七話 七化け八化け

 そこからの一時間、僕の目は僕の体を離れて、不思議な時間の中へと入っていった。

 目を疑うなんて、そんな生易しいものではない。

 目を覆いたくもなったし、同時に目が離せなくもなった。


 とにかく、それからたっぷり一時間かけて、僕の常識は念入りに破壊されて粉砕されて、ほとんど跡形も残らなかった。


  夕声の言った通り、始まったのは宴会の余興、楽しい隠し芸の時間だった。

 ただし、人間のものではなかった(彼らが人間ではないという事実を、僕はその一時間で嫌というほど突きつけられて受け入れさせられた)。


 最初に登場したのはあの三人組(……というか、三匹組?)。僕をここまで案内してくれた、あの子ダヌキのトリオだった。黄色い通学帽の彼ら、である。

 いかにも緊張した様子で壇上(といっても、並べた飲料ケースに平板を置いただけの安上がりでインスタントな代物だけど)に上がった松竹梅トリオは、しゃちほこばった感じもそのままにみんなに向かってお辞儀をする。

 そんな彼らにお集まりの面々から喝采が飛ぶ。まるで幼稚園のお遊戯会みたいだ。


「今日の一発目はあいつらの『初化け披露』からなんだ」

「はつばけ」


 とりあえず復唱してみた僕に、そ、はつばけ、と夕声。

 なるほど、と僕は頷く。なるほど、全然わからん。


 さて、みんなの応援に後押しされてトリオの演目ははじまる。もう一度みんなにお辞儀をして、それから三人の小学生はまたくるくると横回転をはじめた。

 回転が終わった時、そこには三体の、信楽焼(しがらきやき)の狸の置物が現れている。タヌキといえばこれ、というイメージでおなじみのあれである。置物の腹にはそれぞれ『松』『竹』『梅』と書かれている。


「にゃはは、やっぱタヌキの初化けはこれだよな」


 夕声がけらけら笑いながら同意を求めてくる。いやそんなあるあるネタみたいに言われても、と反応に困る僕である。

 と、そんなやりとりをしている間に、壇上では『梅』の置物がこてんと倒れてしまう。慌てて助け起こそうとする『松』と『竹』。

 オーディエンスは大爆笑だ。

 みたいではなく、本当に幼稚園のお遊戯会そのものだった。どうやら『初化け』とは歌舞伎や狂言における初お目見えのようなものらしい。

 きっとタヌキの社会では大人になるための通過儀礼なのだろう。おめでたいなぁ。


「……おめでたいなぁ」

「ん、どうしたハチ? 目がこう、なんか遠く見ちゃってないか?」

「……遠く……うん、そうだね……ここは、常識的な日常から、とても遠い……」


 ショックのあまり中原中也でも決め込みたくなる僕である。思えば遠くへ来たもんだ。悄然 しょうぜんとして身をすくめちゃいそう。頑是 がんぜないなぁ……実に頑是ない。


 それから、松竹梅トリオの変身は『見ざる言わざる聞かざる』でおなじみの日光東照宮の三猿、猿・雉・犬の桃太郎サーヴァントチームと続き、最後に縦一列に積み上がった親ガメ子ガメ孫ガメで幕を閉じる。

 重さに耐えかねた親ガメがコケると子ガメ孫ガメみんなコケた、という偶然ながらも見事なオチまでついて、観客席からは惜しみのない拍手と喝采が飛んだ。


「あー、おもしろかった! お愛想抜きで大反響じゃんか! やるなぁあいつら!」


 拍手をしながら、夕声がこちらを見て言う。力いっぱい、全身全霊の拍手をしながら。

 屈託のない笑顔。忌憚のない喜びの表明と、その表現。


「う、うん……」


 そして瞳が、驚くほど雄弁だった。

 表情豊かな眼差し。楽しいな、そう語りかける綺麗な目。


 その笑顔と瞳に僕は見惚 みほれて、見蕩 みとれて――魅入られた。


「……うん……おもしろかった……」


 呆けたようになって、知らずのうちにそう言っていた。


「お、だろだろ! そっか、あんたも満足してくれたか!」


 僕の心のうちなど知らず、「そう言ってもらえると連れてきた甲斐があるよ!」と嬉しそうな夕声。僕は誤魔化すように目の前にあった鳥の手羽先を自分の紙皿に移す。ちなみにこれもお祭りで仕入れてきたものらしい。そういえば屋台が出ていたのを見た。

 そうして、僕がすっかり冷えてしまっている手羽先を(でも結構美味しかった。特に皮の部分が)齧っていると。


「でも、お楽しみはこれからだぞ」


 夕声が、そんなことを言った。


「……え?」


 思わず手羽先を取り落としそうになる。

 まだなにかあんの?



