カラス坂のテッペンで

ゲン人

白いカラスにでもなって


 昔々ある村の、一番の美丈夫が不治の病に罹ってしまったそうな。村人達は不憫に思い、街から街へ渡り歩き必死に治療法を探した。


 されど、どこへ行っても「無理だ」「可哀想に」「残念だが諦めろ」の三拍子。流石に村人達は疲れ果て、トボトボと村へ帰還した。絶対に美丈夫を助けると息巻いていただけに、それが叶わないと分かった時の落ち込みようと言ったらそれは酷かった。


 さて、村に帰って美丈夫に報告しようと家に行けば体が痩せ細った美丈夫がいた。しかし予想と違ったのは、彼の顔に満遍の笑みが浮かんでいた事だろう。村人達は心配よりも不気味に思い、美丈夫に尋ねたそうだ。


「何をそんなに笑っているのか、ついぞお前を助ける術を我らは見つけられなかったのだぞ」と。


 その言葉を聞き、美丈夫は問いた村人達に答えた。


「明け方、いつも通りボーっとしていたら。白いカラスが枕元にパタパタ〜と飛んで来てな、言ったのよ。『カラス坂を自らの足で越える事が出来れば、そなたの病は治るだろう』とな」


 村人達は驚き、必死に美丈夫を止めた。カラス坂は非常に傾きが急で、心臓破りの坂として有名だったからである。


 きっと悪鬼か何かがカラスに化けて、この美丈夫を騙そうとしているのだと思った村人達は。必死の説得を繰り返したが、次の日の明朝。美丈夫は家から抜け出し姿を眩ませてしまったそうな。


 「「「カラス坂だ」」」


 村人達は声を揃え、一目散にカラス坂へ向かった。すると何やら坂の上から声が聞こえる。


 はや美丈夫かと思い村人達が待ち受けていると、その声は坂を下り下へと向かってくる。するとどうだろう、降りて来たソイツは人の大きさをしたカラスではないか。しかもヤケに聞き覚えのある声で鳴くのだ。


【カァァァ カァァァ カァァァァ】と。


「この事から、このカラス坂を自力で登り切れば病は治り。登り切れなければ白いカラスによりカラスに変えられてしまうと言われております」


 ツアーガイドさんの話が終わる。我々は一様に頷きながら話に聞き入っていた。


 何のツアーかと問われれば、最近人気の【死地巡りツアー】である。余命宣告を受けた病を持つ者達が、死地を求めて日本全国を回るのだ。


 中でも人気なのがこのカラス坂である。迷信と分かってはいても、登り切れば病が治る。そんな奇跡を信じて、人々はこの坂の踏破を目指すのだ。


「では!いよいよお時間がやって参りました、皆様くれぐれもお気を付けて頑張って下さい」


 このツアーには相応しくない程、明るい声で坂登りの開始をガイドさんは宣言する。いつも死人の顔をしている病人達も、この時ばかりは顔に生気とやる気を満ち溢れさせ坂を一歩、また一歩と登り始めた。


 だが、私には登る気などない。こんな事で短い寿命を更に減らす事はないと思うからだ。しかしながら、坂に挑もうとするある人を見つけ思わず呼び止めてしまった。


「ん?君は原口さんじゃないかね!なぜ君まで坂を登ろうとしているのだね、そんな事何の意味もないだろう事は分かるだろう」


 先程まで、バスでお隣りさんだった原口さんだ。彼女はまだ30前半と若いが、末期癌を宣告された女性だ。


「あら!先生じゃありませんか!登られないのですか?せっかくの機会じゃありませんか」


 バスの中でも明るかったが、やはり底無しに元気が有り余ってるといった様子だ。本当に病人なのか怪しいようにすら思える。ツアー中に私が教師をしていたと話した事から、彼女は私を『先生』と呼ぶ。


「登る訳がないだろう!無駄な事だと分かりきっている、しっかり現実を見て一日でも生き長らえる事を考えるべきだと思うがね」


 私は私の正しいと思った事を、彼女に伝えた。するとどうだろうか、彼女の声がうんと低くなり、目がスッと細まったのだ。


「ねぇ先生、なんで私達はこの坂を登るんだと思います?」


 今までにない真剣な口調。私に返事が出来ないのを見て、彼女は更に言葉を連ねる。

 

「他の人は知りませんが、私には子供がいます。まだ十歳の可愛い女の子です。私はまだ死にたくありませんよ、だからこの坂を登り切って病気が治るなら、治るに越した事はありません」


 彼女は一度言葉を切って、更に続ける。


「先生にも家族がおられるのでしょう?バスで話してくれたじゃありませんか。息子さんや奥さんの為に、まだ死ねないと思っていると」


「そうだな、だからこんな馬鹿な事で命を削りたくないのだ。君も、登らん方が良いと思うがね」


 私の言葉は、とても覇気がなく情け無い。かつて生徒達相手に喝を入れていた声に比べて、なんと軟弱な声になった事か。


 私にも分かっていた。死期を宣告されてから、挑戦することが怖くなったのだ。私が怖がっているのになぜ周りの人々は挑戦できるのか、恐れず坂に挑めるのか。私はその卑屈な心を、他人を見下しアイツらは馬鹿だと思う事で紛らわしていた臆病者の愚か者でしかない事も、自覚している。


