いぬがみさま

須浪旦

いぬがみさま-思い出の町で 作者:仁礼山貴文

第1話 SOMEDAY



 今はいい時代で、こんな山奥からでも高速インターネットにつなぐことが出来る。私がこの町に来るのも十年ぶりくらいだろうか?



 以前は仕事も忙しく、なかなか長期の休みが取れなかったというのもあったが、父方の故郷だと言うのに足が遠のいてしまって、社会人になってからは数えるほどしかこの町を訪れたことがなかった。



 それなのに、この町をまた訪ねてみたくなったのは、早期退職制度で長年勤めた会社を辞めて暇が出来たというのもあるが……最近になって本家の従伯母さんから手紙が届き、それと同時にあの頃の夢をよく見るようになった、というのが大きいかも知れない。足が遠のいてしまう原因ともなった事件。あの暑い夏の夢。



 白い柔らかな胸。しっとりと濡れた唇。陽の光の下での戯れ。鎖で繋がれた、絡み合う白い女体の夢。そして、悲しい結末。あの日の記憶が今も私を捉えて離さない。



 F県N町……亡き父の故郷であるこの町。この町には私の姓でもある仁礼山の本家……この町では通称ミツブセと言われる仁礼山の本家が今でもある。広大な山林を保有し、かつては製炭業や林業で栄えたこの家も、今では継ぐ人も居ない。



 山関係の仕事だけではなく昭和の時代には燃料販売の会社や旅館業も営んでいたのだが、私の大伯父にあたる先代が「もう本家、分家と言うような時代でも無いだろう」と、家業を整理して縮小していく方針をとって事業を売却していったため、かつての賑やかさは本家には無い。



 私を含めて分家筋の男子も数多くいるのだが、本家の従伯母さんも養子は取らずに自分の代で終わらせるつもりであるという話だ。屋敷も町の文化財として将来的には資料館にする予定であるらしい。



 屋敷と言えばこの家の屋敷は大きな日本建築で、畳の間が並ぶ一般的な屋敷の間取りではあるのだが、外観は少し変わっている。



 外から見ると窓が少なく、屋敷の壁も土塀も土蔵の壁のように瓦を貼り付けた、いわゆるなまこ壁で覆われていて、漆喰の部分も黒いトタン板で覆われていたりして、全体に真っ黒であるため、通称「炭屋敷」と言われている。



 炭を扱う家だったので、火災を嫌ってこのような作りにしたのだという話だ。しかし、中には天窓も有るし、中庭も有ってそこから採光するので屋敷の中はそこまで暗くはないのだけれども、慣れないうちは異様な雰囲気の屋敷で、幼少時に初めて見たときには怖かった記憶がある。



 今、私がノートパソコンを開いてこの文章を打ち込んでいるのも、その炭屋敷の一室である。数十年ぶりに訪れたのに、手紙を送ってきてくれたということもあるのか、本家の従伯母さんは快く私を泊めてくれた。



 ところで私は最近になってweb小説の投稿サイトに紀行文を載せるようになった。



 学生時代の旅の思い出や、社会人になってからの趣味の旅行を、記録したノートを元にして思い出をネットに上げて見ると、やはり人気なのは若者向けの小説なので、私のようなおじさんが書くような辛気臭い紀行文は読まれることも少ないのだけれども、ありがたいことに、それでも少しずつ感想をいただけて、昭和の薫りがして好きな文章だと言われたりもする。



 そうした旅の記憶は鮮やかに思い出されて、すらすらと書くことが出来るのに、この町での出来事は、今現在目にしていることでも幻のように掴みどころがない。この屋敷のことも、この町の郷土料理のことも、山の景色のことも、全てがあの数十年前の記憶と結びついて現実と夢、過去と現在が入り混じって書き進めていくことがとても難しい。



 だから……先ず数十年前の、あの暑い夏……私がまだ高校生だったあの夏の出来事から書き始めてみたい。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 20世紀の末頃、当時私は高校に入ったばかりの少年だった。あの頃を書こうとする時、どうしても「私」という一人称はしっくりこない。だから、あの頃を書くときには「僕」と書くことにしようと思う。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 その夏、僕は父に勧められてF県N町に滞在することにした。幼少時に家族で何度も訪れた土地であったし、田舎町とは言え観光開発もされていて、それなりに娯楽施設もあるし、家族から離れて一人になりたい、そういう気分だったので本家のお世話になることにした。



