X-3話 終わりを告げる鐘の音
時間というものはおかしなものだ。0歳まで退化するとアンディー牧師から衝撃的に告げられた時は、これからの時間をどう過ごしていこうものかと必死に悩んだものだが、あれから1日、2日経つとそれは頭の片隅にへと追いやられていった。そして、なんと一週間経った今ではもうそんなことは気にも留めなくなっていた。こんなことを言うとまたアンディー牧師に起きている現象を真剣に受け止めろとどやされるかも知れないが、命が削られている感じが全くしないんだよなー、とつい俺は考えてしまう。今この瞬間も1秒、また1秒と俺の寿命は時計の針を逆回転させているはずなのだが、これといって今の俺に影響は及んできておらず、それどころかすこぶる健康といった有様。あの怪物にやられた時の方がまだ死ぬという感情を強く抱いていたんじゃないだろうかと口には出すことはないが考えてしまう。
とにかく、最近は自分にかけられた実態の掴めない十字架には意識を傾けることはなく、ただ今まで通りの生活を取り戻すことに全力を注いでいる。今も、その一環としてまだぎこちない動きしか見せない身体に鞭を打って、久方ぶりのキリの町を散歩して見渡している。子供の頃の記憶で曖昧だったものが、ここで実際にあの頃と変わらぬ風景を目にすると記憶の奥底で眠っていた忘却の記憶がふつふつとその時の景色と重なり合いながら思い出される。森の緑をゆらす空から流れ来る風は、子供の頃とその感触を変えておらずこの町に住む人々の悩むや不安を吹き飛ばすかのように、優しく以前と同様に頬にふれ髪を撫でる。その感触すらもどこか懐かしく感じ、身体全身でこの村の息吹を感じ取っていた。
自然しかないと最初は毒を吐いてはいたものの、怪我の療養をしているんだと思えばこの町はこの大陸で最も適しているのかも知れないな、と考えを改めさせられる。こんな羽目になるとは一度死んでみる前からしてみると、微塵たりとも思っていなかったことだ。
あの後、アンディー牧師は俺に何度もこの天恵は詳しいことがわからないと念を押してきた。今まで幾人もの天恵を見てきたあの人が言うんだからそれについては疑うつもりはない。だが、ふとなぜデバフの効力だけが身体に固定されて、怪我だけは短期間で治るようになったんだと疑問に思い、彼に問いただした。あの場面で言われた言葉はすでに頭が天恵のことやらデバフのことやらで混乱している状態では1ミリも理解できなかったが、今なら少しは分かるかも知れない。そう思い、あの時あの人がどのように返答したのか思い出してみることにした。
「君の身体から怪我が今後免疫細胞に伴う自己治癒力で治ることはおそらくじゃが起きないじゃろう。あの時負っていた怪我やダメージもそのまま君の身体の一部となり復活したとわしはみている。それでもじゃ、怪我が回復傾向にあるのは君が怪物の手によって受けたデバフの仕業なんじゃよ。身体を退行化させるとは、それつまり本来なら時間経過とともに劣化していく身体の細胞を、その流れを無視して若返らせていると言うことじゃ。その副次効果で怪我を治し、またその回復期間を飛躍的に狭めているんじゃよ。まぁ、怪我した細胞が若く元気な細胞に移り変わるのじゃから当然と言えば当然じゃ。
本来なら、そんなものがなくとも怪我は治るんじゃがな。ややこしくしてるのは、全てそのデバフじゃと分かってくれたかな。じゃが待てよ、そうなると大怪我を直すために細胞の若返りを活性化させると退行化が早まったりするのかな? いや、詳しいことは分からんから、最後の言葉は忘れてくれたまえ」
あぁ、やっぱり分からない。朗らかな温かみを含んだ風が詳しく考えようとした瞬間にそんなことは時間の無駄だとは言わんばかりに頭からその思考を吹き飛ばしてくる。元から戦闘以外の場では熟考や長考が苦手な達だ、そのような甘い誘惑があれば否が応にも従ってしまう。
「まぁ、そのうち全てが分かるだろう。今は、とにかくもう一度冒険者として名乗れるように健康体に戻さないとな。これじゃあまともな戦闘も行えやしない」