   ※



 結論から先に言うと、実に『お楽しみはこれから』だったのである。

 そこから先は松竹梅トリオの見せてくれたかわいげのある出し物ではない、大人のタヌキたちによる正真正銘の変身合戦がはじまった。


 特徴を捉えたタレントの変身モノマネやワイドショーを騒がせた時事ネタのメドレーなど、このあたりまでは比較的マイルドで僕も結構平静を保っていられたと思う。

 雲行きが怪しくなったのは『小貝川八大親分の三番手、市民運動公園の文吉』と紹介を受けた一匹のタヌキが披露した『東北妖怪スターシリーズ』なる演目からだった。


 赤子を抱いた姑獲鳥 うぶめ、子供の姿の座敷わらし、邪悪な笑みの天邪鬼 あまのじゃく……やんやの歓声とともにひな壇に登場した文吉親分は、代わる代わるに東北地方の著名な妖怪に変じてゆく。

 これがまた、どれもものすごい迫力だったのだ。

 もちろん僕は本物の妖怪なんて見たことがないのだけれど、しかしそんな僕にまで『これはまるっきりホンモノだ!』と膝を打たせるような、説得力のある凄み。

 子供のころ真剣に恐怖した昔話の世界観を、あたかも成長した大人の精神で追体験する。


 本気でビビる僕とは対照的に、僕以外の観客は変化 へんげのたびに拍手と喝采、あるいは爆笑でこの芸に応じる。どこに笑いの要素があったのか、僕にはわからない。

 なかでもひときわ大きな反響があったのは、ちょっと意外だったのだが、雪女だった。かまいたちが消えたと同時に吹雪を背負った青白い美女が現れた途端(この吹雪は見掛け倒しで実際には寒くも冷たくもないらしいのだけど、言うまでもなく僕は身震いなどしている)、観衆は揃って「おー!」っと大きく感嘆の声を上げる。


「タヌキは女に化けるのが苦手なんだよ」


 隣に座っていた夕声が、またも完璧なタイミングで解説を入れる。


「メスのタヌキはそりゃ女に化けるけど、それでも美人に化けるのはなかなか難しいんだよ。で、オスが美女に化けるのはそれこそ、ええと……シナン?」

「至難、かな?」


 解説シーンだからって無理に難しい言葉を使おうとせんでいいのに。


「そうそれ。とにかく、オスのタヌキが女に化けるのはかなーり難易度が高いのさ。オスダヌキが二匹揃ってやっと一人の女に化けたなんて昔話もあるし」

「へー」


 そう言われて周囲を見渡すと、たしかに会場の女性比率は男性のそれに劣っているし、女性陣の見目はあまり麗しいとは言えない。中には和服姿の美人さんもいるのだけど、もしかしたらあれはタヌキではないのかもしれない。


「なるほど。みんながやたらあの雪女に感心してるのは、妖怪の迫力と難易度の高い美女の合わせ技だからなのか」

「そうそう。実際文吉さんのアレはすごいんだぞ。技術点も芸術点も高い」


 いや、なんだよ芸術点って。あるのか採点基準。

 と、僕らがそんな話をしている間も文吉親分の雪女は大評判であった。

 よっ、流石は運動公園の顔役! 坂東太郎の股旅またたび伝説は伊達じゃないねぇ! と、人間の僕にはいまいち凄さの伝わってこない賛辞がそこここから飛ぶ。


 さて、僕にとっての悪夢の極め付けはそこからだった。

 親分の見事な化けっぷりに触発された十余人が(十余匹が、か?)、すわ、『東北妖怪スターシリーズ』に飛び入り参加を決めたのだ。はたして親分はこれを歓迎した。

 そのようにして僕の地獄ははじまる。


 包丁と桶を手にしたナマハゲがいた。鬼火を供にして宙を浮遊する馬の首がいた。巨大な一つ目を見開いた僧衣姿の入道に、しなびた乳を着物の合わせからはみ出させた鬼の形相の山姥やまんばがいた。

 さらに、河童と天狗と傘化けと、挙げ句の果てには日本刀と猟銃で武装した殺人鬼もいた(八つ墓村の元ネタって東北じゃなくて中国地方じゃなかったっけ?)。

 恐ろしい恨みの形相の平将門公が、いた。


 そんな妖怪たちが、宴会の席から席へと練り歩きはじめたのだ。さながら百鬼夜行のように。

 言うまでもなく僕は悲鳴を上げている。そして恐慌をきたす。


 悪い子はいねがあああああああ! とナマハゲに迫られて、涙目になって「いい子にします、いい子にします!」と繰り返す僕である。

 雪女には迫られてもいないのに「誰にも話しません、誰にも話しません!」と誓う僕である。

 河童から尻子玉を死守せんとし股間を手で覆う僕である。


 そんな僕の醜態なんてまったくよそ事に、宴会の盛り上がりはここに来てたけなわだ。オーディエンスのボルテージは最高潮で、みんな腹の底から楽しそうに笑っている。

 一方で僕は叫んでいる。もちろん悲鳴である。


「にゃははははは、おいおい誰だよその河童! 本物でもそこまで化け物じみちゃいないだろー!」


 視界の外で、夕声が河童に好意的なヤジを飛ばしていた。


 ――ああ、本物の河童もちゃんといるんだ……。


 そんな思考を最後に、僕の意識はぷっつりと途絶えて闇に堕ちた。

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