第15話 夏祭り(1)



 こうしてあの夏の日々を思い出していると、あの数十年前の出来事の方が、灰色の現実よりもリアルで色彩豊かな情景として思い出される。



 私が真希お姉さんと過ごした時間はその後の人生に比べたら、ごく短いものだったけれども、私の人生の中で最も輝いていた時間だったと思う。



 もちろんその後の人生でも仕事に没頭し、趣味を楽しんだ時間も多くあるのだけれども、そうした時間も、あの、真希お姉さんと過ごした暑い夏と比較すると色あせて見えてしまう。



 何人かの女性とも縁があり、交際したこともあったが、結局、長く続かずに結婚に至ることは無かった。仕事をしている間も父母が相次いで病にかかったり、介護が長引くなど私の家庭の事情も色々あった。真希お姉さんのことを思い出すゆとりも無い生活を続けてきて、気がつくと父母も亡くなり私一人で気楽な独身生活に戻っていた。



 仕事への情熱も薄れて、早期退職制度を利用して自由な時間を過ごしていた頃に、心の穴を埋めるように私の元に届いたのが、本家の従伯母さんからの手紙だった。赤い封筒には従伯母さんからの招きの手紙と、真希お姉さんが昔、私宛に書いて投函されなかった封書が同封されていた。



 そして、この町に久しぶりにやってきて思い出すのは、やはり真希お姉さんのことだった。



 先日、恭子先生と話をしていたときもやはり真希お姉さんの話題になった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「それで……貴文くんは今度はいつ頃までこの町に?」



 喫茶店のテラス席で煙草を吸いながら恭子先生が話す。相変わらず小雨が降りしきっていて、湿度は高いけれども今年の夏はそう気温も高くないとの予報で、山の上の方にあるこの町では風も涼しい。



「1週間くらい、と考えています」



「……じゃあ、お祭りの時までは居ないのかな……そういえばあの年も……高校生だった貴文くんが来たのも今頃だったんじゃ無いか?」



「確かそうだったと思います」



「真希と貴文くんに職員室で会った時だったかな……何となく、年の差なんて関係無く、この子たちは合うんじゃ無いか、そう思ったんだよな……」



 何度か過去にも恭子先生とはこういう話はしてきた。真希お姉さんの態度はわかりやすくて、当時から私たちの関係は分かる人には分かっていたらしい。



「すまない……まだ……思い出すのは辛いか?」



「……辛い、というより、今になってもまだ現実感が無いですね」



 私はそう言って煙草の煙を吐き出した。



「結局、今に至るまで見つからなかったわけですし、理屈では分かっていても、どうしてもそう思えない、というのが本当のところでしょうか」



「そうか……でもな、真希もあの時が一番幸せだったと思うぞ。貴文くんは知らないと思うが、あれ以前はかなり情緒不安定なところがあったしな」



「それは、昔、真治お兄さんにも聞いたことがあるように思います」



 真治お兄さんというのは本家の長男で都会で就職していた人だ。真希お姉さんの兄に当たる。何度か会って話す機会があり、そのときに色々な話を聞いたけれども、数年前に膵臓がんで亡くなった。綺麗な奥さんと娘さんが居たけれど、結局男の子は生まれなくて、ミツブセの家を継ぐ人は居なくなってしまった。どのみち真治お兄さん自身も継ぐつもりは無かったらしい。



「真治お兄さんも『あの頃の真希が一番幸せだったと思う』と言ってくれました」



「面倒ごとに巻き込まれることが多かったからな……真希は、何というか、とにかく異常にモテたんだ。それで、異性関係だけじゃ無くて同性からも妬まれたりしてな」



「そうなんですか……そういえばあの時も『人間関係のトラブルがあった』って言われてましたね」



 私の知らない真希お姉さんは情緒が安定しないときがあって、ヒステリックに騒いだり、取り乱すことも多かったそうだ。でも、私の中の真希お姉さんはいつも優しくて、いたずらっぽくて、可愛い人だった。



「恭子先生は真希お姉さんのことをよく知ってるんですね」



「いろいろ相談も受けたしな……でも、あの頃は『貴文くんから手紙が来た』って喜んでいたことも多かったぞ」



「そう言っていただけると、少し心が楽になります」



 私はそう言って目をつぶった。外は小雨が降りしきっていて空は灰色だけれども、私の脳裏には、あの夏の青い空が広がっていた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 こうしてミツブセのお屋敷で楽しい夏休みを過ごしている間に、夏祭りの時期が近づいてきた。町の人はあまり知らないことだけれども、本来は3回に分けて行われるお祭りの中祭りなのだそうだ。この日は町にある神社の周りで夜店が出たり踊りが踊られたりするので、町の皆さんも楽しみにしていた。



 そういえばこの町のお祭りの踊りはやはり伝統に則っているのかな?と思って従伯母さんに聞いてみると、独特の踊りが少しずつ伝承されているのだそうだ。



 善十さんが少し踊ってくれた。滑稽な感じの踊りで、笑うと失礼なのかな?とも思ったけど、かみさまも人々も、ともに笑って楽しむための踊りだから大いに笑って良いのだそうだ。



 そしてお祭りの当日。真希お姉さんとは事前に一緒に行く事を約束していたのだけれども、部屋で待っていた僕の前に現れたお姉さんは浴衣姿だった。青地にひまわりの柄がお姉さんによく似合っている。長い髪をまとめて結っていたので普段とは感じが違っていて、とても新鮮で色っぽい。



「どう?似合う?」



「すごく綺麗です」



 気の利いた感想でも言えたら良かったのだけど、僕には綺麗だというのが精一杯だった。



「いいでしょ?ひまわりの柄が気に入ったの」



「ごめんなさい……浴衣姿のお姉さんが綺麗すぎて、柄までよく見てなかったです……」



「……そう言われると、ちょっと恥ずかしいかな……じゃ、行こうか?」



 僕はTシャツとジーンズといういつもの格好でお姉さんについて行って、お屋敷を出た。お姉さんは下駄だったけど履き慣れた感じで、すいすい進んでいく。夏の日は長く、日が落ちる時刻も遅いとは言え、あたりはそろそろ夕闇が迫る時刻となってきた。青紫の空に星が少しずつ浮かんできた。

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