第15話
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「聞こえないのかしら? あなたたち、邪魔なのですけれど」
演習場の入り口で、日傘を差した女子生徒がこちらを睨んでいた。
ゆるくウェーブをかけたピンクブロンドの髪に、睫毛の長い気の強そうな瞳。やや青白い肌は、頬だけが苛立ちで紅潮している。
「この時間はわたくしが予約を入れていたはずです。さっさと出て行っていただけません?」
上品だが高圧的な口調で、女子生徒はオレたちに退場を求める。メイド服姿のオレをチラリと見て、鼻で笑う。
「コスプレ撮影会なら、男子寮の中庭ででもやったらどうかしら?」コスプレちゃうわ!
「アオハさまアオハさま」凜火がオレの肩をちょんちょんとつつく。なんですか?
「あの方、高圧的ですがなかなか良いことを言いますね」「やらねぇよ撮影会なんて!?」オレは見せもんじゃねえ!
「さっさと出て行きなさいったら!」
オレたちがごにょごにょしていると、女子生徒が髪を震わせて怒鳴った。うひゃっ、キレるの早い……
予約を入れてあったのなら仕方ない。そそくさと退散するオレたちを、日傘の女子生徒は鼻息荒く睨み続けていた。
「おっかない女だったな……」
「たしか、防律科二年のイリス月城さんだよ。結構有名な魔導素材メーカーの社長令嬢なんだって」
恵が言う。あー、たしかにお嬢様、ってカンジだったな。
「《MB》グループですね。あそこの作る魔力反応繊維はかなり高品質ですよ」凜火が補足する。
「あ、MBなんだ。あれ、でもMBってつい最近……」
凜火と恵が話し込み手持ち無沙汰になったオレは、ふと気がつく。
「オレいつまでこの格好なんだよ!?」
イリスの剣幕にビビってそのまま退散してしまったから、オレはまだフリルふりふりのメイド姿だった。
「そのままでもわたしは一向に構いません!」「オレが構うんだっつの!」
というか制服、演習場の更衣室のロッカーに入れっぱなしだ……
「ちょっとオレ着替えてくる」「あ、わたしも──」「すぐ戻るからいい!」
凜火を制して、オレは来た道を演習場に駆け戻った。
演習場のゲートをくぐる。見たところ、イリスの姿は見えない。
よかった。見つかったらまた怒鳴られそうだからな……。フェンス沿いに更衣室へ向かおうとしたその瞬間、
「いい加減にしてよッ!!」
「すひませんッ!?」
悲痛な怒鳴り声が背後で上がり、オレは跳び上がった。
恐る恐る振り返る。演習場のまん中に、イリスが立っているのが見えた。けれど、彼女はこちらに背中を向けて、オレに気がついている様子はない。
──……ひとり言?
彼女の周囲には、訓練用のバリケードが配置されていた。そこに、長方形のお札のようなものが数枚、ペタペタと張り付けられている。
たぶん、防律師独自の魔導装備だ。
初めて見る防律師のオペレーションに、思わず興味が湧いてしまう。
イリスが、バリゲードに張られたお札を乱暴に剥ぎ取る。同じ場所に、密封パックから新しいお札を取り出して張り付けていく。
次いで、細いコードでお札同士を繋ぎ合わせる。たぶんあれは魔力導線だ。
準備が終わると、イリスはお札を設置したバリケードから数メートル離れ、コードの末端を握って、深呼吸をひとつ。
イリスの肩に、ぎゅっと力がこもる。
月光のような魔力光が、魔力導線を伝っていく。
その魔力がお札に到達する。きっとこれで、お札に仕込まれた術式が発動するのだろう……
一体どんな魔術が発動するのか、オレが楽しみにしていると……
ジュッ……
水に放り込まれたマッチのような音を立て、魔力光は消えてしまった。
張り付けられたお札からは、プスプスと煙が上がるだけ。
魔術の発動に失敗したのは、明白だった。
イリスの肩がぷるぷると震える。彼女の拳が太ももを殴りつける音が、演習場に小さく響いた。
「……なんで、なんで上手くいかないのよ……ッ!」
これ以上は見てはいけないと思った。
オレは足音をひそめて、更衣室に急いだ。ロッカーから制服を引っ掴んで、着替えは後回しにして、今はとにかくこの場を去ろうとして、ドアに手を伸ばして、
ガチャリ、と。オレの目の前でドアが勝手に開いた。
「……あ」
日傘をきつく握りしめたイリスと、オレは鉢合わせた。
しわくちゃの制服を両手で抱え、汗を流すオレを、イリスは冷めた目で見つめる。
「あ、あの、制服わすれちゃって……」
「見た?」
オレの言い訳を無視して、イリスが口を開いた。
「わたくしが、演習場でしていたことを、見たのかと訊いたのよ」
「……み、見ました」
その瞬間、ぞわり背筋が凍った。そのくらい、イリスの眼光は張り詰めていたし、拳は真っ白になるくらい握りしめられていた。
な、殴られる……
暴力の匂いを感じ取った次の瞬間、しゅん、とイリスの肩が落ちた。
「あ、そ」
つまらなそうに呟いて、イリスは拳を解いた。
気だるげにタオルで汗を拭き、彼女は財布を取り出しジュースの自販機に歩み寄る。
けれど、イリスの動きは財布を開いたところで止まった。結局ジュースは買わずに、水道の蛇口を捻る。
オレは自販機に近づき小銭を放り込む。スポーツドリンクを一本買うと、ベンチに座っていたイリスに差し出す。
「あげる」
イリスの汗を拭く手が止まった。
「……なんのつもり?」
「水より、こういうのの方が、身体に良いぞ」
バシッ。
手に衝撃が走って、床でペットボトルが跳ねた。
タオルを振り払って、イリスが立ち上がる。さっきと同じかそれ以上に鋭い眼光で、彼女はオレを睨んでいた。
「馬鹿にしないでちょうだい……!!」
「い、いや……馬鹿になんて」
イリスの激昂ぶりに、オレは腰が引ける。
「同情したフリして、いかにも哀れんでるような目をして、あげく施しまでして、そうやってわたくしのこと嘲笑って……ッ! 落ちぶれた人間をいじるのが、そんなに楽しいの!?」
「ちょ、ちょ。おちつい」
「うるさいっ! 戦律科にまで馬鹿にされて! 屈辱だわ!」
「いや戦律科関係ないんじゃ……」
なんとか口を挟むが、頭に血が上ったイリスには逆効果だった。
「目障りなのよ、あんたたち戦律師は! 時代遅れで野蛮で、役立たずの骨董品のくせに!」
その言葉は、オレの頭にも血を上らせた。
その言葉だけは、聞き捨てならなかった。
「ちがう……!」
「なによ!?」
「役立たずなんかじゃない! 戦律師は、役立たずなんかじゃないッ!」
喉が痛くなるくらいの大声でオレは言った。イリスが、びく、と目を見開く。
「助けられたんだ。「超一流の戦律師」に。だから、オレは今生きてるんだよ!」
声が震えた。なぜか目頭が熱くなった。怒りなのか悲しみなのか分からない感情を大声と一緒に吐き出して、オレはイリスと真っ向から視線をぶつけ合う。
イリスがギリッ、と歯を噛みしめる。
「戦律科ふぜいが……」
イリスの青ざめた唇が、かすかに吊り上がる。
「……そう、じゃあ、確かめさせてくださる?」
上品な口調で、イリスがオレを見下し、日傘を突きつけた。
「あなた、わたくしと勝負なさい」
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