第12話 バチェラーガール

 どこまでも青い空、深い緑の山々、夏の日差し……あの真希お姉さんと過ごした夏のことを思い出すと、曇っていた日もあったはずなのに、いつも晴れていて明るい風景ばかりが思い出される。



 あの夏はこの山奥の町でも特に暑くて、晴れていた日が多かったのは確かだけれども、明るい光の下で見た真希お姉さんの姿の印象が、今でも強く私の目に焼き付いたままだ。



 なのに、お姉さんは不思議と日焼けせずに白い肌のままだった。



 その後の経験から言っても私自身にアブノーマルな傾向は無かったはずなのだが、あの夏、真希お姉さんと私は普通とは言えないような性的な関係を持った。でも、何故か今思い出しても、それは私とお姉さんの間では自然な事で、また、どうしても必要な事だったように思えてならない。



 真希お姉さんはとても真剣に私にそれを求めてきたから、私も荒削りでぎこちなく、それでも懸命にお姉さんの求めに応じて、本当に色々なことをした。



 この町の習俗や風土……犬の仮面をつけた昔の山のお祭りの写真や犬の顔をした男児を描いたお守り、真希お姉さんの首輪、「いぬがみさま」というこの町のかみさま……この土地の風土がそういう遊戯を自然なものとして私に受け入れさせてきたのかも知れないと思う。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 先日、恭子先生と話をしたときも、この町の昔の文化習俗についての話になった。



 久しぶりにこの町に戻ってきたあの日、小雨が降り続いていたあの日、喫茶店のテラス席で私は恭子先生とコーヒーを飲みながら会話をしていた。恭子先生はハイライトの煙を吐き出しながら歴史関係での私の問いに少しずつ答えてくれた。



「『いぬがみさま』って何なんですかね」



「……一口に言うのは難しいが、この町の土着の神様だろうな。『いぬがみさま』と言う名前だけれども、いわゆる『犬神憑き』とは関連性が無さそうだ。全体の特徴としてはいわゆる『山の神』に近い」



「『山の神』ですか……」



「この辺りは江戸時代頃は人口の大部分が男で、山で働く男衆がほとんどだったらしい。それも、いろんな場所から流れてきた貧しい人たちが多かったそうだ」



「聞いたことがあるような気がします」



「だから、いろんな地方の習俗が混ざったのかも知れないな。それにミツブセ……仁礼山の本家や古い祭礼の中には大陸系統の文化も混ざっているように思う」



「江戸時代ですよね?」



「いや、それでも全く交流が無かったというわけでも無いらしいしな。それに、案外そう古い習俗では無いのかも知れない……そういえば、ちょっとあれを見てくれ」



 恭子先生が喫茶店の壁を指すと、そこには夏祭りのポスターが貼ってあった。私も昔楽しんだこの町のお祭り。犬の仮面をつけた人が踊っている絵があるが、真ん中に犬の仮面をつけて白い装束を身にまとった男女の絵が描かれている。



「最近は夏祭りでこの町の伝承を元にした劇をやっているんだ。山に住む『いぬがみさま』を選ばれた男の子が迎えに行くという昔話を元にして教え子が脚本を書いてくれてな」



「そうなんですか……でも『いぬがみさま』って女の神様なんですね」



「そうだ……町の神社の祭神は天鈿女命が奉られているけれども、これも、おそらくは明治の頃に女の神様と言うことで合わせたのだと思う。この神様を山の神社から町に降ろすのが夏の祭りの始まりの儀式だったらしい」



「そういえば山の『かみさま』をお祭りの時に町の神社に降ろす習わしがあったというのは聞いたことがあります。私が初めてこの町に来たときにはもう『さかいのおやしろ』も無くなっていて、よくは知らないですけど」



