その19 過去からの刺客

 

「……ベレト」


 思わず悠季の唇から転がり出た言葉。

 それは直感だった。

 あいつの気配は、葉子の中で幾度も感じた。

 それだけじゃない。サイコダイブのずっと前から――

 あいつの気配は、確かにあった。


 そんな悠季の呟きを聞き逃す広瀬ではない。


「ベレト……?

 向こう異世界の知人か」


 しかし悠季には答えられない。

 ――そう簡単に、答えられる過去ではないから。


 悠季が沈黙すると、すぐに広瀬はみなとに視線を向ける。

 みなとは若干困ったように眉を顰めたが、答えられる範囲で答えた。非常に言いにくそうではあったが。


「あ……兄さんの、お友達です。

 えぇと……その、既に、亡くなられていますが」

「そうか。

 ――すまん、神城。悪いことを聞いた」


 広瀬は少し眼鏡を押さえつつ、素直に謝罪する。

 しかし悠季はすぐに気を取り直し、顔を上げた。



「いいって。

 それより分かんねぇのは、どうしてベレトが……

 あいつが、この世界に来たのかってことだ。しかも葉子の中に。

 あいつ――死んだはずなのに」



 そう口にしてすぐに、両手でぐしゃぐしゃ前髪をかきむしって呻く悠季。

 自分でもはっきり、心が乱れているのが分かる。

 割り切ったと思っていたのに。もう、過去のことだと――

 葉子に何度も引っ張り上げられて、俺は生まれ変われた。そう思っていたのに。

 それでもあいつは、俺の過去は、執拗に俺を追いかけて離さない。

 こっちの世界現実世界に来てまでも、俺を追ってくる幻影。

 しかもその影は多分、ベレトだけじゃない。

『あの野郎』は未だに――ベレトから離れていないんだ。



 黙り込んでしまった悠季に、広瀬がそっと声をかけた。


「……神城。

 話せというのは酷かも知れんが、出来るだけ話してほしい。

 大事なことなんだ。天木さんにとっても――そして、我々にとっても」

「我々?

 どういうことだよ。俺の過去とあんたらと、何の関係があんだよ!」


 思わず机を叩きそうになり、ぐっとこらえる悠季。

 放っておいてほしかった。ベレトのことは葉子にさえ、打ち明けるのは辛かったのに――


 しかし広瀬はいつもの冷静さを頑なに保ったまま、机上のデータを指し示す。

 ベレトの影が色濃くプリントアウトされた、黒い斑点の集合体を。


「少し気にかかったので、管理局でもデータをさらに分析してみた。

 そうしたら、ろくでもない事実が判明してな」


 何もったいぶってんだよ。さっさと言えよ!

