その2 私の弱さが、周囲を壊す

 

「……すまねぇ。正直に言うぜ。

 今回は……ちょっとばかり、こっちの落ち度がデカすぎる」


 大きくため息をつきながら、悠季は呟いた。

 うん……悠季ですら擁護不能なレベルにやらかしたってことだよね、私。


「あ……

 違うんだ葉子、誤解すんな。

 お前以外に、ミスの要因はいくらでもある。

 最初の田中の指示も不正確だったし、あいつ以外に相談出来る相手がいなかったってのも考えものだ……

 そもそも社内システム自体がこんなクソじゃなけりゃ、このミスもありえなかった。

 けどさ」


 悠季は身を乗り出しながら、私の顔をじっと覗き込んでくる。

 それでも私は、頭を上げられない。

 目の前のオペレーショナルリスク報告書は、まだ殆ど白紙だ。

 ミス発生時刻や発生状況や関わった人員、それらがどう関連してどのようにミスが発生したかなど、気が遠くなるほどの項目を記入しないといけないのに。しかも今日中に。



「葉子。

 どうして、もう一度、田中に確認しなかった?

 あいつの言う通り、電話の後でももう一度聞く余裕はあっただろ?」



 大きなアメジストの瞳が、じっと私を見つめているのが分かる。

 でも、とてもそちらに視線を向ける気になれない。


「そんなの、その時の私には分からなかったし……

 電話が終わるのを待っている間に、締め切りが過ぎちゃうかも知れないって思ったから」

「だったら、電話中でも強引にメモを渡すかすれば良かったじゃないか」

「そこまでの機転、きかないよ……私には。

 そういうことがずっと出来なかったから、今の私があるの」

「……そっか。

 すまねぇ。管理局からの呼び出しさえなけりゃな……」


 悠季はそれだけ言うと、両手でぐしゃぐしゃと前髪を乱暴にかきむしった。

 彼にこんな言葉を吐かせる自分が情けない。次元管理局からの呼び出しが定期的にあるのは分かっていたし、その対策をしておかなかった私が悪いんだ。

 それでも悠季はまるで自分のことのように、悔しげな表情を隠さなかったが……



「でも、葉子。

 最近、少し多くないか?」

「何が?」

「よく確認せずに、自分だけで判断することが、だよ」



 そんな言葉に、思わず顔を上げてしまった。

 目の前には悠季の、いつになく厳しい表情がある。

 何故かとても怖くなって――身体の芯が、震えた。



「この前、フライパンでカップ麺炒めてみた時だってそうだったろ?