「……ああ、それだ。私も直接は知らないが、確か数十年前に編纂された町史にも載っていたし、当時の老人から聞き書きした祭りの資料もある」



 恭子先生は一旦話を中断してコーヒーに口をつけた。



「まあ、芝居の方はなかなかロマンチックな筋書きになってはいるんだけれどな……」



 そう言って少し私の方に近づくと、声の大きさを少し落として話し始めた。



「実際はもっと陰惨な話だったんじゃ無いかな、と私は推理しているんだ」



 恭子先生は、さらに小さな声で続けた。



「昔、昭和の始め頃までは、この辺りはものすごく貧しかったんだそうだ……山で働く男衆の扱いもひどいものでな……子供を買ってきて、山でこき使うと言うこともあった」



「大昔の話でしょう」



「いや、そうでも無いぞ。具体的にはミツブセの本家で働いていた人たちがいただろう。あの人たちがそうだ」



「え?じゃあ、戦後も」



「そうだ……昭和30年代頃までかな。ほら、今ではもう善十さんだけになったんだけどな、善十さんなんか免許を取りに行く少し前の年齢まで戸籍が無かったらしい」



「……その時代でもそんなことが」



「……ああ、さすがに大伯父様の代には大分良くなっていたから、私も直接には知らないんだが、私が親から聞いた話では色々あったらしい。戦前は本当に酷い扱いだったそうだ」



 先生は話を中断すると、またハイライトを1本取り出して火をつけた。そして一口吸うと、小声で話を続けた。



「それでな、ここからは私の推理なんだが……男衆の扱いがそれだから、女はもっと酷い扱いだったんじゃないのか、ってな」



「それはどういう?」



「男衆は嫁も取れない人がほとんどだ……だから大昔は女を買ってきて慰み者にしたんじゃ無いかなと……山のことは男衆しか知らないし、資料にも残っていない話だから伝聞からの推理ではあるけどな」



 一拍おいてから先生が続ける。



「このあたり、知っていたとしても大伯父様の代までだろうし、女には知らされなかった話だとは思うが……山の男衆の楽しみは『いぬがみさま』と遊ぶことであったそうだ」



「かみさま、ですよね……遊ぶって?」



「それもおそらく隠語で、実際は女を『さかいのおやしろ』に閉じ込めて慰み者にしていたんじゃ無いかと思う……山は女人禁制で『そこまでしか女は行けない』というのは『そこまでなら女も行ける』という話でな……町に降ろすというのも……」



 私は何も言えず固唾をのんで先生の話を聞いていた。



「……町に降ろす、というのも、接待役は必ず仁礼山の血筋の未婚の男子だったらしいが、『女を抱かせる』一種の通過儀礼だったんじゃないかな、ってな」



 私はその話に相づちを打つことさえ出来ずに沈黙してしまった。



「まあ……今となっては私の推理に過ぎないが、昔の聞き書きを読んでいると、そうだったんじゃ無いかと思えるんだ。町での祭りの時も『いぬがみさま』が降ろされた町の神社で女のあえぎ声が聞こえてきたとか言う話も残っている」



「本家の人は知っていたんですかね?」



「……ミツブセの従伯父さんには存命中に祭りのことを聞いたことがあるが、祭礼のことはあまり知らなかったしな……知っていたとしても大伯母様が多少知っていた程度じゃ無いだろうか?」



「そうですか……」



 ふと炭屋敷のあの部屋のことを思い出す。



「そういえば、昔、炭屋敷には座敷牢があったって話を聞いたことがあります」



「ああ、あれな。私も昔、調べたことがあったが……実際使われるような感じでは無かったようだな。資料に写真が載っていたんだが、出入り口が無かったそうだ……儀式に使ったらしいが、本家の習わしにはどうも大陸の文化が混ざっている感じで、専門じゃ無いからよく分からなかった」



 恭子先生がハイライトを深く吸って煙を吐き出した。



「それに……あの屋敷自体にそういう雰囲気を感じるんだ……まるで火災から守るのでは無くて『何かを閉じ込める』構造に見えてしまう……まあ……推理とは言っても、根拠が無さ過ぎる話だし、年寄りの戯言だと思ってくれた方が良いかもな」



 テラスの外では霧のようになった小雨が降り続いている。山々の景色も町の風景も雨に煙っていて、それでいて不思議と明るくて、幻想的な情景だ。



「でも、こうしてこの町の景色を眺めているとな……何か神秘的なことが昔はあったんじゃ無いか……そう思えてくるんだ」



「同感です」



 掛け軸に描かれた絵のように美しい風景を見ながら私はそう答えた。

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