その9 彼女の中の、彼女「たち」

 

「ねぇ、悠季。私を捨てないよね?

 ベレト君にしたみたいに、酷いこと、しないよね?

 私がずっと駄目なままだったら、悠季は……私のこと、捨てちゃうの?

 私がずっと独り立ちできなかったら、悠季は私を見捨てるの?

 それとも……私が逆に独り立ちしちゃったら、悠季は、私から離れちゃう?」



 悠季の頬に、ぽたぽたと熱いものが落ちてくる。

 それは――眼前まで迫ってきた、葉子の涙。

 顔自体は笑いの形に歪みながら、どういうわけかその目からは次から次へと涙があふれていた。



 嫌だ。見せたくない。

 こんなもの、見られたくなかったのに。

 こんな自分、絶対に見られたくなかったのに――

 言葉には出さずとも、そんな想いが眼の奥からあふれていた。どす黒い赤に侵食されてしまった眼の奥から。



 悔悟と怒りの入り混じった呻きが、悠季の唇から漏れる。



「葉子から、離れろ。

 ベレト……!!」



 そんな悠季の声は意外なまでに大きく、地下道に反響していく。

 瞬間、葉子のすぐ背後に――うっすらと現れた影。

 背丈は悠季と同じくらい。どこか気弱そうな垂れ目に、ちぢれた赤毛が微かに確認できる――

 それは悠季も確かに見覚えのある、少年の影だった。



 ――ふふっ。やっぱりすぐに気づいたんだね、イーグル。

 彼女の中に、僕がいるって。



 お前、どうして。

 そう叫ぼうとした途端、葉子の指に喉元をきつく押さえつけられた。

 息が止まるかというほど強く。



「悠季、お願い。私を見捨てないで!

 ミスする私が嫌なら、もう、ミスなんてしないようにするから!

 貴方が寂しいなら、私、貴方に何でもするから!!

 私には悠季しかいないの。悠季がいなくなったら、私――!!」



 言葉と共に、昂っていく葉子の感情。

 同時に指先からも水面からも電撃が放たれ、それは無数の火花となって悠季の身体を貫いていく。

 身体を内側から裂かれるかのような激痛に、思わず絶叫する悠季。

 それでも葉子は決して、彼を離そうとはしなかった。



「あ……あ、あぁ、ぎゃああぁあああっ!!」

「悠季。ねぇ、ちゃんと言って?

 私のこと見捨てないって、ちゃんと言って?

 私、いつも悠季に確かめられなかった。いつか悠季が向こうの世界に帰っちゃうんじゃないかって思ったら、そんなこと絶対に聞けなかった!

 でも、今なら……ずっと悠季はここにいられる。

 ねぇ、悠季。私のこと捨てないよね? 私を、殺さないよね?」



 あぁ――俺、ベレトのこと、葉子に話さない方がよかったのかな。

 こんなにも……葉子を、怖がらせちまうなんて。

 そりゃ、そうか……俺があんな形で、ベレトを殺しただなんて……葉子が、知ったら……



 薄れる意識の中ぐらぐらと揺れる、葉子の歪んだ笑顔。雷光のような火花が弾け、半透明の葉子の肌が煌めく。

 その身体を通して、背後の影が揺らめくのが見えた。



 ――さぁ、イーグル。君はどうする?

 君のせいで、彼女はこんな風になっちゃったよ?

 君はどうする? やっぱり、殺すかい? 見捨てるのかい?

 ――僕にそうしたように。



 脳裏で反響する、かつての友の声。

 身体に侵入していく、葉子の手。今や周囲の水までが葉子と同化して意思をもち、ゼリー状となって悠季の服の間に侵入してくる。バチバチと軽い電撃を伴いながら。



「ねぇ、悠季。全部見せて……貴方の、全部。

 私を安心させてほしいの。貴方の心を全部見て、安心したいの。

 確かめたいの。貴方が絶対、私を見捨てないって――」



 三枝の声がしないかと必死で耳を澄ませたが、今や現実世界からの救出の気配は全くない。

「あんの、クソ野郎……っ!」



 しかし、悠季がヤケになりかけて吐き捨てたその時だった。




「やめなさいっ!

