第二章 むじな

一話 白鳥の街、龍ヶ崎

 その名に反して、牛久沼は牛久市ではなく龍ケ崎市の名所である。

 牛久沼はかなりの大きさを誇る湖沼だが、しかしその全域は龍ケ崎市の区域内にきっちり、すっぽり収まっている。

 お隣の取手市や牛久市には、全然はみ出していない。


 さて、市の北西部(地図を見てもらえばわかるけど、本当にほとんど端っこにあるのだ)に位置するこの沼には、三十羽、ないしは四十羽もの白鳥が棲んでいる。

 コブハクチョウという種のこの白鳥たちは、いわゆる渡りを行わない。龍ケ崎で生まれ、龍ケ崎で繁殖して、そして龍ケ崎でその生涯を閉じる。

 言うなれば、彼らもまた生粋の龍ケ崎市民なのである。


 そんな白鳥たちを、龍ケ崎市は昭和四十九年に市の鳥として指定するに至る。

 このようにして、白鳥は名実ともに龍ケ崎のシンボルとなった。

 現在市内で見られるご当地マンホールには、龍ケ崎市のマスコットキャラクターである『まいりゅうくん』と共に、水辺を泳ぐ二羽の白鳥が描かれている。

 あとこれを書くのはもう三回目くらいだけど、龍ケ崎市駅の発車メロディは彼らにちなんだ白鳥の湖だ(ちなみに市の花は桔梗キキョウである)。


 ところで、コブハクチョウは渡りを行わないと僕は言った。

 ならば世間で広く知られる渡り鳥としての白鳥のイメージは、我らが龍ケ崎市においては無効なのか?


 答え、そんなことはない。


 確かに、牛久沼の白鳥といえば前述したコブハクチョウが(龍ケ崎市民の彼らが)一般的である。が、しかし。彼らとは別に、冬期にはオオハクチョウという名の外来の白鳥が越冬の為に飛来し、コブハクチョウと牛久沼の水面 みなもを共有する。

 龍ケ崎市は、このシベリアからの来客を差別しない。白鳥に国籍はないとばかりに市の鳥の一つとして受け入れ、というか、むしろおおいに歓迎する。

 市が発行する広報誌『りゅうほー』には『龍ケ崎に今年も冬鳥の季節到来』との惹句じゃっくが躍り、シティセールス課は『今年は何羽のオオハクチョウが飛来しています』との発表プレスまで打つ。

 冬季限定ではあるが、オオハクチョウもまた、我らが龍ケ崎市の確かな一員なのだ。



 さて、ここまでは白鳥とそれにまつわる龍ケ崎市のお話を書いたけれども、ここから先は、物語の視点はもっとミクロで個人的なスケールになる。

 昔話だ。

 さらに言うと、異類婚姻譚だ。


 むかしむかし、具体的には五年くらい前。

 ある昼下がり、市内在住のとある芸術家が牛久沼を訪れた(彼の芸術アートのジャンルについては、特に明言しないでおく。そこに言及することが物語にとってなにか有益であるとは思えないし、そもそもこの男はジャンルによるカテゴライズが不能なアウトサイダー・アートみたいなことをやってもいたからだ)。


 時あたかも春であった。

 水面には市民たるコブハクチョウが群れをなしている。水面だけでなく、岸辺にもいる。

 というか、コンクリートブロックの上でひなたぼっこをしつつ通りがかる人間に餌をせがんでくる図々しいものも、いる。

 儚く人を寄せ付けないお高くとまった白鳥のイメージは、当市では否定される。


 ともかく、名物の古代ハスはまだ花をつけていなかったけれど、水辺の新緑と白鳥の白のコントラストは芸術家にはっきりとインスピレーションを与えた。

 情景から得られた刺激が失われぬうちにさっさと帰ろう、と彼はきびすを返す。


 と、いましも帰宅の途につこうとした芸術家は、すぐ近くの桟橋の柱の陰に、一羽の白鳥がうずくまっているのを発見する。


 他の白鳥たちと比べて、その一羽は明白に顔つきが違っていた。

 まずコブハクチョウの最たる特徴でありその名の由来でもあるくちばし付け根のコブが、ない。そもそもくちばしの色が違う。コブハクチョウのオレンジとは異なる、黄色と黒のコントラストカラー。頭部のフォルムも丸っこくて、目つきもなんだか柔らかい。