 そう叫びたかったが、何とかこらえた。こらえるしかなかった。

 心配そうに悠季を見守るみなと。何も言わず天井を睨む三枝。

 そして広瀬が告げたのは。



「神城。あのケイオスビースト戦で、1体だけ殲滅出来なかった個体がある。

 6体出現した『スレイヴ』、そのうちの1体だ。

 殲滅直前でお前がビーストに食われ、そのままそいつは湖に消えた

 ――そいつの発していた音声の解析結果と、天木さんの脳波分析で出てきたこの謎の人物の『声』。

 それが、何故か酷似していたんだ」




 ******




 悠季が出て行ってからも、私はなかなか起き上がれず。

 三枝先生の診察室で、寝かせてもらっていた。

 うとうとしていたら、いつのまにか眠り込んでしまい――



 そして、おかしな夢を見た。



 ここはどこだろう。すごく熱い……

 きらびやかな宮殿の一室に見えるけれど、何故か全てが真っ赤な炎に包まれている。

 豪勢な紅い絨毯の敷かれた広間。その一番奥に、黄金の玉座があった。



 ――炎に包まれた、玉座。

 そこに座らされているのは、小さな女の子。綺麗な紅のドレスを着て、寝かされている。

 その正面に、誰かが立っていた。

 女の子と同じくらいの年齢の――多分、男の子。

 栗色の髪が炎に照らされ、金色に輝いている。


 あれは――もしかして。


 背中しか見えなかったけど、どちらかといえば小さな背、細い首筋。筋肉はそこそこついているけれど、やっぱり細い手足。

 何といっても印象的なのは、その両腕に構えられた、血まみれの大剣だった。

 構えたといっても、子ども一人では持ち上げることすら難しいだろうというほど巨大な剣。

 その柄を、血まみれの両手で握りしめている。刃の先端は床に落ち、既に殆どの部分が血に濡れ、ずるずると引きずった先端から紅の筋が不規則な曲線を床に描いていた。


 とても可愛らしい大きな襟のついた貴族服っぽいブラウスを着ているけど、元の色がなんだったのかも分からないくらい真っ赤に染まっていた。

 元は綺麗だったはずのその服はあちこちが傷だらけで、ズボンは右足が切り裂かれて太ももまでが露出している。ブラウスも裾が切り刻まれ、熱風になびいていた。

 裂けた白い布地が翻り、ほのかに見えたものは、幾つも重なった黒い傷跡。



 ――あの子は、もしかして。

 小さい頃の、悠季……つまり、イーグル?



 そう思いながら、さらに目をこらす。

 熱風になびく栗色の髪。襟足は今より少し長く、青いリボンで無造作に縛られている。

 傷だらけのブラウス。その背中――裂けた布地の裏、両の肩甲骨のあたりで、何かが青く光っていた。

 炎の揺らめきに合わせるように。感情の昂りに共鳴するかのように――

 その青は肩から溢れるようにほとばしり、布を突き抜けてまるで翼の如く光り輝き始めている。

 あの青の光、何だろう? イーグルが元々持っていた力?

 それとも……



 すると、突然私の背後から声がした。

 底冷えのするような、聞いただけで震え上がってしまうような、野太い男の声が。



『……美しい。

 何と美しい……これぞ、至高の芸術。

 イーグル。まさしく今、お前は完成したのだ!!』



 背後からかけられたその声に、少年の全身がびくりと反応した。

 そして初めて、こちらを振り返る――

 あのアメジストの大きな瞳が。



 しかしそれは、いつも私を見て微笑んでくれるあの紫とは、まるで違っていた。

 憤怒と憎悪に燃え滾り、私を――いや、私の背後にいる『何か』を、一心に睨んでいる。

 顔立ちは今以上に愛くるしく、肌も白く鼻も整って、眉も凛々しい。とても可愛くて、思わず抱きしめてしまいたいくらい。

 でも、はっきりと分かる。その身体も服も、恐らく魂までも――その全てが血に濡れ、憎しみに燃えていることを。

 これが……少年時代のイーグルなのか。


 何より印象的だったのは、その瞳孔の周囲に広がった青の光輪。

 あれはイーグルの、術力最大発動を示す光だったはず。この年頃から使えたのか、彼は。

 あの世界ではこういう風に術を発動させるキャラは多かったけど、こんなに幼い頃から使っていたキャラはめったにいなかったはず。それこそ妖魔の末裔とか、太陽王の子孫とか、そういうルーツのキャラでもない限り。

 なのにイーグルの光輪は、炎のように瞳の中で燃え、煌めき、ほとばしっていた――

 あふれ出る涙と共に。



 思わず一歩踏み出そうとしたが、踏み出す足がないことに気づいた。

 私はここにはいない。ここはイーグルの過去だ。

 証拠はないけど、何となく分かる。私は空気のようにこの場に漂ったまま、イーグルの過去を見ているんだ。


 イーグルがこちらを見ながら――私の背後にある『何か』を睨みながら、叫んでいる。

 何故かその言葉は私には聞こえない。声を限りに憎悪をぶつけているはずなのに、何も聞こえない。

 そして、イーグルの後ろで静かに座っている少女は――



 既に、こと切れていた。

 その両目は潰され、真っ赤な血が涙のように頬を汚し、ドレスまで滴っている。

 赤く見えたドレスは実は、元は純白だった血染めのドレスだった。

 きらびやかなブレスレットやネックレスは、全て玉座に繋がって彼女を縛り付けていた。

 もう息をしていない、まだ幼い少女を。



 それが解った途端、私は絶叫してしまった。

 あまりに惨く、恐ろしい光景。私の理解の範疇をとっくに超えていた。



 それでも私の脳裏に響く、誰かの声。

 イーグルの声は聞こえないのに、その声は執拗に私に告げてくる。



 ――どう?

 君はこれを見ても、耐えられるかい?

 これは間違いなく、イーグルの過去だ。

 彼がずっと隠して、ずっと心に押し込めていた過去。

 これはほんの一部にすぎないよ。


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