成り代わって蛇

馬伊世

第一章 成り代わり編

第1話 トラ転()

 トラックが目の前を歩く女子を撥ねたと思ったら、何故か俺が死んでいた。




 ――何言ってんだこいつと思うかもしれねぇが、俺も自分で何言ってるか分からねぇ。本気で。割とじゃなくてマジで。本気と書いてマジと読む。いや、真面目にわからん。誰か説明して??


 ちょっと前まで交差点の信号でぼさっとしてたよな、俺。そしたら歩きスマホやってるJKがふぁーっと目の前を通り過ぎて行って、ちょうどやってきたトラックにぶっ飛ばされたところまでは見た。ウンウン、そうだよな。


 そしたら俺が死んでいた。




『いや、なんでやねん』


 全くもって矛盾した情報に処理が追い付かず、思わず虚空に向かって突っ込みを放った。

 いや、だってどういうことよ。女子が飛んだら俺が死んだ。いや、本当にどういうことよ???


 だって別に俺、とっさに体が動いて女子の身代わりになったりだとかイケメンなことしてないよ。普通に体動かなかったよ。何が起きたかも察せられぬうちに、女子10mくらい遠く飛んでったよ。




 ――そう、あの時だ。多く車行き交う交差点に、鈍い衝撃音の響いたあの時だった。


 突然に宙を舞った女子の体を思わず視線で追えば、研ぎ澄まされし内なる動体視力が火を噴き世界が鮮明に像を結んだ。その圧倒的解像度でもって映し出される視界に捕らえた、濃紺の制服のスカートの内側からちらり光る白い下着に、目が眩みし正にその瞬間のことであった。


 己の内側からぶちりと音がして、何かアカン感じのモノが断ち切られてしまったことが理屈でなく解った・・・。次いで、心の底からフリーダァム!! とばかりに最高に気持ちいい解放感がほとばしり、襲い来る快感に全て己を構成するものが押し流されるかと思えば、急速に戻って来た自分の目の前に”俺”が倒れてたんだ。




『だからなんでやねん!!』


 思い返してみたところでこれっぽっちも納得の出来ない状況に、再び虚空にツッコミを放った。


 いや俺無傷! トラック当たってない! かすってもない! 事故の検証VTRに目撃者Cのテロップがつくくらいの立ち位置にいましたが何か?

 現に、今”俺”が倒れている場所は、黄色い点字ブロックの内側だよ!! どの辺りに俺が死ぬ要素があったかな?? ん??


 ――まてまてまて。おちけつけ、おちけつ、もちつけ、おちつけ、おぢけづいてもう一度思い出そう。


 突っ立ってたら、女子が飛んで、俺が死んだ。




『ダァーッ!! 分からん!! これは難問だな? さては難易度エベレスト級だな???』


 おかしな三拍子に狂わされて脳が爆ぜた。思わず頭を抱えて髪を掻きむしれば、勢い余って少しばかり引き千切ってしまった。普通に痛い。


 はい深呼吸だ深呼吸をしようそうさヒッヒッフー、ヒッヒッフー……

 ――そう。俺は冷静沈着にして南極の氷を司りし男、ぺングインの王なり。

 ビークールビークールだぜ、俺。フッ、世界は今日も美しいな。


 よし、落ち着いたな。それならばもう一度状況把握だ。


 目の前に”俺”。”俺”の傍らに俺。




『ウワァーッ!! 無理!! 無理だよ!! 意味わかんねぇよ!!』


 脳内に”ハテナマーク”を増殖させつつも、何気なく先にぶっ飛んで行った女子の転がる方を見れば、何事もなかったかのような様子で起き上がっていた。


 ――え、なに? あの子トラックに突進されて生きてる……ごりら?


 どうやらあっちも自分に何が起こったのか分からないでいるようだった。きょろきょろと周りを見渡しては首をかしげている。


 え、無傷? こわ……ピンピンしてらっしゃる……こんぐ……??




 まって♡ この物理法則のおかしさよ。

 何故なにゆえ撥ね飛ばされた女子が無傷で、傍らの目撃者Cが死んだのか。


 最早頭は大混線。面白いことなんて何も無いのに、勝手に口の端が引きつる。


『これは迷宮入りだ……だれか高校生探偵呼んできてよ!! 今すぐに!! ハリーアップ、ライトカモーン!!』


 頭蓋の内にて高まる気圧に耐え兼ねられず、誰に語るでもなく天を仰いで叫んだ。

 しかし、大音量で解き放たれたはずの”声”は都会の雑踏にかき消され、ビルの狭間に反響することもなく空しく消えて行くのみ。


 ――というか、何かがおかしい。さっきから俺の麗しのぼでぇの周りでいくら叫び散らかそうが、誰一人として気にも留めないってのはどういうことなのか。


 物は試しと、奇声を上げて『イナバウアァ!!』と全力で叫びながら、周辺に溜まりつつある人だかりの海をエクソシスト走りしても、物理的にすり抜けるばかりで誰も俺のことが見えていないようだった。