いつの間にか止まっていた足を再び動かし始める。依然として怪我の影響でまだ速く歩くことはできなかった。それをやろうとするものならば、激痛が身体を襲い一気に地面に膝まつく事になることは間違いないからしようとも思わないが。最も、走るなんてことはもってのほかだ。ゆっくりと、それでも着実に歩を前に進める。歩く俺の隣を腰元ほどの身長をした子供達が顔を見合って笑いながら走って駆け抜けていき、そして次第に彼らがこぼす笑い声は微かになっていく。
彼らの姿をぼんやりと眺めていると、ふと過去の苦しんでいた時期の自分を思い出してしまう。あの頃は当然走ることはできたが、周りの同じ歳の子供達は優れた天恵に恵まれ、天恵の兆しも見せない自分との目には見えない差は開く一方だった。もしかしたら、天恵を持ちもしないのに冒険者を志したのは少しでも彼らに追いつこうとした潜在意識からくるものだったかも知れない。恐らく今後天恵を発現させる遠くに背中だけが見える子供達を見つめながら、開き続ける差を埋めるように今出せる全速力で前に身体を動かし続けた。
「ただいま戻りました〜。遅くなってすいません」
町中を歩いているとすっかり空は夕暮れ色に染まり、気がつけば遊んでいた子供達も帰路につき、家の煙突から上る煙はまだ東の空から顔を出した程度の薄い月の登場を歓迎しているようにモクモクと空へと登ろうとしている。そして、かれこれ1週間ほどお世話になっている家の扉を引き、中に入っていった。
中ではこちらもすでに夕食の準備に取り掛かっているようで、本来の住人である父親と娘の2人が色違いのエプロンに身を包みながら慌ただしく台所とテーブルの間を行き来していた。娘の方の姿は可愛いの一言に尽きるのだが、父親の方はエプロンが筋肉ででこぼことシワで隆起している。そのガタイにエプロンが似合っていないことは言わずもがなだが、この数日間毎日見てきたがどう見てももうワンサイズ大きい方が良いのではないかと思うのだが、今だに面と向かって口に出せずにいた。言ったら傷だらけ俺の身体に新たな傷ができないと断言できない上に、彼の機嫌を損ねる事によって生じる様々なデメリットが言おうとするタイミングで常に頭に浮かんでくるからだ。最終的には、本人が気に入っているのなら問題はないか、という結論に毎日たどり着いていた。
「おかえりなさい! 今日はずいぶん遅かったじゃない、だいぶ遠くまで歩いていたのかしら?」
「クーリエ君。君はまだ傷を負っている状態で、完治していないんだよ。あまり張り切りすぎると私の方から村への散歩は禁止させてもらうよ」
一斉に手を止めて、こちらに向かって途切れることなく言葉をかけてくるあたりが本当にDNAを引き継いでいる親子だなと毎回痛感させられる。しかし、禁止にされるとこちらとしても身体が鈍ってしまうので、これからは気をつけないといけない。これ以上ベットの上で何もせず空虚な時間を過ごすのは懲り懲りだ。
「ちょっと昔のことを思い出していたら懐かしくなっちゃって。今度からはちゃんと時間を見て帰ってきますね。こちらの料理を運べば良いですか?」
お皿いっぱいに盛り付けられた野菜とキノコのサラダをテーブルへの運ぶと、その後から散歩について問われることはなかった。全ての料理を食卓に運び終えると、三人は所定の席に着く。テーブルには4つ椅子が設置されているが、3人は誰かにそこに座れと言われるまでもなく無意識中に自分の席に腰をかける。
サラダに加え湯気がモクモクと立ち上げる肉料理に少し硬めのパンにと毎度のことだがとても豪華な料理が並べられている。それも、3人で本当に食べ切れるのかと言うほどにどの料理もその量が常識離れしている。それを、この2人はなんとも思わずに食べ尽くすのだから今までの自分の常識が狂っていたのかと錯覚してしまう。この家で過ごしていると何度も今まで培ってきた知識を疑うと言うループを繰り返しているのだが、そんなことは当然だがこの2人には言えない。
「さぁて、お二人さん食事の準備はできたかな?」
エプロンを脱ぎ、真ん中に可愛いうさぎがプリントされた白のタンクトップが露わになった父親が俺と娘の様子を見て促してくる。目の前の食欲に対して挑発的な肉料理が俺に何かを言いたげに訴えてきているような気がした。もし、この肉料理がうさぎだとしたらすごく食べづらいんだが。
