悪者とお姫様

三浦常春

悪者とお姫様-1

 久し振りに帰省した。大学四年生、二十一歳の夏のことだ。


 久し振りと言っても、ほんの三年帰らなかっただけだし、その期間、何があったという訳ではない。ただ何となく、気が乗らなくて帰らなかっただけなのだ。


 ××県の奥地。電車もバスも通らず、主な移動手段は徒歩か車。最寄りの駅(ただし実家から車で三十分は離れている)まで両親に迎えに来てもらい、舗装の荒い小道を跳ねながら進む。


(ああ、荷物にでも戻った気分だ)


 青い稲のなびく田んぼ。窓を閉めても聞こえるセミの声。昔と何も変わらない。


 かつて『己の容姿は老いるが故郷の景色は変わることがない』と謳った歌人がいたが、半分その通りだと思う。


 落ちて下着までぐちゃぐちゃにしたことのある田んぼには不似合なソーラーパネルが鎮座していたし、ふやけたミミズの穴場スポットにもおしゃれな平屋が建っていた。


 背伸びをしてワンピースを着て、母親の化粧道具を拝借して、理想の「大人」に着飾った自分。目前に広がる潰れた田んぼと、何が違うのだろうか。


「そういえば、アンタが小さい頃に仲良くしてたサヤちゃん、いるでしょ?」


「んー」


「あの子、結婚したよ」


「……マジ?」


 サヤちゃんとは、幼い頃に遊んでいた女の子だ。まっすぐで艶やかな黒髪が印象的だったのを覚えている。その容姿から、ごっこ遊びではキュアホワイトを担当することが多かったが、本人はキュアブラックの方が好きという少し変わった子だった。


「アンタもそろそろいい人探しなさいよ。行き遅れても知らないから」


「六歳の時にお雛様をしまい忘れた所為でしょ、結婚できなかったら」


「まだ覚えているの、そんなこと。しつこいわねぇ」


 悪かったって言ってるじゃない、とハンドルを握る母が唇を突き出す。


「だいたいねぇ、あの時はアンタがしまわないでって駄々を捏ねるから……」


「はいはい、何度も聞いたってー」


 振動した気がして、スマートフォンに目を落とす。明るくなった液晶には、新着メッセージを告げるポップアップが写されていた。東京でできた友人からだ。帰省するとは伝えてあったはずだが、「今日、暇?」と連絡が入っている。


 返信をするのも億劫で、私はスマホの電源を落とすとバッグに押し込んだ。


「ねえ、今日のご飯は何?」


「んー、何にしようかしら。久し振りにアンタが帰って来たことだし、出前でも取ろうかな」


「えっ、出前ってタキおじさんのところの寿司屋? まだ生きているの?」


「ピンピンしているよ。奥さんは一年くらい前に亡くなったんだけどね、それからますます元気になっちゃって。何でも、思い出話の百や二百を持って行かないと怒られるって」


 私の実家は田舎にある。ご近所付き合いはそこそこ親密な方で、タキ夫妻には何度も夕飯をごちそうになった。


 一人っ子だった私を、まるで本物の孫のように甘やかしてくれて、お菓子の食べ過ぎでお腹を壊した時には、私と一緒に母の前で頭を垂れていたことを思い出す。


「そっか、死んじゃったんだ……」


 都会の喧騒に紛れていた思い出がふつふつと顔を出す。あれから十年近く。もう二度とあの頃に戻ることはない。


「後でおばさんのお墓、教えて」


「おじさんのところにも顔を出したら?」


「……夕飯はアタシが取りに行く」


 出前じゃなくなるけど、たまにはおじさんだって楽をしてもいいはずだ。言い訳をつけてそう口にすれば、母は肩を揺らすのだった。


 車に揺られること、きっかり三十分。久方ぶりに踏み入れる家の敷地では、丁度ユリの花がぱっちりと目を開けている。


 誕生樹として植えたというツツジも、ポストに寄りそう岩も、何一つとして変わりない。まるで時間が止まっていたかのようだ。周辺との差に眩暈がする。


「荷物は? これだけ?」


 後部座席からリュックサックを取り出した母が言う。頷くと、


「相変わらず荷物少ないわね……ほんと、お父さん似なんだから」


「今日は多い方だよ。着替えとか入ってるし。普段は財布とスマホしか持ってない」


 近頃は電子決済に対応した店舗も増えてきたから、財布の必要性が危ぶまれている。じきにスマホだけを持って外出するようになるかもしれない。


 信じられないとでも言いたげに眉根を寄せる母。「化粧ポーチくらい持ちなさいよ」――ごもっともな意見に、小石を蹴って応じた。

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