 この状況である。頭のネジの四、五本くらいは余裕で弾け飛び、とっくの昔に何処へか吹っ飛ばされてしまっていた。






 そんな風に発狂していた折、突然背筋がぞわりと泡立つ。

 はっとして後ろを振り返れば、この世の闇を全て凝縮したかのような真っ黒な視線とかち合った。


 全身を黒の装いで揃えたそいつは、周りから明らかに浮いていた。比喩じゃなくて物理的に。足の先と地面とが十センチほどは離れている。


 その異様な光景を気づきもしない人々の群れは、そいつの体をすり抜けにすり抜けまくっては通り過ぎて行くのだ。




 同類見っけ!!

 すぐさま人間の壁を物理的に突っ切って、最短ルートで突撃する。


『コンチワー!! 突然ですが問題です! 女子が飛んで俺が死にました。理由を10文字で説明せよ!!』


『私がやらかしました!』


『容疑者発見!!』


 見つけてしまった容疑者と思われる人物は、片手を手刀にして顔の前に掲げると、ちょびりと小さく舌を出して、ばちこんとウィンクをキメた。


『めんごめんごー☆ ちょっと世界のシステムメンテしてたら、魂の収穫機能バグっちゃって☆』


『なるほどわからん』


 爽やかに意味の分からないことをほざいたそいつは、肩をすぼめて仕方なさげに一つ溜息を吐いた。どこか鼻に付くその仕草からは、「やれやれ」という幻聴が聞こえて来る。

 何故か沸き上がった顔面を張り倒してやりたい衝動にじっと耐えていると、ぺらぺらと軽薄な口調で何やら語り始めた。


『いろいろあって世界を支えている秩序に綻びが生まれてうまく機能しなくなっちゃったっていうかだいぶやばい状況になっちゃったから私が問題の原因を処理しに派遣されてここまでやってきたわけだけど虱潰しに叩き潰してたらこの近くにあった”歪”を矯正してるときにちょっとばかしミスっちゃってさあ。いや、あれちょー集中力いるしめっちゃ疲れるのに上が休みなしで連続でさせてくるもんだからいつかはこうなるとは思ってたんだけどね。とにかく魂の収穫の機能のところなんて超重要機関にダメージ入っちゃったらしくてやっべーとか思ってたら間の悪いことに事故が起こったら座標がズレちゃったみたいで? その事故で死ぬはずだった少女のとなりにいた君の魂が間違って切り取られちゃったってわけよ』


『長い。三行で説明して』


『システムエラー

 メンテ中にバグる

 君死亡』

 

『ごめん、やっぱわかんない』


 なんだこいつ、超ノリ軽いな。それによくもまあそんなに舌が回ることである。

 後、さらっと言われたけどやっぱり俺は死んでたらしい。めちゃくちゃさらっと言われたけど。

 いや、分かってたけれども。幽体離脱なうの時点で分かってたけども!!






『――というか、あの、誰ですかあなた』


『神です』


 ふと我に返って心の内に浮かび上がった疑問を素直に聞けば、とんでもねえ答えが返ってきた。


 神サマ? まあ行き交う人々にスッケスッケに抜けられてるし、生身の人間でないことは確かだけど……マジで?




 改めてそいつを見直せば、見た目の印象としてはなんだかあやふやな感じだ。平平凡凡でそこら辺に転がってそうな感じ。特に記憶に残る要素ってもんがない。特徴らしい特徴といえば、黒髪黒目に黒い服で、全身真っ黒黒助に固めてやがるということのみ。


 神……神かあ……? さっきの言動で見ても、高貴なオーラとか一切ないしなあ。


 にわかに信じがたい。まだちょっとおつむの可愛そうな幽霊として見た方が納得できる。

 ならばと、その”設定”に乗ってみることにした。


『……あー、じゃあ神サマ? 俺、この後どうなんの?』


『ウンそれなんだけどねー、君ホントは寿命残ってる状態だったのに肉体から魂が切り取られちゃったもんだからエラー扱いになって、輪廻の輪から外れちゃってるんだよね』


『ちょっと何言ってるか分かんない』


『ま、そういうことだから、もとはといえば私のミスなわけだし、どっかの世界にこのままの状態で転生させてあげるよ』




 お?? スルーかこのヤロー??

 ……というか転生、ねぇ。なんかファンタジーっぽい話になってきたな、この”設定”。


『じゃ、お詫びに来世の体におまけつけといてあげる。なんか希望はある? あんまり激しいのはできないけど』


『おまけとは』


『うーん、分かりやすく言えば、最近はやりの転生特典ってやつ?』


 おおう、ラノベ的展開か。よくある奴だな。

 そんなもんが自分に降りかかってくるたぁ予想だにしなかったぜぃ、って感じ?


