1-5 封戸探偵事務所

「はい。どちら様でしょう? 」

 インターホン越しに聞こえてきたのは抑揚のない、澄んだ女性の声だった。

「あ、あの……札木玲花です。由佳ちゃん……じゃなくて井神由佳からお手紙を届けるよう言われたのですが……」

「あぁ、井神さんですね。お話は聞いております。今お迎えに参りますので少々お待ちください」

 彼女はそう言い終えると、スピーカーはブチっという音を立てた。

「おかしくない?君が来ることをここの人たちは知っていたよ? 」

 甲夜は玲花に言った。

「確かに……電話でもかけておいたのかしら? 」

「だったら叔母さん、その時に用件を伝えればよかったじゃないか。なんでわざわざ手紙を届ける必要があるんだ? 」

「さぁ? 」

「ますます怪しいなぁ」

 2人がそんな会話をしていると目の前の重たそうなドアが開いた。そこには先ほどの声の主であろう女性が立っていた。ストレートの黒髪を肩まで伸ばし、メガネをかけた、色の白い、知的で大人しそうな女性だった。

「中へお入りください。事務所で封戸所長がお待ちです」

 屋敷の中は外見通り、とても広く立派なものだった。まるで歴史の教科書で見た、明治ごろに建てられた洋館みたいだと、玲花は思った。

 長い廊下をしばらく歩くと、案内してくれている彼女は立ち止まった。玲花は危うく彼女にぶつかりそうになったが、どうにか持ち堪えた。立ち止まったところには「事務所」と書かれたプレートのかかった扉があった。案内人はそのドアをノックすると、返事も聞かずに扉を開けた。

「所長。札木玲花さんがお見えです」

 部屋には3つのデスクがあり、壁に沿うように置かれた本棚には、難しい専門書らやファイルでびっしり詰まっていた。窓辺に置かれたデスクには、立派な椅子に腰掛けた白髪の老人が座っていた。彼がこの探偵事務所の所長、封戸なのだろう。

「二美くん、お迎えありがとう。君が札木玲花くんだね。由佳くんから話は聞いているよ。封戸万次郎だ。よろしくね」

 老人は立ち上がり、玲花に手を差し出した。玲花はその手を取り、握手した。顔は優しそうな彼だが、立ち上がると、歳のわりには背筋がピンと伸びていて、しかもとても大きい。黒の着物にグレーの羽織の姿も合間って、見ているこちら側も背筋を正さねばという気持ちになる。

「さ、札木玲花です。あ、あのこれ……井神由佳から預かったお手紙とお菓子です。よかったら皆さんで食べてください」

 玲花は少々緊張しながら彼に持っていた紙袋を彼に差し出した。

「おぉ。わざわざすまんね。これはこれは、私の好物のラスクじゃないか。由佳くん、覚えていてくれたんだね。二美くん、あとでお茶にしよう。お客様にも出してあげて」

「いえ、お構いなく。私はただお手紙を届けにきただけなので……」

 玲花は後ろで思いっきり首を横に振る甲夜を横目に見ながら言った。彼は今すぐにでもこの屋敷を出たいらしい。

「まぁまぁ遠慮しないで。私も一度札木くんとお話したいと思っていたんだ」

「え、私とですか? 」

 思いもよらぬ言葉に、玲花は驚いた。初対面の封戸にそんなことを言われるなんて思っていなかった。由佳は封戸に玲花のことを話していたのだろうか。

「あれ?由佳くんから聞いていないかい?君のお父さん……札木暁優は私の助手……いや、私の相棒だったんだ」

「えっ」

 封戸の言葉に玲花はますます驚いた。父が探偵だったなんて初耳だ。そもそも両親のことは誰も詳しくは教えてくれなかったのだけど……

「彼は有能な探偵だったよ。本当に惜しい人を亡くしてしまった」

 封戸は玲花の背後を見て遠い目をしていた……いや、その目は少々鋭くも見えた。

「だからこそ、君とは少しお話しがしてみたかったんだ。やっと会うことができて光栄だよ。そういうことだからほんの少しだけ、年寄りの話し相手になってはくれぬか? 」

「はぁ」

 玲花は何を言われてもすぐにここから帰るつもりでいたが、断り切ることが出来なかった。甲夜はそんな彼女を睨みつけている。

「二美くん。お客様を隣の部屋へお通しして。あとお茶も入れてくれるかい? 」

「はい」

デスクに座っていた二美と呼ばれている女性は立ち上がり、玲花のところまでやってきた。

「私はあと少しだけ、仕事が残っているのでね。なあに、すぐ片付く仕事だ。それが終わり次第、そちらへ行くから、少し待っててもらえるかな? 

 封戸は頭をかきながら玲花に言った。

「ご案内します。こちらです」

 封戸の言葉が終わると、二美は玲花に背を向け歩き出した。玲花戸惑いながらそれについて行く。甲夜は嫌々ながら玲花の背中にぴったりくっついていた。


 封戸1人が残された事務所内。彼は年季の入った万年筆でなにかを書いている。すると封戸の左手にある本棚から、何かがすり抜けてきた。人の形をしたそれは、まるで幽霊のようだ。

「ねーねー所長さん。あの子がこの間言ってた子? 」

 すり抜けてきたそれは、二美と同じくらいか、少し幼いであろう見た目をした女性だった。少し茶色がかったショートヘアで、活発な印象の彼女は二美とは正反対だ。

「あぁ、そうだよ」

 机に向かいながら彼は幽霊の質問に答える。

「なんか、変なやつ連れてなかった? 」

「あぁ。あれはだいぶ厄介なやつだね。どうにかしなければ」

「私はこれから何をすればいい? 」

「そうだね……私の準備ができるまで、彼女たちをこの屋敷から出さないようにしてほしい」

「時間稼ぎをすれば良いんだね。お安い御用」

「油断しないようにね。何をしてくるか、わかったのもではないからね」

「はいはーい。わかってるよ」

 幽霊はそう言うと、勢いよく扉の方をすり抜けていった。封戸は何事もなかったかのように一人、デスクに向かった。

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