「できてるよ!ばっちり」
「大丈夫です」
2人の声が揃い、父親の顔から笑みが溢れる。
「では。天恵を分け与えされしものを殺傷し、それを糧として生きることを許したまえ。これを我らの後悔として、魂に刻み、感謝しながら生きゆくことを約束します。合掌ーウェルムと我らに栄光あれ!」
「「「栄光あれ」」」
「さぁ、頂こうか。今日はこのうさぎの肉の煮込みが別格に上手くできたんだ、ぜひクーリエ君も食べてみてくれ」
微笑しか浮かべることができない。この人は、今自分が食べようとしている動物の生きた姿が可愛らしくプリントされた服を着ているのにも関わらず、肉を豪快に
「一つ、尋ねても良いでしょうか」
夕食が終わり、食べ切れるか不安視される程てんこ盛りに盛り付けられたはずの料理の皿だとは思えないほど、綺麗に跡形もなかったかのようにその中身を空にし食卓の上に並んでいる。これを片付けるための作業を手伝いながら、皿の上に食べるときに用いたスプーンなどを乗せた状態で、両手で2枚同時に台所に運んでいた父親に声をかける。
「なんだろうか、何か生活する上で不便なことでもあっただろうか?」
スプーンやフォークがすでにシンクに置かれていた食器とぶつかり合い、金属音をかき鳴らしながら乱雑にそれらの隣に置かれる。
「いえ、不便なことは何一つないですよ。こんな大怪我をした自分の看病までしてくれて、かつ食事までお世話になっているのですから。感謝しかありません」
「では、何かな?」
低く、でもどこか畏怖してしまうような強みのある声でこちらをまっすぐに見つめる。その目線から思わず視線を逸らしてしまいそうになるが、なんとか寸前のところで踏みとどまる。
「大したことじゃないのですが、あの食事が始まる前の一連の行動はなんなのかなって最初に聞いた時から疑問に思っていまして。俺が幼い頃にこの土地で暮らしていたときはそのような文化というか習慣はなかったもので、いつ頃からどのような経緯で行われるようになったのかなって」
質問に答える前に、顎で手に持っていた食器をシンクの中に置くように促される。それに従い音がならないように気を使いながら食器を置くと、父親は一気にシンクに備え付けられた水道の蛇口を開いた。閉ざされいた門が開けられ、水は激しい音を立てながらシンク内へと流れ落ち、食器にぶつかると同時に水飛沫として多岐の方角に飛び跳ねていく。
「君がここで生活をしていたのはおよそ20年ほど前だと言ったね」
食器に手を伸ばしながら、泡のついたスポンジを片手に持ちながら父親は重そうにその口を開いた。そこには、どこか言いづらいことを今から話し始めるかのような雰囲気が立ち込めている。
「はい、そうです。ちょうど10歳になった頃だったと記憶しています。それからしばらくして出て行きましたが、それでも5年ほどは滞在していたと思います」
「うん、そうだな。じゃあ、その頃にはなくて、今はあるものがあるだろう。なんだと思う?」
しばらく顎に手を当て考え込み、ゆっくりと思いついた答えを口にする。
「——ウェルム教の教会ですかね。昔も教会はありましたが、もっと小さくて宗派もそれではなかったと記憶しています。アンディー牧師は昔から教会で働いていられたのでこの変化を思い出すのにしばらく時間がかかりました。でも、変わらずこちらにいらっしゃるようですが」
父親は蛇口を捻り、流れ落ちる水を止める。途端に静かになるが、彼の手にはまだたくさんの泡がついており、洗わなければならない食器もまだ複数枚残っているように見えた。だが、彼の目線はこちらを見つめてはいない。付け加えるなら、食器すら見ていないように思える。焦点の合わない目でただ何かをじっと見つめている。
「それが私たちが行なっている—— 一連の行為の経緯だよ」
「いや、ちょっと答えになっていな——」
ドゴォォォォ!!!!!!!
突如凄まじいほどの衝撃と物音がこの家を襲った。それは、この幸せな時間が一瞬にして壊れたことを伝える終焉の始まりを告げる音でもあった。
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