醜さは呪い。美しさは呪い。

 目の前の光景が信じられずに。頭の中が真っ白になって、呆然と立ち尽くす。


 だけど、これで終わりじゃありませんでした。

 霧子さんは何を思ったのか、倒れそうになる葉月君を受け止め、先程引き抜いたナイフを再び構えます。


「オ楽シミハコレカラダ。ソノ顔ヲ切リ刻ンデヤル」


 いけない!


 瞬間、ぐちゃぐちゃだった頭がスッとクリアになる。

 胸を一突きにしただけでは飽き足らず、この上さらに顔までグチャグチャにするつもりですか。


 おそらく自らの容姿にコンプレックスを持っていた霧子さんにとって、きっとそれは必要な儀式なのでしょう。だけど、そんなの知ったことじゃありません。

 どんな事情があったとしても、これ以上葉月君に手を出させるものですか!


「葉月君を放して! アナタの相手は私です!」


 呆けてる場合じゃありません。

 金縛りにあったように動かなかった足が、嘘のように動く。


 お願い、間に合って。

 葉月君を助ける。ただそれだけを考え、駆け出したその時。


「じょ……」

「ン?」


 あれ、今霧子さんに受け止められていた葉月君が、微かに動いたような……んんっ!?


「除霊キィィィィック」

「ナッ! グハッ!?」


 はいぃぃっ!?


 またも目の前で、信じられないことが起きました。心臓を刺されたはずの葉月君の蹴りが、霧子さんの腹を直撃。完全に油断していた彼女は大きく吹っ飛び、地面にひっくり返る。

 そして葉月君は痛そうに顔を歪めながら、自らの足で立ちます。


「痛ってーっ! 何だよコイツ、思いっきり刺してくれちゃって。痛たたたたっ」


 依然ドクドクと血が流れている胸を押さえながら、痛がる葉月君。

 その光景は、あまりに異様。普通胸をあれだけ深く刺されたら、痛がる元気も無い。と言うか、死んでもおかしく無いような気がするのですけど。

 ましてや蹴りなんて、入れられるはずがないのですけど。


「は、葉月さん。刺されたのに、大丈夫なの?」

「な、何とか。忘れてるみたいだけどさ、ここはアイツが引きずり込んだ夢の中だから。し、心臓を刺されたからって、死にはしないよ。い、痛みは根性で、乗りきれば……いける」


 恐る恐る尋ねたメイさんに、葉月君が苦痛で顔を歪めながら答える。


 ああっ、そうでした!

 現実ではあり得ないことでも、夢の中だから可能ということですね。

 よくよく考えたらさっき霧子さんを蹴飛ばせたのだって、ここが夢の中だから。本来実態を持たない幽霊に、物理攻撃は効かないはずですから。


 けど待ってください。

 確かにここは夢の中ですけど、町の様子も感じる空気も、本物と変わらないくらいリアル。

 と言うことは、刺された葉月君の痛みだって。


「強がるのは止めてください! いくら夢の中だって、痛みは本物です。現実の葉月君の体にダメージがあっても、おかしくないんですよ!」


 だいたい夢の中が本当に平気なら、霧子さんだって油断はしなかったはず。

 それでも反撃できたのは、高い霊力が身を守っているのか。それとも彼の言うように、根性によるものなのか。


 何にせよ、これ以上無理をさせるわけにはいきません。


 そして霧子さんだっていつまでも待ってくれるはずもなく。ムクリと体を起こすと、再び妖術で作ったナイフを両手に握る。


「ハハハハハハハハハッ! 殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス! 醜イ者達ハ、皆私ガ殺……」

「もう止めて!」


 狂ったような笑い声が響く中、それを遮ったのは幼く、だけど力強い声。

 見ればメイさんがガクガクと肩を震わせ。だけど目だけはしっかりと霧子さんに向けながら、声を吐き出す。


「もうこんなことは止めてよ。アナタのやってることは正義じゃなくて、ただの八つ当たりだって分からないの!?」

「ナンダト、私ヲ侮辱スル気カ? 取リ消セ!」

「嫌! 絵里さん達のことを怨むのは仕方がないよ。裏切られたり信じてもらえなかったり、虐げられてきたんだもの。けど、今のアナタだって同じじゃない! 可愛いとか綺麗とか、見た目だけで悪者だって決めつけて、バカみたい!」


