その31 今更知った、彼の「傷跡」
「ね、悠季……ちょっとだけ、起きて。
アガタさん、来てくれたよ」
アガタの登場に、慌てて悠季に声をかける葉子。
しかしアガタは笑いながら、彼女を止めた。
「まーまー。虚無石のせいでずっと眠れてなかったんでしょ?
だったら、寝かしといて。その方があたいも好都合だし」
朗らかにそう言いながら、彼女は無遠慮にどさっと葉子のすぐ脇に座る。
ベッドが少し弾んで揺れた。
「あ、ありがとうございました。
わざわざM県から、助けに来てくれて……」
「いいからいいから、そういうの。
あたい、堅苦しい挨拶とか苦手でさぁ。こっちに来てから、広瀬にも散々怒られるんだよね~
だから、アガタでいいよ。なんなら、天音でもいいし。こっちじゃ
ついでに敬語もなしで! イーグルとは最初っからそうしてるんでしょ?」
葉子の目を悪戯っぽく覗き込んでから――
アガタは眠り続ける悠季に、そっと視線をやる。
「ホント、無茶するよね。昔っから、イーグルはいつもそう……
仲間を守る為だったら、いくらでも自分の身を削っちゃうような奴だった」
葉子は思う。
考えてみれば、自分は悠季がイーグルだった時代のことを、殆ど知らない。
ゲーム内では、彼はマイスのシーフギルドのリーダーという設定があるだけで、それ以上は殆ど語られなかった。
悠季自身、過去を積極的に口にすることはほぼなかったと言っていい。
「あの……教えてくれませんか。
私、悠季の昔のこと、全然知らなくて」
「?
なんで?」
不思議そうに首を傾げるアガタ。
初対面に近い人間に、何故そんなことを聞いてくるのかと言いたげだ。
しかし――葉子は、ずっと考えていた。
戦いが終わってから、ずっと。
何故悠季は他人の為に、ここまで命を削る真似をするのか。
何より一番疑問だったのは、葉子たちを逃がして自分だけ犠牲になろうとしたところだ。
救出直後、悠季が放った言葉は、今も耳に残っている。
――大事な奴を巻き込んで……また、何かあったら。
それを思い出しながら、葉子は呟いた。
「彼には……今回みたいに命を削るようなこと、してほしくない。
彼には、ちゃんと生きて、幸せになってほしいから。
だから、知りたいんです。悠季に自己犠牲を強いるものは、何なのかを」
「ふふ。
イーグルの為にぶっ倒れたあんたがそれ言う?」
そんな悠季と葉子を交互に見つめるアガタの横顔は。
笑みをたたえながらも、どこか寂しそうに見えた。
「小さい頃からあたいらずっと、酷い目に遭わされ続けてさ。
それでもイーグルは仲間を守ろうとして、自分が一番酷い目に遭ってた。
奴隷だった頃はそれこそ朝から晩まで、地獄の日々だったよ」
「奴隷?」
「あぁ……やっぱりね。
それも話してなかったんだ」
しょうがないなぁと言いたげに少し肩を竦め、軽妙に喋るアガタ。
しかし、その口から明かされた事実は――
俄かには信じがたいものだった。
「マイスにたどり着く前まで、あたいら、奴隷だったんだ。
イーグルなんかほら、見た目結構いい感じだから、ド偉い貴族様に買われたんだけどさ。
そいつが、まぁ……筋金入りの極悪人で」
――全然知らなかった。
悠季に、そんな過去があったなんて。
「そいつに買われた奴隷の子たちはさ。
向こうの世界でさえ人倫に触れるようなこと、散々させられたんだよ。
術開発の実験台にされたり、半裸で魔物の闘技場に投げ込まれるなんて当たり前。
些細なミスでそいつの逆鱗に触れては、拷問にかけられて殺された子が、どれだけいたか」
葉子はただただ、目を丸くしてその話を聞いているしかない。
