第3話結局世界は矛盾に満ち満ちている。

 8月16日

 俺たちはこの摩訶不思議な世界を存分に楽しんだ。

 世界観もそうだが、急激な人格の変化など数多の解決できていないことがありながらも、それは一旦忘れる、いや、自然に忘れてしまうくらい目一杯。

 日々がまるでオレンジ色で満たされているように温かく、笑顔の絶えない理想的な生活。

 喧嘩はおろか、言い争いすらなく自分の心が洗われる。

 このままずっとここで暮らしたいとひしひしと感じた。

 だがそれも今日で終わり。

 この生活だけでなく、先輩と会うことも今日で終わりとなる。

 「今日で終わりか。」

 「そうね。まぁ仕方ないわ。始まりがあれば終わりがあるのは当然よ。」

 意外にも春香から淡白な答えが返ってきた。

 「春香はもっとここに居たいとは思わないのか?」

 「・・・・居たいに決まってるじゃない!だってもうたまちゃん先輩には会えなくなるかもしれないのよ!でも、駄目なの。たまちゃん先輩も言ってたわ。時間は有限だと。確かにここの生温かい雰囲気の世界に居れば幸せだわ。でもね、ここは私達の居ていい場所じゃない。私達には帰らなければいけない場所がある。そこは針山を歩くかの如く毎日が苦痛で、嫌な事の方が圧倒的に多い。それでも私達はそこで生きなければいけない。それが私達残された者の義務だから。」

