第51話 とあるウェイの神の・中中編
森の広場はやんやと沸き立った。
今ややる気に満ち満ちて、気の早い幾らかは、既に着物の袖を巻くって肩を回したりなどしている。
ここに集まった者の中には、タカマガハラの御殿を見物しに行った者も少なからずいたものだから、太陽の御殿の主とその後の命知らずなウェイの神とのやり取りを見て、この祟り神にしっかりとした理性があることを各々の目で確かめていたのだ。
がしかし、相手はあくまで祟り神。大逆無道の権化たる、この世で最も不浄とされるモノなのだ。
しかも、伝わる話によれば、この場にあるのはとんでもない大厄災級であるという。不満に思う者が現れるのは、至極当然の事と言えた。
『待てやオラ、皆、騙されるな! ソレは祟り神ぞ!』
唐突にどら声が響き渡った。
その”声”が発せられた方から
集団を率いて前に出たのは、この森より少しばかり西に行った土地を統べる男神である。
この神は、後ろの衆と同じく頭に茄子を生やし、さらに後ろ毛を結わえずに背に長く伸ばしていた。
『祟り神が何たるモノか、それを知らぬものはここにはおらンだろうが! いくら表面を取り繕ったとて、その本性は怨嗟にまみれた穢れの化身。そんなものがここで力を使ってみよ、この清浄なる天の地を
大柄な体格に肩を怒らせ、茄子みづらの神は眼光鋭くウェイの神とその隣の祟り神を睨め付ける。足元に打ち付けた、五寸釘を幾百も生やした丸太が地を割った。威嚇するように吐き出された神力が炎に具現化し、ちりちりと場を焦がしている。その背後の集団も便乗するようにやいやいと各々勝手なことを喚き立てており、場は次第に騒然として行く。
『これ、控えよ西の男神。ここをどこだとお思いか』
高き大樹の上より、木の葉の御髪の女神が窘めれば、茄子みづらの神はチィっと舌を鳴らして答える。
『おい東の、騙されンなよ。
『
『フン。そう言えンのも今の内よ。今に吾の魅力に気づき、夢中になることで在ろうぞ』
そう言うや否や、茄子みづらの神は五寸釘の丸太を肩にひょいと担ぐと、祟り神の目の前までずかずかと大股に歩み寄った。そしてその七尺を越えんばかりの背丈でもって祟り神を見下ろすと、顔いっぱいに侮蔑の色を浮かべ、鼻で笑った。
『ハッ。女々しき顔立ち、貧弱な体躯。漏れ出づる神気にもまるで質が感じ取れンわ。これであの嵐の三貴子に敵うわけも無かろう! 拍子抜けもいいところよ。噂は所詮噂、こ奴の本性とて堕ちた神に変わりはない!』
そうして周囲に向き直ると、祟り神を指さし得意げに叫んだ。
『皆の者、見て見よこの容姿を! 装束を! この天上界に全くもって似つかわしくもない、場違いであるとは思わンか!
血染めの衣に、黒の甲冑だと? まっこと汚らわしい。貴様など、地底の
『待て、其方。それはあまりにも言いがかりが過ぎるぞ。言っていいことと悪いことがあることが分からぬのか? こ奴に謝れよ!』
情が湧いた側からすればあんまりにもなその言い分に、ウェイの神が思わずと割って入れば、茄子みづらの神は眼光鋭く睨めつけ返した。
『あぁ? ンだ、貴様。吾は真実を言ったまで。大体貴様が、こが汚らわしき神を連れてこなければ、吾がかくのごとく忠告に出てやることも無かったのだ』
そう言って凄む男神にウェイの神は言い淀んだ。
この茄子みづらの神は
それに面と向かって嫌悪をむき出しにしているのはこの集団のみであったが、周囲の中にも同意するような気配を醸し出す者がちらほら見受けられるのもまた事実。ウェイの神は悔しそうにしながらも、これ以上口をはさむことはしなかった。
ウェイの神を黙らせたのに気をよくした茄子みづらの神は、肩に担いだ釘丸太を振り上げると、広間に向かって宣誓する。
『この場に集まりし神々よ、吾が其方らの目を覚ませてくれよう!!