 これ以上、彼の前でヘンなことしないで!!」




 ぴこん。

 状況に反し、ひどくマヌケな音が響いた。

 と同時に、眼前で葉子の身体がぐらりと横に揺れ、軽い悲鳴をあげながら倒れていく。

 その背後から現れたのは――



「ご、ごめんなさい悠季!

 この子、ずっとつかまえていたのに、逃げだしちゃって……!!」



 それも間違いなく、葉子の声。

 朦朧としかかった頭を振りながら目を凝らすと、そこにいたのは、

 明るいキャラメル色を基調とするドレスを纏った、葉子だった。

 フリル多めのドレスは羽の如くふわふわとなびき、まるでファンタジーに出てくる聖女そのものといった風情だ。しかし彼女は、何故か普段かけないはずのメガネをかけている。それも、フレームがかなり目立つ赤色。

 毛先をふわりとまとめた長い髪は、普段よりも明るいブラウン。瞳の色も髪とほぼ同じだが、雰囲気は間違いなく天木葉子のそれだ。

 両手には彼女の身長ほどもありそうな木製のこん棒を、軽々と抱えている。

 さっき、ゼリー状の葉子を殴ったのはこれだろうか。見た目に反してやたら軽い音だった気がするが。

 そんな彼女はそこだけ無重力であるかのように宙に浮きながら、にっこり微笑んで悠季に近づいていく。


「本当にごめんね、悠季。

 せっかく私の心に入ってきてくれたのに、最初からこんなことになっちゃって」


 彼女がそっとこん棒の先で悠季の肩に触れると、彼を拘束していたゼリー状の水は全て、綺麗に元の水面へと溶け落ちていく。

 同時に――

 先ほどまで悠季を戸惑わせていたベレトの声も、不思議に消失していた。

 そのかわり、恨みがましく地下に響いた声は。



「う、うぅ……あんたって、いつもそう……

 私、ホントの気持ち、言っただけなのに……!!」



 それは葉子?に殴られ、水面に這いつくばってしまったゼリー状の葉子の声。

 執拗に悠季を絡めとろうと再び手を伸ばそうとしていたが、その手は容赦なくこん棒で叩き払われていた。もう一人の葉子?によって。

 悠季は一瞬状況の理解が出来ず、思わず呼びかけた。



「お……お前も、葉子なのか?

 今のも葉子だったけど、お前も……?」



 言ってしまってから気づく。当たり前だ、ここは葉子の心なんだから――

 ここに出てくるものは全て、葉子の一部であり、葉子そのものだ。

 しかし、そうだとしたら――


 そんな悠季の思考を遮るように、ドレス姿の葉子は微笑む。



「うん。私は、『土の魔女』の天木葉子。

 そしてあの子は、『水の魔女』。全員葉子だと混乱するから、私たちはあの子を『すいちゃん』って呼んでる。

 どっちも同じ、天木葉子なの」



 ――魔女? 

 それに、「全員」? 私「たち」って何だ?



「あぁ、ごめんね悠季。一気に言われても混乱するよね。

 貴方が見ている私たちは、たくさんいる『天木葉子』の一部にすぎないの。

 私も、すいちゃんも、天木葉子。そのうちの一人」


 そう言いながら葉子――『土の魔女』たる葉子は、そっと悠季にこん棒の先を向ける。

 すると悠季の周囲に光の魔法陣らしきものが現れ、身体自体がふわりと浮き上がった。



「悠季。私の世界は、まだまだこんなものじゃないよ?

 悠季には、もっと色々な私を見てほしい。だから――

 連れてってあげる!」

「え、え? おい!!」



 その言葉と共に、『土の魔女』に抱きかかえられる悠季。

 そのまま彼女は真っ暗闇の天井へ、再び光の魔法陣を描くと――

 悠季を抱えたまま、一息に飛んでいく。

 勿論――「すいちゃん」こと、水の魔女は置き去りにして。



 見る間に下へと遠ざかっていく、ほの暗い地下道の光景。

 だが悠季の耳には、水の魔女たる葉子の声が、いつまでもこだましていた。



「そんなだから――

 あんたはいつまでたっても成長できないし、誰にも心を開けないのよ。

 石の巫女!」



 しかしそんな声を完全に無視して、「土の魔女」は悠々と魔法陣へと飛び込んでいった。

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