 それでも私は登れないのだ。


「先生、私は登りますわよ。さっきと言ってる事が違うようであれですけども、どうせ死ぬなら色んな事を経験して色んな物を見て、死ぬ寸前に娘に色々聞かせてあげようと思いますもの。それが私の親としての務めですわ」


 だがしかし、私は彼女の声を聞いた。先程の重い声とは打って変わって、ただ一点を目指し挑戦し。周りには勇気を与える声だ。


 彼女のその瞳と、高らかに語る理想の何と美しい事か。私は確かにその姿に魅せらた。その瞬間ふと見たくなったのだ、彼女がカラス坂を登り切るその瞬間を。


 私の臆病は彼女にかき消され、今なら登れると思ったのだ。そう、彼女と一緒なら。


「全く、若い者には敵わないな。どれやはり私も登るとしようか」 


「あら!登られる事にしたんですのね、あれ程聞かん坊だったのに」 


「よくよく考えて見れば、さっきまでの私は登らん登らんと駄々をこねる子供のそれだったように思えるからね。君の言う通り、死ぬ前にこの坂を登って見るのも悪くないかもしれない」


 私は一歩、また一歩と歩き始める。流石カラス坂、中々に急である。私が歩き始めるのを確認したのか、原口さんも力強く歩を進める。


「先生!お先!」


 カラッと笑いながら、原口さんはドンドンドンドンと先へ行ってしまう。まだまだ元気な彼女を見て、少しばかり悔しいような悲しいような気持ちが胸の中に溢れ出す。


「全く、すぐ行くからね原口さん!そんな勢いじゃあすぐバテてしまうとも!私が追い付いたら覚えておくんだね!」


 挑戦する勇気を彼女に貰ったものの、どうやら私の捻くれて負けず嫌いな部分は更生されていないらしい。


 だが、いつもは顔をしかめながら言うような皮肉を私はこの時笑顔で発していた。自分では気づかなかったが、近くにいた別の参加者が教えてくれたのだ。


「ねぇあなた、とてもとても良い顔で登るもんですな。おっと失礼!私小倉という者です。冥土の土産にかの有名なカラス坂を踏破してやろうと思いましてな。おたくもその口でしょう?顔を見れば分かりますとも」


 随分と体が頑丈そうな男、それが小倉さんの最初の印象だ。原口さんといい小倉さんといい、参加するツアーを間違えてはいまいか?甚だ疑問である。


「いえね、私最初は登る気なんてなかったんですがね?ほら!あの上の方にいる女性見えますか?もう豆粒みたいに小さくなってますが」


 小倉さんはギュッと眉間に皺を寄せ、目も細めながら原口さんを探し始める。やがて見つけたのか、眉間に寄せていた皺をサッと戻して、顔にパッと笑みを広げた。その様子は一番星を見つけた子供のようであった。


「見えました、えぇ見えましたとも!いやはや凄いもんですな若さってヤツは、我々の何倍も先へ進んでしまう」


 感慨深げにウンウンと頷く小倉さん、私は少しばかり気に入らない。


「我々も負けていられませんぞ、早く追いついてあの原口さんに目に物見せてやらねばならんのですからな!」


 小倉さんはチラリと私を流し見ると、上へ視線を向けてキュッと口角を上げる。


「原口と言うのですねあのお嬢さんは。確かに我ら歳衰えたとて、気概ってヤツがあるのを見せつけて、お嬢さんを見返してやりましょうよ。えぇ」


 挑戦的で、ノリが良い小倉さんに私も釣られてより笑みを深める。そうなのだ、原口さんに私の気合いを見せて。先程の醜態を記憶から消してもらわねばならんのだ。


 爺さん二人、笑い励まし合いながら登る様はとても【しゅーる】だとは思うが。私はこの歳になって久々に青春を思い出したのだ。


 一歩進んで水を飲み、一歩進んで笑い合い、また一歩進んで水を飲み、歩きながら過去を語らい、坂の終盤では好きな酒の話で盛り上がった。


「小倉さんねぇあんた分かってないよ!梅酒が1番だよえぇ?それをあんた芋焼酎って言うんだから分からないね!」


「梅酒こそ分からんよ先生!やっぱ酒と言ったら芋焼酎一択だよ!霧島をぐぃっとやった日にゃあよく眠れるんだよ。今度先生にも奢って上げるから飲もうよ」


「私は甘酒でしょうかね、健康にも良いし。お酒ばっか飲んでると早死にしますわよ?」


「「うるさい!酒は男のソウルなんだ!分かったような口聞いて貰っちゃ困るね!」」


 突然割り込んで来た声に二人して反応してしまったが、私はこの声を聞いた事がある。


「誰かと思えば原口さんじゃないかね!やっと追いついたよ、見たかね?老体もやるもんだろ」


 私は曲がりかかった腰を精一杯伸ばし、胸を張って見せる。心なしか気分も良い。


「えぇ、お疲れ様です。よく登り切れましたわね」


「そうだろう!私もやる時はやるもん......なに?登り切った?」


 気づけば、私達は登り切っていた。小倉さんはニヤリと笑い、原口さんは優しく笑う。私も少しばかり口角を上げた。


 私はふと思った、この中で1番早く死ぬのは私だろうと。そんで死んだら白いカラスになって皆んなの枕元にお邪魔してやるのだと。


 カラス坂のテッペンで、二人と笑いながら強く思った。

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カラス坂のテッペンで ゲン人 @gangu

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