―――東の、せいぜいよく見て置くのだな』
『待て、西の……ッ!!』
木の葉の女神の制止の声も聞かず、そちらを流し目に見やった荒くれ者の男神は、振り返りざまに釘丸太を祟り神に叩きつけた。
―――その瞬間である。
びりりと大気が揺らぎ、空間が一瞬にして悍ましき気に満ち満ちた。
とんでもない重圧である。あるはずのない空気の抵抗に、押し潰されれるような心地さえする。
身の毛のよだつ禍々しき気配の出所は、件の祟り神であった。ゆうらりと風も無いのに振れる頭飾りは真っ赤に染まり、血のような色の三つの瞳で鋭く大柄な男神を見据えるそこに、一切の温度はなかった。
その氷のような凍てつく視線は、直にさらされていないはずの神々にも、喉元に牙を突き立てられているかのような錯覚を覚えさせるほど。
これほどの神気を今まで悟らせずに包み隠していたのかと、ウェイの神は戦慄する。
思わず生唾を呑み込めば、ごくりと鳴った喉の音が広場の中に妙に響いた。
『無抵抗の者に攻撃するとは、酷いことをする』
びりびりと空気が震え、低く”声”が紡がれる。それが、今まで一言も語ることのなかった祟り神から発せられたものであると神々が理解するのに、そう時間は要さなかった。
腰に帯びる得物を抜くこともせず、祟り神は片腕のみで丸太を抑え込んでいた。丸太に接する前腕に、飛び出た五寸釘が貫通しているのが見て取れる。
はたりはたりと、足元に鮮血が散る。―――紅のそれが彼の神の纏う衣の色と全く同一であることに、如何程が気づいたことだろう。
祟り神のいきなりの豹変とその気迫に暫し気圧されていた茄子みづらの神であったが、我に返った途端、声を裏返してがなり立てた。
『ッ! 見たか皆の者! これこそがこ奴の本性ぞ! 仮初の理性を得たところで、こ奴が祟り神であることには変わりあるまい。悍ましき狂気の化け物よ!』
それに対し、祟り神は声の調子を一切変えることなく返す。
『如何にも、私は祟り神。しかし、常の理性無きものにあらず。私は自らを律することを知っている。我が身の内に渦巻く怨嗟を抑える
そう言うと、串刺しの腕とは反対の腕でもって、ひょいと丸太を押しやった。その様、まるで稚児が振り下ろした棒切れをあしらうかのごとく。
しかも、何が起こったかも理解できぬままに、押し付けられた丸太を抱えて唖然と突っ立っている茄子みづらの神に対し、祟り神は己の腕に刺さったままの釘を抜いては、一本ずつこの神に渡してゆくのだ。それに碌に抵抗もせず、素直に釘を受け取る様のなんと滑稽なことか。
全ての釘を返し終わると、祟り神はひとつ、大きく息を吐いた。すると、辺りを覆っていた重圧が刹那の内に消え失せたのである。それと共に頭飾りも紫の色に変わって行き、腕に空いていた穴もいつの間にか消え失せて、生えそろった鱗が艶やかに日の光を映している。
そうしてすっかりと元通りになった姿からは、先ほどの出来事が丸きりなかったかのようにすら思えた。
周囲が茫然とその様を見ていれば、祟り神はその場からくるりと踵を返すと、優雅な足取りで広場の中央に立った。
『名乗りもせず、今までこの場に、ただ棒立ちていたことを許し願いたい』
告げる声色は先の冷酷なものにはあらず。ただ、威厳をもって堂々と在る様は、思わず目を見張るものがあった。
『自らは、
―――以後、お見知りおきを』
名乗る口上は、確かにその存在が祟り神であることを証明していた。しかしその後、ふうわりと礼をする所作のなんと洗練されたことか。そこには狂気のかけらも見受けられぬ。
今や、場は静寂に満ちていた。そうしてそれが永遠に続くかに思われたとき、鈴を転がすかのような笑い声が上がった。
樹上、木の葉の御髪の女神である。
初めは豊かな袖に口元を隠していたが、次第にその背が丸まって行き、蹲って体を震わせていたかに思えば、耐えきらなくなったかのように突然腹を抱えて笑い出した。
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