その27 仲間の人数、縛っちゃ駄目
みなとの命を賭けて張り巡らされた、絶対防御壁が消えた。
この事態に、葉子も、気絶寸前の沙織も、焦燥を隠せない。
ケイオスビーストの激しい攻撃から、今まで自分たちや周辺区域を護っていた壁。それが消えたということは──
「ねぇ……みなとは……
みなとは、どうなってるの? 大丈夫なの?」
葉子と広瀬に抱き起こされながら、呟く沙織。
「あいつのLP……もう、0に、見えるんだけど。
今からでも、回復……出来る?」
コントローラを手に、沙織はよろよろと起き上がろうとする。
そんな彼女を止める広瀬。
「いけません、須皇さん!
これ以上は、貴方の生命に危険が及ぶ」
そのやりとりを耳にしながらも、葉子はひたすらに湖を凝視していた。
ビーストの手から、何かが地面に叩きつけられていく光景が見える。
あれは多分──みなとの身体。
悠季の姿は土煙で確認出来ないが、そのLPも1まで減少している。
やむを得ない。沙織さんが700mlまで耐えたんだ、私だって。
葉子はためらうことなく、コントローラのボタンを押す──
途端、激痛が脊髄から後頭部を走り、思わず葉子は大地に手をついてしまった。
「あ……う、うぅ……!」
「天木さん!?」
広瀬の叫びも、どこか遠く聞こえる。
酷い耳鳴りと、世界全体が揺れるような眩暈が止まらない。
心臓が割れそうなほど早く大きく鳴っている。汗ばんだ指先は、氷のように冷たかった。
──でも。
でも、まだ、悠季は……諦めてない。
葉子は祈るように、壁の消えてしまった湖を見つめた。
悠季はまだ、生きている。生きているはずだ。
「起きろ。
頼む、起きてくれよ……ハルマ!!」
みなとが湖へ叩きつけられた直後、葉子によってLP回復を果たした悠季は──
どうにかビーストの死角に潜りこみ、みなとの救出に成功していた。
敵を見失い、困ったようにきょろきょろと周囲を見回すビースト。
崖が崩壊して出来た岩陰に潜みながら、悠季は必死で治癒術をみなとに施していた。
──が。
みなとが、回復しない。
蘇生術を解除された上に握りつぶされ、さらに地表に叩きつけられた身体は、最早生きている方が不思議だった。
「あ……うぅ……
にぃ、さ……」
「無理に喋るな。もう一度、治癒術を……」
「へ、へへ……兄さん、回復術は、ヘタですからねぇ。
どう、だか……ぐっ……」
息をするのも精一杯なのか、空気を求めるように喘ぐみなと。その唇の端から、血が零れ続けて止まらない。
その手は未だ朱炎雀を握りしめていたが、先端の宝玉は完全に砕け散り、光を失っていた。
悠季はもう何度も治癒の水術をかけ続けていたが、癒しの光は虚しくみなとの身体に消えていくばかりで、一向に回復しない。血みどろの服も、不自然に曲がったままの小さな手足も、そのままだ。
──LP0。
こうなったら死亡と同じ。まだ息があるだけ幸運だったものの、医師の治療を受けなければその生命の灯が消えるのは、時間の問題だ。
だが──
眼前には、湖をも呑み込まんと暴れる巨獣。
みなとを連れて全速力で逃げたところで、いずれあのカオスストリームが全てを吹き飛ばす。
絶対防御壁が消失してしまった以上、最早葉子たちを守る術は、一つしかない。
生命力が尽きかけている身体から湧きあがってくるのは、力ではなく、痛み。
それでも悠季はふらりと立ち上がりながら、氷河剣をもう一度握りしめ、術力を漲らせる――
しかし剣に力を籠めた瞬間、その切っ先は春の雪のようにぼろぼろと溶けだしてしまっていた。
それを見て、みなとが苦しげに笑った。こんな状況は最早笑うしかない、とでも言いたげに。
「へ、へへ……
兄さん、借金、また……増えてますぜ」
「だから言っただろ。
こんなんでもしなきゃ、ビーストは倒せないんだって」
「だからって……兄さん、分かってます?
