X-2話 気がついたら赤ちゃんに!?

記憶の片隅の方に燻っていた声色がはっきりと彼女の後ろから聞こえてくる。声がした方向に目をやると開放されたままだった扉の入り口に2人の男性が立っていた。1人は、今目の前で人間が膨らませることができる限界値まで頬を膨らませている彼女と同じ制服に身を包んだ強靭な男性。面識はなく、先程声を発した人物とは異なるが、おそらく彼女の父親だろう。よく見れば顔立ちも似ている部分が見受けられる。


そして、その隣にいる少し背中が曲がり、身長が小さくなってしまった男性。頭には紫色で真ん中に十字架が描かれた帽子を被り、首からも十字架のネックレスをかけていた。あの頃と何も変わりはない。シワの数は苦労の数というのが口癖だったが、その顔には昔の面影よりもより増えたシワがより印象的に見える。俺に残酷な事実を突きつけ続けた過去の記憶の中の牧師がその隣に立ち、こちらをじっと見つめていた。彼が彼女の問いに答えを言い放った張本人であり、全種族平等を掲げるウェルム教で世界で10人しか存在しない牧師にまで上り詰めた、スペイシア・アンディー牧師だ。


「な、何よ。アンディー牧師でも面白くない冗談を言うのね。この世に生まれた際に神からの御加護として授けられるのが天恵でしょ? それを持たないで生まれてくる人なんてこの世にいるわけないじゃない。そもそも、それがウェルム教の教えだし」


 バツが悪そうに彼女はしどろもどろになりながらも反論する。


「あぁ、その通りだ。だからこそ、彼には辛い幼少期を送らせしまし、背中に重い十字架を背負わせてしまったのだ。アレックスさん、ここはあなたの所有する家なので大変心苦しいのですが、しばらくの間2人きりにさせていただけないでしょうか」


 隣のアレックスと呼ばれた男性は、アンディー牧師の言葉に何一つ反論することもなく、低くしかし力の籠った声で自分の娘の名前を呼ぶとそのまま一言も発することなく部屋から出て行った。彼女は納得がいってはいないという表情を浮かべはしていたが、父親に反論し、異を唱えることはなかった。パタンと扉が閉まる音を最後に部屋には静寂が訪れる。どちらから声をかけるか、言葉をつむぐか2人の間で駆け引きが行われているようにも感じた。それほど2人の間の空白の時間は重い意味を孕んでいた。


「お久しぶりですね、アンディー牧師。かれこれ、20年ぶりくらいでしょうか」


 静けさに耐えきれなくなり、先に声をかけたのは自分からだった。しかし、牧師から言葉が言葉が返ってくる事はなかった。再びなんとも言えない静けさが部屋を包み込む。


 どれくらい待っただろうか。時間にしてみると2分もなかったようにも思えるが、体感時間ではその倍以上の長さの時が流れたかのように感じた。そして、罰が悪そうにアンディー牧師の口から言葉が紡げられる。


「お主には、いやお主にも


「えっ...?」


「あの時、君に初めて自分の身に宿った天恵を教えて欲しいと言われた時。その時は・・・見えなかった。だからこそ、君にあのような酷なお告げをしてしまった。だが、今のお主にははっきりとその身に宿らせた天恵の正体を見ることができるのじゃ。何かが君の中で目覚めた、としか言いようがない。あの時、見えなかったというのはわしの力不足の何物でもない。ほんとにすまんかった」


 酷なお告げ。そのように認識をさせてしまっていたのか。天恵があると言われた事に対し心躍るものがあるのだが、それ以上に何故か分からないが彼に大きな悩みという足枷をはめてしまっていた自分がいたことがその嬉しさをマイナスにしていた。


「そんな、アンディー牧師の天恵は『相手の次の行動に対しての最適解が見える』というものじゃないですか。その中で見えた最適解から天恵を分析する、あくまではっきりと分かるものじゃないですよ。だから、そんなに気を落とさなくても——」


じゃったのだ。わしも今まで多くの人の最適解を見て、天恵を分析してきたがその中でも極めて稀有な天恵と言えるじゃろう。前例すらない、恐らく世界で君1人だけにもたらされたものじゃと断言できる。そのためじゃ、今後君の身体にこの天恵がどのような効果が現れ、デメリットが生じるのか全く分からんのじゃ。不甲斐ない、わしはいつでも君の役には立てん——」