 春香は流れる涙を拭い熱弁する。

 その目には覚悟を決めた強い光が宿っているように見えた。

 だがその光は俺にとってまだ眩し過ぎたようで。

 俺はその言葉に生返事しか返せなかった。

 どうやら俺にはまだその覚悟がないのかもしれない。






 「なぁ公人。お前は元の世界に帰りたいか?」

 俺は自分の気持ちを探るかのように公人に何かを期待する。

 だが、俺の期待は応えられるどころかさらに複雑になった。

 「帰る?一体どこに帰るんだ?僕たちの居場所はここだろ?毎日ここで悠々自適に暮らすんだ。どうしたというのだ急に?」

 「それは俺のセリフだ!公人、君は一体何を?そもそも君は本当に公人なのか?」

 ここに来て公人はまるで変った。

 人格も、性癖も、雰囲気も何もかも俺の知っている公人ではない。

 でもそれは俺にとって不都合という訳でもなく、清々しいほどに良い奴になっていた。

 初めて公人にあった時、公人のことを何も知らなかった時に俺が勝手に思い描いていた公人の内面。

 俺の理想の公人がこの世界の公人で、それは本当の公人なのかという疑問が浮かんだ。

 「僕は僕だよ。でも・・・・そうだな、簡単に言ってしまえば理人の中の理想の僕ってことになるのかな。」

 公人はフッと微笑み、その場を去った。

 訳が分からない。ここで何が起こっているのか。

 俺は同じく変わり果てた先生にも同じことを聞いた。

 すると公人と同様の返事が返ってきた。

 何か気付かなければいけない。

 でもそれに気付いてしまえばこのぬるま湯の様な生活が終わる気がする。

 俺のとってこんなにも都合のいい生活を、理想の生活を手放したくないという全員を巻き込んだ我儘が思考を邪魔する。

 ・・・・別にもうこのままでもいいんじゃないか。







 何もしないまま夕方になった。

 ここの空はいつ見ても綺麗で、落ち込んだ時や悩み事があるときの1番の薬になる。

 だが、残念なことに俺の心は癒されない。

 なんだか自分の汚い部分を見せられている気がする。

 春香は今も懸命に帰る手段を探していた。

 土まみれになっても、汗が目に入っても、それを拭い懸命に動く姿が窓に映る。

 誰にも何も言わず1人で黙々と。

 傍から見ればそれは醜いものなのかもしれない。

 でも、俺には彼女の姿がここにいる誰よりも命が宿っているように見えた。

 「理人君。ここでの暮らしは楽しい?」

 俺の肩をチョンと叩き、問いかける。

 「すごく楽しいよ。ご飯はおいしいし、公人も普通の人格に戻ったし、先生も婚約者が出来て春香と喧嘩することもなくなったし。まさに理想的な生活だよ。」

 「でも、理人君満足してないよね?だってだってアドレ毎日見てたもん。今理人君の目、死んでるよ。潤いがない、活気がない、向上心がない。もう分かってるでしょ。」

 アドレちゃんは俺の死んでいるらしい目の奥底を見つめる。

 距離を取ろうとしても肩を掴む。

 「理人君の口から聞くまで待つつもりだったけど、もういい。アドレは君の幼馴染なんかじゃない。アドレは・・・・」

 「やめろ!」

 俺は声を荒げる。

 聞きたくなかった。彼女の口からは絶対。

 「怖いんだ。自分が。ここで生活していくうちにどんどん自分の理想が高くなる。先輩とも再会できて、アドレちゃんとも初めて話せてすごく嬉しかった。でも、今度は学校で会いたい、部室で会いたいってどんどん理想が、望みが増えていくんだ。公人にもいつものキモイ感じに戻ってほしいし、先生にもいつもの子供っぽさが戻って欲しい。だけど、ここじゃ今の俺の理想は満たせない。だってここは先輩が死んだ直後の俺が作った『イデア』だから。」

 思いのたけを俺は叫ぶ。

 元の世界に戻っても先輩もアドレちゃんも学校にはもちろん部室にすら来れないことは分かっている。

 だが別の形でならその望みは叶う。

 「分かってるじゃん。やっぱり理人君はただのむっつりじゃなかったんだね。」

 アドレちゃんは太陽までもが嫉妬してしまうほど輝く笑顔を見せた。

 その時に見える白い歯は俺の心を浄化し、頬に出来たえくぼはずるいと言わんばかりに俺を引き込む。

 「・・・・好きなんだ。俺はアドレちゃんが好きなんだ。1目惚れだった。眩しい笑顔も元気な姿も何もかも内から外まで全部。俺の理想の女の子なんだ。だから・・・・失いたくない。ここを出てしまったらアドレちゃんはまたフィギュアに戻ってしまう。それがたまらなく嫌なんだ。」

 情けなくも、見苦しいまでの本音。

 男ならグッと我慢しなければならない。口に出しても何も変わらない。

 ただ困らせてしまうだけなのに。

 これが叶わぬ恋だという事は分かっているのに。

 「アドレも好きだよ。大好き。そんな大好きな理人君に素晴らしい提案をしよう。私以外の理想の女の子を探してみて。理想を追い求めることで人生に潤いが出るから。まぁそれでもアドレが1番だと思うけど。」

 「矛盾してるよ・・・・。」

 





