば、フライパンでパンを焼く方法って、なんかあったわよね……


 私、

 必死になって頭を動かします。


 久しぶりにパンを焼こうと思って、会社のパソコンで仕事中にこそっ……げふんげふん、いえ、なんでもないのよ……とまぁ、あれこれ調べてた際に、確か見た記憶があったのよね……


 私は、起き上がり、1つに集めてある生地を見つめながら、フライパンを魔方調理具へかけていきます。


 えっと、まずは暖めて、一次発酵を……


◇◇


 もうね、

 すべてうろ覚え


 そのため、なんか思ったのとはかなり違う見た目になっていますけど、


 はい


 どうにかパンらしき物がやきあがりました。



 昼間、勤務時間に、ゲフンゲフン、いえ、なでもないんですよ……ちょっとネットで調べていたおかげで、こうしてどうにか形になったパンですが、私はそれを、皿にのせ、煎れたばかりの紅茶のカップと一緒に手にとって、ベランダへと出て行きます。


 ベランダへは、一度玄関をでないと行けません。

 さて、戸をあけて……と、思ったら、あらら、両手が塞がっています。


 私は、お行儀悪いですが、パンののったお皿を口でくわえると、左手でドアをあけました。


 ドアは、すぐに開きます……やはり、昨日は鍵を閉めないで、自分の世界へ戻っていたようです……あはは。


 さて、

 ドアをあけ、家の前を歩いた私は、ベランダへの短い階段をあがります。


 そこには、小さな机と椅子が2つ。


 こじんまりとしたスペースですけど、ちょっとお洒落な感じがしてて、私は好きなのよね、ここ。

 テーブルの上にパンの皿を紅茶のカップを置くと、私はおもむろに椅子に座りました。


 パンを焼いている間に

 夜の闇はすでに白み始めていて、徐々に明るさを増しています。


 山際の雲が、赤やオレンジに染まりながら、ゆっくり姿を変えていく。


 椅子に座った私は

 その光景をただ、ジッと見つめます。


 まだ、朝早いからか、風はほとんどふいていません。


 そんな中、私は、紅茶を口に運び

 焼きたてのパンを食べながら、のんびり空を眺めています。


 元の世界では

 ただの一度も、こんな時間は過ごしたことがありません。


 

 なんだか、

 すごく素敵な時間を過ごしている……そんな気持ちでいっぱいです。



 パンを半分ほど食べたところで、紅茶を飲み干した私は、おかわりを煎れてこようと、席から立ち上がりました。


 すでに、お日様は昇っています。

 時間にして、朝の6時くらいでしょうか。


 ベランダを降りたところで、私はふと足を止めました。


 気のせいか

 山の方から誰か歩いてくるような気がします。


 その場に立ち止まって見ていると、その人影はずんずん私の家に向かって近づいていきます。


 そして、顔が見えるくらいに近づいたところで

「おはようございます。朝がお早いんですね」

 その人はそう言いながら私に軽く一礼しました。


 誰でしょう?

 見覚えが全くありません。


 昨日行った街でも、見かけた覚えのない顔です……


 少し警戒しながらも私

「えぇ、今日はたまたま早くに目が覚めたもので……」

 それだけ言うと、その人物をジッと見つめます。


 この人、犬です。

 犬が人の姿で立っています。

 黒い毛並みが綺麗ですが、ちょっと太めな感じかな。


 で、その人犬さん。

 私が警戒しているのに気がつくと、


「あぁ、これは失礼しました。初めてお会いする女性に名乗っていませんでしたね。

 自分はガークスと言います。ワルコスの子供です」

 そう言うと、改めて軽く頭を下げました。


 あぁ!

 はいはい、わかりました。

 

 門の警備をしていた人犬のワルコスお爺さんの子供さんなんですね。

 昨日はお話ししかお聞きしてなかったから、全くわからなかったわ。


 私は、ようやく安堵して肩の力を抜くと

「初めまして、ガークスさん。私はヨーコと言います。

 昨日は、ワルコスお爺さんにとてもよくしていただいたんですよ」

 そう言い、ニッコリ笑いました。


◇◇


 私は、せっかくですから、と


 ガークスさんをお茶に誘いました。

 最初は固辞されていたガークスですけど、

「そうですか……そ、それでは……」

 そう言いながら、椅子に腰掛けます。


 私は、紅茶を2人分準備してベランダへ戻ると、カップをガークスさんへ差し出します。

「さ、どうぞ。よかったらパンも召し上がってくださいな……その、ちょっと失敗していて恐縮なんですが……」

 私がそう言って苦笑していると

「今日は夜間警邏で、この一体を回った帰りだったんですよ。

 それで爺様に、この家に人が住み始めたとお聞きしましたので、ついでに様子を見ておこうと回ってきたのですが……実はもう、腹ぺこでして……どうぞと言っていただけるのを、お茶をお待ちしている間中、心待ちにしていたのです」

 そう言いながら、恥ずかしそうに笑いました。


 そして、すかさずパンに手を伸ばしたガークスさん

「え? これがパンですか?」

 そう言いながら、手に取ったパンをマジマジと見つめます。

「こ、こんな柔らかいパン、初めてみました……っていうか、これ、本当にパンなんですか?」

 ガークスさん、目を丸くしながら、そのパンをなんども見回していきます。

 私は、そんなガークスさんに

「えぇ、少し失敗していますけど、私のところで食べられているパンなんですよ」

 そう応えました。

 すると、ガークスさん、それをもむろに口へいれてパクリ

「んん!? これは美味しい! こんなに柔らかくて美味しいパン、ラテスの店でも食べたことがありませんよ!?」

 ガークスさん、思わず立ち上がりながら感動なさってます。


 私的には、大失敗したのを急遽ごまかして作ったパンなので、その高評価は正直心苦しいのですが……


 そんな私の前で、ガークスさん

 残っていたパンをあっと言う間に食べ尽くしてしまいました。


 と、

 そこでガークスさん、

「あぁ!? し、しまった!?」

 そう言いながら、また立ち上がります……こ、今度はどうなさったのかしたら?

「自分、あまりのおいしさに、夢中になってしまい、ヨーコさんの分まで全部食べてしまいましたぁ!?」

 そう言いながら頭を抱えるガークスさん。

 

 な、なんだそんなこと。


 私は、思わず苦笑すると、

「大丈夫ですよガークスさん。私はもう食べて終わっていますので」

 そう言葉を掛けていきました。

 それを聞いたガークスさんは

「いや、それを聞いて安心しました……すいません、どうも自分、美味しい物には目がないもので……」

 そう言って、恥ずかしそうに笑うガークスさん。


 ふふ、

 とてもいい人みたいね。


 その後、私達は、お茶のおかわりを数回し、景色を楽しみながらしばしのお茶会を満喫しました。


◇◇


「3日に1度はこのあたりを警邏しています。

 何かご用事がありましたら、玄関に赤い旗を出しておいてくださればノックしにまいりますので」

 ガークスさんは、そう言うと、何度も振り返りながら街への道を帰っていきました。



 結構な時間お話していたように思いますけど、まだまだ朝は早いようです。


 ガークスさんの姿が森の中へ消えるまで見送った私は、

 家に向かって振り返ると

「さて、まずは畑の草抜きから1日を始めましょうかね」

 そう言って、腰に手をあてます。



 この日の、この世界での1日は、始まったばかりです。

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