 涙が——彼の慈愛に満ちた目から溢れおちる。その涙は白く透き通っており、幾重にもある顔のシワを物ともせず真っ直ぐに地面に落ちていき、床に円形のシミを作り上げる。


胸から熱いものが込み上げる感触があった。天恵があったと言われ心躍らせていたにも関わらず、次の瞬間には口から荒い呼吸で空気を入れ、冷まさなければいけないほど胸が熱くなっていた。今まで悩み苦しんでいた自分の今、この瞬間を見せてやりたい本気でそう思う。そして、一緒に悩んでくれていた人がいたという事実も同時に伝えてやりたい。


 眼から留め無くこぼれ落ちる雫を必死に手で拭い去る。そして、目の前で同様に静かに目頭を押さえる彼の方をじっと見直す。


「未知の天恵ですか。今まで、ないものと思われていたものですもんね。どこか昨日の自分よりも緊張している俺がいますよ。でも、なんとか乗り越えてみせます。天恵がないっていう稀有な存在としても今までやってこれたんです。どうにかなりますよ!」


 弾ける笑顔を浮かべたつもりだったが、その声はやはりいつもより上擦っていた。隠しきれぬ感動がそうさせたのだ。


「じゃが君、とても言いづらいんじゃがすでに余命宣告されているようなものなんじゃよ?」


 一気に目頭の熱が冷めるのを感じる。涙でぼやけていた視界も瞬く間に正常通りに、いやいつもよりクリアな状態に戻っている。今、目の前の牧師は何と言った? その言葉だけが頭の中で反芻される。


「ど、どうゆうことですか!? もしかして、この大怪我ですか? これが自分の命をも蝕むほどの重症ってことでしょうか。でも、先程の女性は自分のことを回復力が高いとか治癒力系の天恵を持っているのか尋ねてきました。それは、回復傾向にあるってことじゃないんですか!」


「ま、まぁ落ち着きたまえ——」


「落ち着いてなんていられませんよ! ちゃんと説明してください!」


 はぁ、と一つ大きな息をこぼす。これから語られる言葉がそんなに重たい、深刻な内容であることは火を見るよりも明らかであった。


「君の天恵は先ほど話した通り『死の状態から復活させるもの』ということだけ今の時点では判明している。この効果は複数回使えるのかも正直まだ分からないから、決して安易な判断で死に急ぐではないぞ。ただ、その効果が発動する際にどうやら自分の身体にかかっていた効果も同様に引き継いだ状態で復活させるものであったことが仮定として挙げられたのじゃ。だから、君が死ぬ直前に怪物によってかけられたデバフ、それが一生消えることなく残り続ける、みたいなんじゃ」


「デ、デバフがですか。そういえば、怪物の最後の大剣の一閃を食う直前にデバフのアイコンが表示されたような気がします。で、でもあの怪物のことは事前に調査しましたが、デバフに関してはそこまで強力なものじゃなかったと思うのですが」


「デバフ自体は『相手の一時的強化を一つ解除する』ものじゃが、これは相手の身体的バフをなかったことに、つまり戦う前の状態にまで時を戻しているための副次的効果なんじゃよ。だから、それが君の身体に永遠にデバフとして残り続けるということは、君はこれから1退なんじゃよ!」


「そ、そんな...。 でも、それのどこが問題なんですか? ただ、若返られるならそれは願ったり叶ったりじゃないですか。最近、身体の衰えなんかも感じてて自分的にはありがたいかなって思っちゃったんですが」


 途端にアンディー牧師の顔が真っ赤に染まる。これは昔から知ってるある行為の兆候だ。そう激怒の前の。


「ばばば、馬鹿者!! そんな軽い気持ちで受け止めていいものじゃない! 退化するということは君の身体が赤ん坊になるまで時間の流れと共に若返るということじゃ。じゃったら0歳を迎えるとどうなる! それより前の君はこの世に存在しとらんのじゃぞ。もしかしたら、その瞬間君の身体が消滅するかもしれないんじゃ」


 えぇぇ!!! どうやら俺が今後迎えるのは老後ではなく、再び言葉を発することができない赤ん坊に成長していくみたいだ。こういうふうに、いい歳して重大な事実をあっけらかんとしか受け止められないっていうのも、俺が子供のまま進歩してないっていうことか。でも、どうでもいい。何故なら、再び俺はその子供に向かって時を進めるしかないのだから。

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