そんな過去がありながら――
悠季はずっと親身に、私の愚痴を聞き、私を助けてくれていたのか。
彼の過去に比べれば、私の悩みなどどれほどちっぽけなものか知れないのに。
「イーグルは器量いいだけじゃなく、とびきりすばしこい上、頭も回る奴だったから……そいつにすごく気に入られたんだけどさ。
その分、散々酷いこともされてて。
それでも、あたいらみたいな弱い立場の仲間を守る為に、しょっちゅう身代わりに拷問喰らったりしてたんだ。
でもある時――遂に耐えかねて。
あいつ、反乱起こしてね」
そこでアガタは一瞬、口を噤む。
冷ややかな静寂が、病室を包んだ。
「仲間大勢連れて、イーグルは立ち上がった。
だけど――いくら周到に準備したつもりでも、所詮ガキだったんだよね、あたいら。
あと少しってとこまで奴らを追いつめたけど、結局負けちゃって。
あたいらはボロボロになって、街から逃げ出して――
気が付いたら、マイスに流れ着いてた。
その時イーグルと一緒にいたのはあたいと、あと一人だけ。
他の仲間がどうなったかは……もう、分かんない」
葉子が初めて知る、悠季の過去。
触れない方がいいと思っていた。知りたくても、敢えて聞かずにいた。
触れることで悠季が傷ついてしまうのが、怖かったから。
しかしそんな過去を、目の前の獣人少女は淡々と語っていく。
「マイスに着いてからも、シーフギルド立ち上げるまで……
いや、立ち上げてからも、マジで色々あってさ。
イーグルはそのうち、あたいらにまで心を閉ざして。
何よりも大事なはずの仲間を敢えて突き放したり、傷つけたりするようになっちゃって……それも、仲間の安全を最優先にした結果なんだけどさ。
そんで毎度、自分を犠牲にして。
……荒んでたなぁ」
俄かには信じられない。
「そんな。悠季が、そんなことを?
一体どうして……」
そんな葉子の疑問に直接は答えず。
アガタは寂しげな微笑みを崩すことなく、語り続ける。
その唇はほんの少しだけ、震えていた。
「あたい、そういうとこも……好き、だったけど。
もう、見てらんなくてね。
何度も喧嘩して、結局……あたいの方から、マイスを出てっちゃった。
耐えられなかったんだよね。イーグルに、守られるってこと自体。
守るものが増えるたびに、イーグルは自分を削ってくから」
ゲームでは既に、アガタはマイスではなく隣町のオルディンにいた。
ゲーム開始時点で、既に彼女と悠季は離れ離れになっていたということか。
こちらは何も知らず、何度もイーグルとアガタを一緒のパーティーに入れていたりしたけど。
「そうまでして、仲間を守ろうとしてもさ。
結局イーグルは、ケイオスビーストに仲間ごと焼かれる運命だったんだよね。
――あんたがいなけりゃ」
そこで初めて、アガタは葉子を正面から見据える。
人と獣の血が混じったブルーの瞳が、真っすぐに彼女を捉えた。
「あんたの話を広瀬から聞いて、思ったの。
イーグルに必要なのは、彼に守られるだけじゃなく、守ることが出来る人間なんだって。
こっちの世界に来て初めて、イーグルはそういう人間に出会えた。
マイスじゃ誰も、彼を守れる奴なんていなかったから……」
どこか自分を責めるように、呟くアガタ。
その時、悠季が少しだけ呻きながら、寝返りをうった。
アガタの全身がびくりと跳ねる。
「やっば。イーグルが目ぇ覚ましたら、あたい、怒られちゃう。
さっさとトンズラしなきゃ~!!」
こそこそ病室から逃げ出そうとするアガタ。
そんな彼女の手首を、葉子は慌てて掴んだ。
「あ、あの!
あと一つだけ、分からないことがあって」
「ん?