 盆休みには家族と合流する予定で夏休みに入る早々、僕は一人でこの町に来たのである。電車を乗り継いで路線バスに乗って、という初めての一人旅はとても楽しかった。町は山の中にあって周囲全部が深い森。川魚が泳ぐきれいな清流。温泉宿もあるけれども他の観光地のように大きなホテルは目立たない、時代小説の舞台のような風情のある町並み。



 時間が止まったようなこの町の風景が僕はとても好きだ。



 昔の宿場町のような風情の町並みの真ん中。バス停の前の公衆電話から電話をすると、本家から善十さんが大きな箱バンで迎えに来てくれた。僕一人だというのに大きすぎるような気もするけど、本家では普段人を案内するときに大勢来られることもあるから、こういう車が必要なのだろう。



 善十さんというのは本家の使用人のおじさんで寡黙な人だ。当時、本家には何人か使用人のおじさんが居た。全盛期に比べたら少なくなったのだそうだけれども、それでもこの時代に使用人がいるお屋敷なんて凄いと思う。



 本家……ミツブセの炭屋敷と言われる大きな屋敷は真っ黒な土塀で囲まれた真っ黒な屋敷だった。何度来ても立派なお屋敷で圧倒される。



 本家の家族は使用人の人からは大奥様と言われる大伯母と旦那さまと言われる従伯父さん、そして奥様と呼ばれる従伯母さんと長男長女の五人家族なのだけれども、従伯父さんは会社を経営している上に町会議員もしていて忙しく、長男の真治お兄さんは東京の大学を出た後、就職して家を出ていたから、普段は本家には三人の女性がいるだけだった。



 善十さんの他にも使用人の人が居て屋敷の修繕や庭の手入れの仕事をしていたのだけれども屋敷の中の仕事はおおむね善十さんがしていたので印象に残っているのは善十さんだ。大きなお屋敷なのに普段はあまり人も居ないらしい。



 家族と一緒に訪れた時は他の親戚も集合していて賑やかだったけれども、人のあまり居ないお屋敷はまるで映画の舞台のようで、高校生の僕は不謹慎にかっこいいと思ってしまった。



 お屋敷に到着した僕は従伯母さんに大座敷の近くの奥の和室に案内された。従伯母さんは和装が似合う地味な感じの細身の女性だ。



「貴文くん、よく来たね。都会からじゃ遠かったでしょう」



 貴文というのが僕の名前だ。この町では本家の人も分家の人もだいたい仁礼山という名字なので名前で読んで区別することが多い。



「すみません、ご迷惑をおかけします」



 迷惑ではないのかと思ったら、座敷の並びにある和室は元々来客を泊めるための和室で、トイレや浴室も本家の家族の方とは別のものが使えるようになっていて、気兼ねなく使っていいという説明を受けた。



「ごめんなさいね……居間の方を改装するときに、こっちの方のお部屋を物置にしちゃって、使えるのが一番奥の部屋だけなの」



 むしろ孤独を味わいたい気分だったのでとても都合が良かったのだけれども、上品な従伯母さんに丁寧に説明されて恐縮してしまう。



 僕が案内された部屋は中庭に面した奥の部屋で中庭の側に通路が有ってそちらから入るようになっている。反対側にも襖があり、その奥は親戚が集まったりするときの大座敷だ。少し襖をあけてみると、普段は天窓も開けていないので昼なのに薄暗い。



 壁の一方に押し入れが有って全体で四畳半の部屋だ。僕には十分な広さだ。荷物をおいて一休みすることにする。旅の疲れからか、畳の上に少し横になっている間に僕は寝入ってしまっていた。



 慌てて目を覚ますと、時刻は夕方。しかしこの季節だと日は長くまだまだ明るい。扇風機も付けずに寝ていたので汗で気持ちが悪い。あとで風呂でも浴びようと思いながら、喉の渇きを覚えたので水でも飲もうと台所の方へと向かった。



 そこで僕は、その年初めて真希お姉さんと出会った。

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