『それは俗にいうチート能力的なものをもらえてしまったりとか?』


 折角なので乗ってみることにする。


 やっぱラノベ主人公の王道は、チート能力で人生イージーモードでちやほやされるってなもんだよな。俺TUEEE!!ってやつ?

 壮大な展開を期待して話を振ったものの、ソイツはふるふると首を横に振った。


『だからあんまり激しいのはできないんだってば。世界のバランスが崩れちゃうからね。出来るのはそうだね……美白とか?』


 IRANEEE!!! 微妙だ……クッソ微妙だ……!

 いや、美白なんて世のお嬢様方からしたら、喉から手が出るほど欲しいものなのかもしれないけど! でも期待してたのと比べると地味だ。地味すぎる。妙なところで現実味を出して来よるなこいつ。

 この訳の分からない状況に現実もクソもないだろうに。




『えぇ……じゃあ、健康長寿とか?』


『ア、それイイね! よし、そんじゃま、詳細は寿命内での心身の健康を保ちつつ、天寿一杯まで死なないってことでいいかな?』


『あ、じゃあハイ。それで』


 妥協案として健康長寿を出せば、そちらはすんなりと受け入れられた。何を基準にOKサイン出してるんだこいつは。


 ……まあ、俺の将来の夢は家族に看取られながらの大往生だったからなあ。こんなみょうちきりんな形で打ち切られたようだけど。

 いや、結局のところ健康が一番ってなもんだよね。元気に楽しく生きられりゃそんなにいいことはないさ。来世なんてものがもしも本当にあるのだとしたら、また大往生を人生の最終目標とするのもいいだろうな。




 と、再び視線を自称神に戻してみれば、ウンウンと一人納得したように頷きながら宙を見つめ何事か呟いていたそいつは、その顔にどこか薄っぺらい笑みを貼り付けてくるりとこちらに向き直った。


『おっけー、あ、ついでに生まれはちょっといいところにしておくね。こっちでの寿命が打ち切られちゃったわけだからねぇ、お詫びだよ。ホントめんご☆』


 果たしてこいつには謝るという概念が備わっているのだろうかと甚だ疑問に思ったところで、『ちょちょいっと』等と呟きながら、自称神は謎の魔法陣を地面に書き始めた。




 そいつが指でなぞった傍から、地面に光る線が刻まれて行くのだ。


 迷いなく線を引くその手元から、幾何学的な模様が見る間に浮かび上がって来る。するりするりと、優雅にも感じさせる動きで滑る指先を息を呑んで眺めていれば、見る間に厨二心くすぐるっかっこいい魔法陣が完成した。一連の作業のあまりの滑らかさに、思わず感嘆の声が漏れでる。


 ――もしかしてこいつ、マジのガチな方の神様なんだろうか。


 何か、得体のしれない悪寒が背筋をつうと伝った。






『ほい、でーきた! よし、これでもうあとは転生するだけだけど、何かこの世に未練はあるかい?』


『ないわけがないんだなこれが。こんな唐突な予告なし打ち切り連載でさ。いろいろ言いたいことはあるけどね、母さんとか友達関係とか日々の生活とかさ!!』


 唐突に迫る急展開に付いていけずに頭が空回りする。信じ切れていなかった目の前の存在の正体を肌で感じてめまいがした。




『あー、まあ私ってば君の頭の中覗けちゃうからね。ごめんね、それをやってる暇はないんだなあ』


『見た???? 何を!?!?』


『君の大切なものはベッドとマットレスの間に挟み込んであるよね。あと……』


『ぎゃあああ!! やめて!! プライバシーの侵害よ!!!』


『悪いけど本当に時間がないから、このまま出発させちゃうね。私経由で何個かやっとくことはできるけど、どうする?』


『エッッ唐突早いまってちょっと待って、えっとじゃあとりあえず、母さんに愚息でしたが今までありがとうございましたそしてお先に逝きますごめんなさいってのと、ベッドとマットレスの間のブツの焼却と、PCの水没!!』


『りょーかい! いやー、ホントごめんよ、来世でも頑張ってね。じゃあの』


『ひえもう転生すんのホント速いなヴァアアアアア!!』




 体をひっつかまれて魔法陣の上にのせられたと思えば、体中を駆け巡る、めくるめく未知の感覚とともに眩い光に包み込まれた。

 この世での未練のなにもかもを残して、そのまま意識が薄れゆく。感覚のなにもかもが消えてゆく。世界の全てが、遠く、遠く―――


 そんな折、ぽつりと溢されたそいつの独り言がやけに耳についた。




『あ、やっべ転生先間違えたわコレ』


 おいちょっとまてやテメェコラ。

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