 ハルマにも誰にも相談せず、ネットだけ参考にして材料揃わないまま作ったアレ」

「え……アレ、美味しくなかった?」

「少なくとも、ハルマと沙織には大不評だったじゃねぇか」

「だって、ネットには死ぬほど美味しいって書いてあったんだもん!」

「家での出来事だったからまだいいとして……

 仕事でもちょいちょいあるよな。俺が目を離したら勝手に色々やってたパターン」



 確かに……最近、悠季から注意を受けることも増えた気がする。

 あいまいな部分でも何とかなるだろうと思ってそのまま判断して、その後で悠季が気づいて注意してくれるということが。



「で、でも……

 そんなに多かった? 私のミス」

「ここ1週間だけでも5件はあったろ。

 領収印が複数だった場合の処理と、書類に付箋が貼ってあった場合の対応。あとは……

 いや、それはこの際おいとくとして。

 葉子。分からなかったりあいまいだったりしたことを、どうしてそのままにするんだ?」



 その時、心のどこかから、声が聞こえた気がした。

 何かに酷く失望したような声が。



 悠季でも、そう言っちゃうんだ。

 悠季でも、私が悪いって言うんだ。

 悠季でも、庇ってくれないんだ――



「そんなの……

 私が、私に聞きたいよ!」



 思わず叫んだ。

 そう――答えはひとつ。

 これが私の、どうしようもない習性だから。

 自分だって何とかしたいと思ってるのに、出来ないんだ。



 心の中で、何かが暴れ出す。

 だから私は駄目なんだ。悠季のおかげで、少しは良くなってきたと思っていたのに。

 悠季のおかげで、毅の呪縛から逃れられて、沙織さんやみなと君と出会えて。

 ケイオスビーストなんていうとんでもない災難もあったけど、それでもみんなで乗り越えて。少しずつ環境は良くなってきたはずなのに――

 それでも――まだ、駄目なんだ。



 気がつくと私は悠季にすら背を向け、駆け出していた。


「あ……

 おい、葉子!」


 彼が呼び止める声が聞こえたが、私は振り向きもせずミーティングルームを飛び出してしまっていた。




 ******



 数分後。

 私は――自分でもわけが分からないうちに、会社近くの公園にいた。

 意味もなくブランコに揺れながら、ぼうっとしていた。要は職場放棄である。


 完全に社会人失格。こんな事態を礼野先輩とかに知られたら、何を言いふらされるか分からない。


 ――でも、仕方ないよね。

 そもそも、仕事するなって言われたんだもん。


 そんな自暴自棄な思考が、脳内を満たしている。

 仕事はもらえなくとも、報告書は書かなきゃいけない。

 それでも、どうしても身体が動かなかった。



 ――疲れた。

 疲れちゃったんだ。

 ここまで頑張っても、どうしようもないミスをしてしまった自分に。



 さっき、胸の奥で破裂した風船。あれは、私の限界が弾ける音だったのかも知れない。

 もう夏も終わりなのに、まだ日射しが熱い。

 どういうわけか、悠季は、まだ、追ってこない。



 悠季はずっと、私の味方だと思っていた。

 それでもやっぱり、今日のミスは私自身の失態であり、悠季でさえも庇えなかった。

 ――いや、庇えなかったんじゃない。

 最初から悠季は、私が100%悪いことに関しては庇ったりしない。

 彼が私に援護射撃をしてくれるのは、相手にも相応の非がある場合だけだ。



 同じ思考が、ぐるぐると頭を回りだす。



 私が悪いのなら、もう悠季は庇ってくれない。

 礼野先輩も、最初は優しかったのに今はあんな風になってしまった。

 毅だって、最初はいい人だと思っていたのに、私と付き合ううちに酷いことになってしまった。

 私のミスが続いたら……悠季も、いずれ、そうなってしまうの?



 そんな思考に至った時――

 何かが私に、そっと囁いた。



 ――滑稽だな。

 イーグルに見捨てられた途端、君はどうしようもなくなるんだね。



「えっ?」

 思わず顔を上げ、周囲を見渡す。

 今はお昼過ぎ。公園には親子連れが2、3組いるだけで、他に誰も知っている人の気配はないはずだった。

 それでも、その声は何故か私の中に響く。聞き覚えのない声が。



 ――じゃあ。

 もう君に、逃げ場なんてないんじゃない?

 イーグルは今、君に見切りをつけかかっているんだから。



 頭の中の声に、思わず反論する。

 違う、そんなことない。悠季は私を見捨てたりしない。

 だって私たちは、ずっと一緒に強くなってきたんだから――



 ――それは、この世界では通用しない強さなんじゃないの?

 だから君たちは、ケイオスビーストの災厄は乗り越えられても、君のミスという些細な問題は乗り越えられない。

 それは君自身の心の弱さから来たものだ。その弱さは、この世界においても決して許されない。

 君の弱さは周囲の人間を傷つけ、迷惑をまきちらし、遂には邪悪な鬼に変えてしまう。

 君は誰からも見捨てられ、最後は一人になってしまうだろう。



 違う、そんなことない。

 そう叫ぼうとしたけど、どうしても言葉にならなかった。



 ――ちょうどいい機会だ。

 調べさせてもらうよ。君が本当に、イーグルに相応しい人間かを、ね。



 その瞬間、足元から何やらひんやりとしたものが這い上がってくる感覚がした。

 毛穴を伝って、水のように何かが浸みこんでくる感覚。しかし自分とは明らかに違うものが身体に入ってくる、嫌な感じだった。

 しかしそんな感触も、ほんの数秒。

 足元に伸びていた自分の影の色が、ほんの少し濃くなった気がしただけで――

 他には何の変化もない。



 その時。

 ふと背後から、冷え切った缶コーヒーがちょいと頬に当てられた。


「ひ、ひゃぁっ!?」


 びっくりして飛び上がると――

 いつも通り不敵に微笑む悠季が、そこにいた。

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