1-3 おつかい

 土曜日、午前7時。空には灰色の雲がかかっている。マンションのリビング。テーブルにはトーストと目玉焼き、サラダが一人分並んでいる。玲花は冷蔵庫から牛乳を取り出して、グラスに注いだ。

「おはよう、玲花。どう?あれからちゃんと眠れた? 」

 一足先に朝食を終えた由佳は、声をかけながら身支度をしている。由佳は土曜日でも忙しそうだ。

「うん。大丈夫だよ。心配かけちゃってごめんね」

「悩みとかあるようだったらいつでも聞くからね」

「ありがとう」

 由佳はいつも忙しそうにしているのに、居候の姪のことを気にかけてくれる。仕事もできて、気遣いもできる優しい由佳に、彼女はこっそりではあるが憧れている。玲花は時々、由佳の姿を見て、母も同じように優しい人だったのだろうかと考えることもある。ふと、玲花は由佳にも祖父母にも、両親のことを詳しく聞いてみたことがなかったことを思い出した。叔母は今日とても忙しそうにしているからまたの機会に聞いてみよう。

「そういえば玲花、今日予定ある? 」

 バタバタしていた由佳は思い出したように玲花に聞いた。

「いや、今日は特にやることないけど」

「そう。じゃあさ……おつかい頼まれてくれない? 」

「おつかい? 」

 玲花は聞き返した。おつかいなんて頼まれるのはここに来て初めてのことだった。

「そう。私の知り合いのところにお手紙を届けに行って欲しいんだよね。ついでにこのお菓子も」

 由佳はテーブルの下に置いてあった紙袋を持ち上げ、中の封筒を玲花に差し出した。宛名には「封戸探偵事務所 封戸万次郎様」と書かれていた。

「ふ、ふうと……? 」

「『ふご』って読むの。珍しい苗字よね」

「由佳ちゃん、探偵の知り合いなんていたんだ」

「まぁね。古い知り合いなの」

「今時手紙だなんて……電話とかで済む話じゃないの? 」

「うーん……あの人電話とかメールより手紙が好きなんだ。ちょっと古風な人だからね。あと、一度玲花にも会ってほしいって思ってたからついでに」

 ふーんと言いながら玲花は封筒を受け取る。探偵なんてドラマや小説なんかではよく出てくるけど、会ったことはもちろんない。一体どんな人なんだろうと、玲花は行く前から少しワクワクした。

「さて、そろそろ出ないと。おつかい、頼まれてくれる? 」

「もちろん。由佳ちゃんの頼みだもの」

「住所はその紙袋の中に入ってるけど、辿り着けそう? 」

「スマホあるし、大丈夫。ちゃんと届けてくるよ」

「ありがとう、玲花!じゃあ封戸さんによろしくね」

 玲花に笑顔を向け、由佳はベージュのパンプスを履くと、家から出て行った。

「ねぇねぇ、どこ行くの? 」

 由佳が出て行くのを見計らって甲夜が顔を出した。彼は玲花が叔母と話している間は、大体彼女の部屋にいる。

「探偵事務所だって」

 玲花はスマホの画面に住所を打ち込みながら答える。

「ほらここ。封戸探偵事務所」

 突き出されたスマホ画面には、地図上に探偵事務所を示す赤い旗が表示されていた。

「ふーん……今から行くの? 」

「そうだけど? 」

 甲夜の不安そうな様子など気にも止めず、玲花はスマホをポケットにしまうと、部屋に戻り出かける準備を始める。

「雨降りそうだよ?本当に今から行くの? 」

「だって由佳ちゃんと約束しちゃったし」

「そうか……」

「何? 随分行きたくなさそうだけど」

 ようやく玲花は、彼の異変に気がついたようだ。

「なんだか嫌な予感がするんだ。今日は外に出たくないよ」

「じゃあ留守番してる? 」

「それができれば苦労しないんだよな……」

 玲花が甲夜と出会った翌朝、2人はお互いに離れることが出来なくなってしまった。もちろんある程度は自由が利くが、一定の距離をとってしまうと甲夜は玲花がいる場所に引き戻されてしまう。まるで出会った時に2人には見えない紐か……もしくは鎖で繋がれてしまったかのように。そういうわけで甲夜は玲花が行く場所には必然的について行かなければならない。

「ちょっと行って帰ってくるだけだから。付き合って」

「しょうがないな、わかったよ。どうせ僕には決定権がないんだ」

「そうと決まれば早速行きましょう」

 ふてくされている甲夜をよそに、玲花は青のショルバーバックと由佳から預かった紙袋を持って家を出た。

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