第50話 とあるウェイの神の・中編
『ッ、』
ぴりりと一閃、場に緊張が走る。
握りしめた頭飾りに、ほんの一瞬赤光が散った。
その瞬間、飾りのある掌の中に、焼けた鉄を触ったがごとき熱さが皮膚を焼いたような感覚に襲われる。が、それは刹那の内に消え去り、ウェイの神もまた何事もなかったかのように笑みを浮かべたままでいた。
無遠慮に体の一部を他人に触られるのを、大抵の者は嫌うことをウェイの神はきちんと知っていた。それでいてこのような行動に出たのは、もちろん意図的なものである。
この面白い物好きの神は自身の好奇心の囁くままに、わざとこの祟り神の気に触るような振る舞いをして、その本性が顕れるかどうか窺い見たのだ。ここは高名な神々が一度に会した場、自らの命が危機に扮することは早々あるまいと。
それに、ウェイの神自身もそれなりに力には自信があった。
しかし、この祟り神は少し嫌そうに眉根を寄せはしたものの、何か暴挙に出ることはなかった。そればかりか、
『……申し訳ない。私はまだこの体になってからとても短くある故、天上界の正しき立ち振る舞いを知らぬのです。
して、この地においては、初対面で他の者の体に触れることが儀礼なのでございましょうか。
怯えもしなければ、怒り狂って瘴気をまき散らしてこの清浄の地を汚すこともない。
ただ理知的に皮肉を用いて、しかとこちらを見つめ返してくるのに、ウェイの神は自身の心躍る様を感じ取っていた。
本当に何もない。
先の掌の異変が、気のせいだったかと思うほどに。
『ウェーイ』
気づけば、ウェイの神は”その言葉”を目の前の存在に投げかけていた。はっとして目前の顔を見やれば、案の定、困惑の色をありありと浮かべている。
それは仲間内の合言葉のようなものであった。
しかし、言ってしまったものは仕方なし。撤回するような愚行はしまい。
それに、ウェイの神はもうこの異質な祟り神のことを気に入ってしまっていたのだ。仲間に引き入れ、自らが先立ちて、この天上の地を
―――案内……そうだ、それがいい。天上界のありとあらゆる極楽の景色、是非ともこやつに見せてやろうではないか。
ウェイの神は、にやりと口の端を釣り上げた。
『其方、まっことウェイぞ』
『は、うぇ……?』
『ウェイ、ぞ。場の雰囲気に合わせて調子づくための拍子にして、己を鼓舞するための言霊である。
いざ、其方もこの私と共に告げて見よ! ほれ、ウェーイ!』
『は、え……う、うぇーい?』
『そうだ、もう一度! さん、し、ウェーイ!!』
『ウェ、ウェーイ!』
『ところでこのひらひらはとても手触りが良いな。何かの感覚器官か? 其方の意のままに動かせるのだな。まっこと
『ア、ハイ。ドウモ?』
手にした祟り神の頭の飾りは、今や様々な色が入り乱れて極彩色に転じている。
いつの間にか、彼の周りに張り巡らされていた要塞のごとき気品は雲散し、すっかりと柔らかいものへと変貌していた。おそらくは、これこそがこの祟り神の素の雰囲気であるのだろう。
その殻の中身を暴いてやったとウェイの神は得意になり、ぱっと頭飾りを放すと、たちどころに今度は祟り神の手そのものを取った。
今度は先の”熱さ”を感じることは無かった。ただひやりとした感触があるのみ。
その手には黒光りする鱗がまるで籠手の様に生えていたが、特にぬめったりするということも無く、ウェイの神が嫌悪感を抱くことは終ぞ無かった。
『さぁ、我らと共に参ろう!』
『え、ちょ、ま……!』
『うぬらも良いであろう? こ奴に天上界を案内してやろうではないか!』
『『『ウェーイ!!』』』
仲間内に同意を求めれば、皆、肯定でもって応える。それにまた一段と気分を高揚させたウェイの神は、自身も高鳴る胸の内をウェイの文言でもって高らかに表すと、それを出立の合図として、自身の最大の脚力でもって空へと跳び出した。後に続く仲間たちも既にこの祟り神を気に入ったようで、口々に話しかけてはその新しい後輩の性質をまさぐっているようである。