 「春香、遅れてごめん。もう大丈夫だから。」 

 外で黙々と1人作業している春香に声をかける。

 「遅いわ・・・・いえ、なんでもない。覚悟が決まったようね。いつも通り連続殺人犯の様な目をしてるわ。」 

 いたずらな笑顔で春香は言う。

 「悪かったな。これが俺だ。」

 「いいえ。何も悪くないわ。その方がかっこいい。」

 「ふんっ。お前も少しばかり汚れてみるもんだな。今日のお前はなかなか良い線いってるぞ。」

 「調子に乗らないで頂戴。」

 そう言って俺の背中を平手打ちする。

 結構痛かった。

 「それじゃあ行くぞ。」

 「どこへ?」

 「小屋の前だ。」










 草原を少し歩き小屋の前へ到着する。

 小屋の前には文芸部のメンバーとアドレちゃん、熊田まさしがいた。

 アドレちゃんに事前に集めてもらっていたのだ。

 「理人君、皆オーケーだよ!」

 「アドレちゃんありがとう。」

 「リー君。覚悟が決まったんやね。短い時間やったけど楽しかったで。これからも・・・・見守るから。」

 先輩の目から1筋の涙が流れる。

 それを隠すかのようにいつもの笑顔を見せた。

 先輩も分かっているんだろう。

 ここで泣いてはいけないと。

 「たまちゃん先輩、私これからは私として生きます。自分に正直に生きます。でも時には挫けるかもしれません。その時は背中を押してください。」

 「当たり前やん。まずは気持ちを伝えることやね。」

 春香と先輩はその場で抱き合う。

 その抱擁からは別れの悲しさだけでなく、先輩の優しさ、強さが見えた。

 「それじゃあ、行こうか。」

 俺は小屋の扉の方へ体を向ける。

 「開扉の呪文を唱えよ。」

 ドアの向こうから声が聞こえた。

 俺はすかさず呪文を唱える。

 「イデアの彼方へ。」

 扉がギギーっと開く。

 扉の奥は深い闇に包まれていて奥は全く見えない。

 だがそれは、今居るこの場所よりも遥かにつらく、修羅の道である現実への扉に違いないことは確か。

 ここ居れば悠々自適に暮らせることは間違いないが、向こうに行くことこそが残された者の義理であると春香から教わった。

 「それではまた。」

 俺たち新文芸部はドアの枠組みを超えた。







 目が覚める。

 そこに広がるのは馴染みのある準備室の景色。

 空は暗く、蛍光灯の光が妙に俺の目を刺激する。

 右手には7分の1スケールに戻ったアドレちゃんがいた。

 先輩の姿はもうない。

 「いつまで寝てるのよ。」

 目の前に春香がいた。いたんだが・・・・。

 「春香。髪が・・・・。」

 春香の長い黒髪がバッサリと肩のあたりまで切られていた。

 先輩へのあこがれの象徴であった長い黒髪。

 大好きな先輩との大切な思い出を忘れないために長い年月をかけて伸ばした黒髪が・・・・。

 「寝ぼけてるの?先生に切ってもらったのよ。なんだかこのままいじけてちゃいけない気がして。もちろんたまちゃん先輩のことが大好きなのは変わらないけど。」

 「そ、そうだったな。」

 俺には無い思い出。皆の記憶にはあの大冒険が残っていないのだろうか。

 「先生。熊田まさしさんとは上手くいってますか?」

 「なに~?起きて早々?永遠の眠りにつきたいの~?」

 先生は笑顔で答えつつもその瞳は暗く、闇に包まれていた。

 要約すると噴火寸前。

 よし、標的を変えよう。

 「なぁ公人。お前なんか臭うぞ。ほらっこれやるよ。ガラムマサラっていうんだけど、これでも体に塗りたくればなんとかなるんじゃね?」

 「匂い。理人良い線ついてくるね。最高だよ。寝起きから調子いいなんて。僕の専属にならないか?」

 勧誘されちゃったよ!怖いけどなんか安心する自分がもっと怖い。

 「ああ、そうそう。これ出来たわよ。」

 まるで公人のことは眼中にないと言わんばかりにグイっと俺たちの会話にえぐりこみ、俺の前に6体のアクリルフィギュアを並べる。

 そこには今いる4人に、アドレちゃんと、たまちゃん先輩が印刷されていた。

 「これって・・・・?」

 「いつまで寝ぼけてるの?理人が発注したんじゃない。私が仕方なく許可したのよ。変な事には使わないっていう条件で!」

 やはりこれは俺の知らない思い出。

 俺があの世界で過ごした4日間は夢だったのだろうか。

 「ねぇこれで何するつもりなの?」

 春香は俺に問い詰める。それもすごい剣幕で。

 こっちの世界の俺は何を考えていたのだろう。

 でも、今の俺にはこれしか考えられない。

 「『イデア』を作るんだ。」

 俺はアクリルフィギュアを横1列に、手の部分が重なるように並べる。

 「わかるかな。これでみんないつでも繋がってる。どこにいても、違う世界線にいても必ずここでは繋がっている。これが今の俺の『イデア』かな。」

 「『俺の』?みんなのでしょ?」

 「そうだ。なに1人でかっこつけてるんだ。」

 「やぁだ~ひーちゃん先生だけ映り悪い~。撮り直さない?」

 「先生それが現実です。」

 「なによ!あんた短いの似合ってないわよ!」

 今日も今日とて醜い喧嘩が始まる。

 春香が悪いのか、先生が子供っぽいのか。

 でもまぁこれでいい。

 「ねぇアドレちゃん。スカートの中覗いていい?」

 俺は無防備になったアドレちゃんのスカートの中を覗く。

 「あっ白色だ。」

 「「「「「きもぉぉぉぉ」」」」」

 

 




 


 







 

 

 

 

 

 

 





 

 

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イデアの彼方へ 枯れ尾花 @hitomu

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