な、何よぅ」
「ビーストに悠季が喰われる直前。
彼、何故か分からないけど、一瞬ぼうっとしていたように見えたんです。
ビーストが急接近していたのは、私含めてみんな気づいてたのに。
私の声も届かないくらい、悠季は何かに気を取られているように見えた――
貴方なら、何か分かるんじゃないかって」
「あのねぇ。あたい、イーグルの百科事典じゃないよ?」
「お願い。
何か嫌な予感がするの。悠季がそれに、酷く心を囚われていたような……
そんな気がして!」
敬語も投げ捨てて、必死で尋ねる葉子。
むくれながらも、アガタは少し考えこみ――
そして、呟いた。
「あの時、ベレトの声が聞こえた気がする」
「ベレト?」
初めて聞く名前だ。
当然、ゲーム内でも出てこない。
「あたいとイーグルと一緒に、脱走に成功した仲間だよ。
あたいと知り合う前からの、イーグルの友達。
滅茶苦茶仲が良くてさ……間違いなく、親友だった」
次に来る言葉が何となく想像出来て、葉子は思わず身構える。
そして、笑みを消しながらアガタが告げた言葉は、予想を全く裏切らず。
「でも……
その子、死んじゃった」
何故。どうして。
そんな言葉が葉子の脳裏を駆け巡ったが、その先はどうしても問い質すことが出来なかった。
それ以上踏み込んだら、いけない気がして。
葉子の心を見透かしたように、アガタも詳細は説明せず。
「多分、そのせい。
イーグルが、荒んじゃったのは」
悠季から視線を逸らしながら、うつむくアガタ。
震え声で、葉子は尋ねる。
「そのことを、みなと君は……?」
「ハルマは、何も知らないよ。彼が知ってるのは、イーグルにそーいうことがあったって事実だけ。
ハルマがイーグルと会ったのは、ベレトが死んで大分たってからだし。
毎度毎度金金金金ってうるさくついてくるから、さすがのイーグルも追っ払えなくてさぁ。
何だかんだで、一緒にいること多かったみたいだね。それが、ちょっとは救いになってたのかも。
そうでなきゃ、イーグルはビーストにやられる前に……とっくにくたばってたと思う」
葉子は思わず、壁を見つめた。
壁の向こうの隣室で、みなとは今も沙織に看病されている。
時折、沙織と軽く言い合う甲高い声も聞こえてくる。
葉子は今の話で、初めて理解した。
みなとがあれだけうるさく悠季に、借金の件を言い続けるのは――
恐らく悠季を死なせない為の、みなとなりの方法だということを。
当時のイーグルに、仲間としての愛情やら友情やら絆やら、漠然とした感情だけでついていったのでは――
アガタの言う通り、イーグルに守られるだけの存在となり、彼の負担になり、彼の心を一層閉ざしてしまう。
それを察したから、みなと――ハルマは、借金という非常にビジネスライクな理由を振り翳し、イーグルを執拗に追いかけた。
追う者と追われる者の敵対関係になって初めて、イーグルと対等になれる。利害が一致すれば、彼と共に戦い、守ることも出来る。イーグルからしてみれば、そんなハルマは仲間ではなくただの借金取りだから、例え見捨てても心は痛まない。従って、イーグルの足を引っ張ることもない――
そこまで計算して、ハルマはイーグルを追っていたのか。
それほどまでに当時のイーグル周辺の人間関係は、歪んでいたのか。
――多分、そのことでみなと君にお礼を言っても、真っ赤になってしらばっくれるだけだろうけど。
――そして多分、悠季もそんなみなと君の真意に、どこかで気づいているだろうけど。
想像して苦笑する葉子に、アガタもそっと微笑んだ。
もう一度名残惜しげに悠季を見つめると、彼女は背中を向ける。
紅を帯びた瑪瑙色の三つ編みが、羽のように軽々と宙へ舞った。
「今のイーグルは……
あたいが好きだった頃のイーグルに、ちょっとだけ戻ってきた気がする。
だから、イーグルのこと、お願いね。それだけ言いたかったんだ。
あんたなら……何とか出来そうだから。あの死にたがり」
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