氷河剣壊すの、二回目……ゲホッ!!」
血を吐いても皮肉を止めないみなとを無視して、それでも剣を下段に構える悠季。
力が落ちている証拠か。身長より巨大な剣が、異様に重く感じる。
それでも、あと一発。
あと一発だけ、強引にでもぶちこめれば――
しかし、そんな悠季の微かな望みさえも、打ち砕くように。
ビーストは再び、その頭部を大きくぶんと振って天を仰いだ。
まさか――これは。この体勢は。
悠季が目を見張ると同時に、脳のどこかで葉子と広瀬の声がこだまする。
《まずい。伏せて、天木さん!!》
《駄目……悠季、逃げて……!!》
葉子も広瀬も、もう分かっている。間違いなくこれは、カオスストリーム――
人の営み全てを焼き尽くす、破滅の光。
みなとの絶対壁が消失した今、あの光がもう一度まともに炸裂すれば、今度こそ葉子たちの命は
――そう思った時にはもう、駆け出していた。
壊れた剣を引きずり、言葉の形を成さない雄叫びを上げながら、強引に湖面を蹴り上げるように走り出す。
術力も生命力も体力も、尽きかけている。
激痛の走る右足で水底を蹴り、力いっぱい飛翔する。その自慢の跳躍力さえも、痛みのせいで半分以下に落ちていたが。
それでも全身全霊をもって、悠季はビーストに飛びかかった。
――だが。
それでもなお、ビーストの動きの方がわずかに悠季を上回り。
技を放とうとするより先に、狂獣の眼球がぐるりと悠季を睨んだ。
同時にあんぐりと開かれる、大口。
その喉の奥には、真っ白に燃えさかる炎が見えた。
――あぁ。
俺、また、あの光に焼かれちまうのか。
今度は、葉子までも一緒に。
葉子に助けられたはずの命なのに――今度は葉子まで、巻き込んでしまうなんて。
俺、やっぱり、もう――
血に染まった巨獣の眼球を前に、一瞬の諦念が悠季の心を満たしていく。
だが、その刹那。
「これ以上好き勝手、させないよ!
鉄下駄・ヘルダーイブ!!!」
全く予想もしなかった方向――頭上から響いたものは、
悠季にとっては随分懐かしい気がする、甲高い少女の声。
それと同時に、悠季に食らいつきかけていたビーストの口が、見事に真上から逆への形にひしゃげた。
何が起こったのか全く理解出来ないまま、悠季は身体ごと、何者かによって強引に空中でかっ攫われていく。
顔を上げると、見えたものは――
いかにも誇り高き貴族の騎士として生まれてきたような、金髪碧眼の長身の青年。
ほどよく引き締まった筋肉が悠季を抱きかかえている。どう考えても金色の鎧が似合いそうな身体だが、今彼が着ているのは濃茶色のスーツだった。
「何をしているんです、イーグル!
貴方という人は……全く相変わらず、無茶ばかり!!」
「ら、ランハート!?
お前、どうしてここに……」
目の前で悠季を抱えていたのは、実に懐かしい、かつての冒険仲間だった。
口では怒っているものの、真っすぐで意志の強い眼差しと。
悠季の傷に触れぬようそっと彼を支える腕の優しさは、全く変わらない。
そして悠季は彼の肩ごしに、ビーストの動向を確認する。
ケイオスビーストの頭上から、見事な一撃を食らわせたのは――
紅を帯びた瑪瑙色の三つ編み。釣り気味の大きな青い瞳。
何と言っても目をひくのは、頭部から飛び出した大きな猫耳。
着用しているのはラフなパーカーとホットパンツだったが、健康的な小麦色の太ももは、昔のままだ。
体重以上の重さはあるであろう鉄下駄を軽々と履きこなし、敏捷に飛び跳ねながら、その獣人の少女はさらなる蹴りをビーストの顔面に叩き込んでいく。
「まさか……アガタ?」
思わず呟く悠季に、ランハートと呼ばれた青年は困ったように説明する。
「そうですよ。
わざわざM県から、彼女もここまで来てくれたんです。貴方の危機を聞いて」
「え!? M県って、滅茶苦茶南方だろ?
それにあそこは、山吹の大蛇が……」
「何故か奴らの力が急激に失われたようで、ほんの数刻前に何とか退治出来たそうですよ。
私たちのところの、紺碧の魔貴族も同じです。
恐らくスレイヴたちの殲滅と同時に、奴らにかけられた魔力も失われたのでしょう」
右腕で悠季を抱いたまま、ランハートは左手に構えた細剣を振り翳した。
「星光剣・奥義──
シャイニング・プロテクション!!」
ランハートの叫びと同時に、先ほどみなとが張り巡らしていた防御壁とほぼ変わらない光の壁が、再び湖周辺を包んだ。
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