 恐いのを我慢しながら、メイさん言い放つ。


 ええ、そうです。私も全くもって同意見。

 霧子さんが容姿を理由に虐げられてきたのと同じように、メイさんだって容姿を理由に、霧子さん襲われました。


 美しいかその逆かの違いはあれど、どちらも見た目で勝手な判断をされて、理不尽な悪意を向けられる。

 本質的な事は、何も変わりません。


「メイさんの言う通りです。復讐だけならまだしも、アナタは自分勝手な正義を振りかざしているうちに、嫌っていた人達と同じ所まで堕ちたのです!」

「……黙レ」

「さっきアナタは、醜さは呪いだと言いましたけど、綺麗だって呪いです。呪いにしたのは、アナタです。今からその、報いを受けてもらいます」

「黙レエェェェェッ!」


 ナイフを手に激高しながら、私目掛けて駆けてくる霧子さん。

 もしも取っ組み合いの喧嘩になったら、きっとひとたまりもないでしょう。だから、その前に決めます。


 霧子さんに向けて、指を構える。


「迷う者……」

「シャアアアアァァァァッ!」


 呪文を唱えている間にも、霧子さんは迫ってくる。

 だけどまだ、まだです。できるだけ、引き付けないと。


「荒ぶる魂……」

「知世さん!」


 メイさんの声が聞こえましたけど、私は霧子さんから目を反らさない。

 チャンスは一度きり、よく狙うのです。


「鎮まりたまえ――」

「トモ!」


 胸を刺されて、おそらく立っているのがやっとであろう、葉月君まで声を上げる。

 ここで私が失敗したら、きっと彼らも霧子さんの犠牲に。そんなこと、絶対にさせません。


「死イィィィィネェェェェッ!」


 眼前に迫った霧子さんが、ナイフを振り上げる。

 ――今です!


「滅!」

「ギャアァァァァァッ!?」


 それはありったけの力を込めたら渾身の一撃。邪悪なモノを滅する光の矢。

 至近距離からの直撃を食らった霧子さんはヨロヨロと二、三歩後ろに下がると、ガクンと膝をつきます。


「オ、オノレ。ソンナニ私ガ悪イカ。醜イトイケナイカ」


 もはやそんな話でもないと言うのに、全てを容姿のせいだとでも言いたげな物言い。

 どうやらもう、話は通じそうにありません。言葉は交わせるのに、ここまで意志疎通ができないだなんて。


 私は胸に悲しさを感じながら、再び静かに呪文を唱える。


「迷う者、荒ぶる魂、鎮まりたまえ――」

「ワ、ワタシハ間違ッテイナイ。本当ニ醜イ奴等ニ罰ヲ……」


 霧子さんは不揃いな目で怨めしそうに、私を睨む


 ごめんなさい霧子さん。私にはアナタを、救うことはできません。

 だから怨むなら、私だけにしてください。


「浄!」

「アァ……」


 灯された浄化の光が、霧子さんの体を包み込む。


 一度悪霊に堕ちた人は、簡単には心を取り戻せない。それくらいわかっていたのに。

 こうして強制的に成仏させるしかないのが、とても悲しい。

 

 だけどそれでも、これ以上罪を重ねてほしくないから。犠牲者を増やしたくないから。怨まれても呪われても、彼女を祓います。

 だって私は、祓い屋ですから。


「どうかもう、安らかに眠ってください」

「アアァァァァッ」


 霧子さんの体は徐々に光の粒となっていき、その姿はぼやけていく。


「ワ、私ハ、正シイコトヲ……」


 最後まで自分の非を認めずに。光となって消えた。


 これで終わりです。

 キリサキさんが誰かの所に現れることは、もう二度とありません。

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