まともなやり取りの出来る意志ある相手である以上、その正体が何であれ、このウェイの神とその愉快な仲間たちにとって些細なことであったのだ。
この後暫くは、新しき後輩の手を引いてあちこちを跳ね回っていたウェイの神であったが、どうにもその動きがぎこちないように思える瞬間があった。
そうしてとある雲海の絶景を眺めている時、ふと思い立ったのだ。
そういえば、噂ではこの神はまだ成って僅か数刻しか経っていないのだったか。それならば、自分自身の力の扱いにまだ慣れていなくても何らおかしいことはあるまい。
ならばと、ウェイの神は祟り神に力の使い方を教えてやることにした。
この時、彼は最早、新しく不出来な弟を持ったような気持ちにさえなっていた。ウェイの神は下に数十もの兄弟姉妹のいる兄であったものだから、年若い者があれば、つい世話を焼いてしまう習性があったのだ。
しかし、ただ手取り足取り教えてやるというのはつまらないし、その行為は生粋の神族であるこの神にとって、這い這いを覚えた赤子に立ち方歩き方を教えてやるようなものであったものだから、馬鹿にするようでどうにも気が進まなかった。
そこで、ウェイの神は仲間内に力比べを提案した。さすれば、この生まれたての神も力比べの中で自然と力の使い方を覚えるだろうし、自分たちも楽しむことが出来ると思ったのである。
面白い物好きの仲間たちは皆、当然漏るることなく賛成した。そこで場の勢いに乗り、渋る祟り神を強引に連れて道中出会った神々に声をかけながら、ウェイの神は木々生い茂る森へ向かって風のように駆け出したのである。
何分、個々の寿命が長い上、住まう場所は平和な天上界。
それ故、神々はいつも膨大なる暇な時間を持て余し、些細な刺激にも飢えていた。―――要は常に退屈だったのである。
穢れは嫌うが、刺激は求む。
そんなフクザツな心中であった折に、暇を吹っ飛ばせるような行事が執り行われるというのならば、ソレに乗らない手はなかった。
そんなこんなで催しが始まる頃には割と多くの数が集まり、ちょっとした大会のようになっていた。こうして唐突な名も無き力比べの大会は、森に住まう神々を盛大に巻き込んで、場のノリで適当に執り行われることとなったのである。
『―――して、勝負といえど、何を行うというのだ』
特別大きな樹木の、横に伸ばされた幹のような太い枝に座った自然司る神が問う。
彼女はこの辺りを取りまとめる古き神であったが、姿はその幾千の齢に反して若々しい妙齢のもの。顔にかかる深緑の木の葉の御髪をさっと払い、眼下、言い出しっぺの男神を見やるその姿は妙に色香があった。
『うむ。それなのだがな―――ここにあるは件の祟り神であるが、』
ウェイの神が横に立っていた祟り神を指し示したその瞬間、古代樹の森にぽっかりと空いた広場に集まる者共の目が、一斉にその方へ集まった。
渦中の祟り神はと言えば、出し抜けの紹介に数多の視線を一身に受けるも微動だにせず、その立ち振舞いは相も変わらず堂々たるものである。今は紫に色付く頭飾りが、はたはたと数度瞬いたのもまた妖しき美しさを醸し出している。
その隣にて、ウェイの神は腕を組み組み声高に叫ぶ。
『こ奴は先の審判にてタカマガハラに御座す我らが主神に認められ、これよりこの天上界の地を踏むことを許された。がしかし、その問答にて、こ奴はあの三貴子が一柱と剣を交えたと言うではないか! あのお方が討伐に向かわれて尚、滅されること無くこうしてここにあるのだ。何があのお方の琴線に触れたのか気になるであろう! 私は気になる! 故、ここに力比べの提案をした!』
『ほーう、それは面白げなり』
木の葉の御髪の自然神がゆかしげに唸った。彼女に合わせ、周りの自然の化身たる神々が連なって騒めいた。その様、風に揺れる木立の群れのごとし。
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