 オオハクチョウだった、それは。


 冬期に牛久沼に飛来したオオハクチョウは、基本的には春になる前に北へと帰る。

 だが、必ずしもすべての個体が飛去するわけではない。怪我をした個体や病気で体力を失った個体は、北帰を断念してそのまま牛久沼に残留する。

 案の定、そのオオハクチョウは翼に傷を負っていた。


 芸術家はすぐに近所のコンビニまで車を飛ばし、少しお高め プレミアムな食パンを購入。そのまま牛久沼にとってかえして、傷ついたオオハクチョウに与えた。


 するとその夜、芸術家の家を一人の色の白い美女が訪ねてきた。


「昼間助けていただいたオオハクチョウでございます」

「いやまぁそういうこともあるかと思っちゃいたが、それにしたって展開が早(はえ)ぇなぁ」


 あまりにも単刀直入な自己紹介にも芸術家は少しも驚かず、白鳥の美女が手土産にと持参したウナギを受け取り(龍ケ崎はうな丼発祥の地でありウナギは牛久沼の名物でもある)ながら、「まぁとにかくあがってくれや」と彼女を家にあげた。


 さて、この芸術家の話を少し。


 芸術や文学を志す人間にはありがちな話だが、彼には社会性というものがまったく備わっていなかった。幼少期より変わり者として、いじめられこそしなかったもののやんわりと敬遠され、また彼自身、人付き合いというものに興味を持てずに生きてきた。

 そんな彼だが、人間以外の存在とは面白いように馬が合った。

 やたらと安く売り出されていた家があったという理由だけで移住したこの龍ケ崎ではじめて化生のたぐいと(彼が出会った最初のそれは化け狐の娘だった)知己を得ると、瞬く間に人間とそれ以外の友人の比率は逆転した。


 そういう彼だったので、この白鳥のこともあっさり友人のひとりとして受け入れた。

「怪我が治るまで家にいていいよ」といともフランクに提案し、すると白鳥は白鳥で「ではご恩に報いるためにせめて身の回りのお世話を」と、こういうことになった。

 芸術家は(芸術や文学を志す人間にありがちなことに)実際的な生活能力というものに乏しかったので、これはまさしくウィンウィンの関係であった。

 そしてその秋、牛久沼の畔にこれまた名物であるコスモスが咲き誇る頃、ふたりは当然の成り行きとして友情以上の絆で結ばれていた。

 多くの人ならざる友人がふたりの門出を祝福した。名月爽やかな中秋の夜を選んで、祝言はタヌキ式で執り行われた。



   ※



 以上が叔父夫婦のなれそめである。

 僕が電話で確認したとき(「おじさん、白鳥と結婚したってほんと?」)、叔父はいとも呆気なくそれを認めた(「うん、そうだよ」)。


「ああ、そうか。さては夕声ちゃんから聞いたんだな」

「うん。……って、夕声のことも知ってるの?」

「よく知ってるよ。世話にもなったし世話もしたからな」

「じゃあ、彼女がキツネだっていうのは」

「知ってるよ」

「いや知ってるとかそういうことじゃ……って、つまり、マジ?」

「マジだよ。なんだお前、信じてないのか?」


 いかんなあ、あんないい子のこと疑っちゃ、と叔父は言った。実にのほほんと。


「夕声ちゃんといえば、お前のことをよろしく頼んどいたんだ。慣れない町で一人暮らしでもあの子がいてくれれば安心だからな」



 やれやれ。僕は村上春樹的なため息をついた。やれやれ。

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