俺たちは嘘をついた
照明が落とされ、窓から入るオレンジ色だけの仄暗い教室。夕日に照らされた黒板は、深緑が強調され、チョークの粉が飛んでいるのがよく見える。椅子や机はじっと佇んでいて、学生がいるときは動く生き物みたいだったのが嘘みたいだ。匂いだってそう、制汗剤や弁当など人の匂いは全くせず、ただただ木の香りしかしない。
窓の外から聞こえる部活動に勤しむ声、別棟の音楽室から聞こえる吹奏楽の音色。そんなのは他人事、と無人の教室は、お高くとまっているように思える。
教室に先輩は躊躇なく入っていく。だが、俺は躊躇ってしまう。
ここは上級生の教室、緊張して入りづらい。誰もいないのに下級生が入ってくるな、と言われているような気がする。それに、雰囲気が出ていて、先輩と二人でここにいることに抵抗がある。
踏み出せずにいると、先輩は振り向いて声をかけてきた。
「どうしたの?」
「いや、何か入りづらくて」
「入ってこないと青春できないよ」
俺たちが誰もいない教室にきた目的は、放課後、二人きりの教室で過ごすこと。今すぐにできそうな青春を検索した結果だった。
「失礼します」
逡巡した結果、先輩以外誰もいないのに俺はそう言って入った。でも、入ったはいいものの、何が起きると言うわけでもなく、ただ二人黙っているだけ。青春ってやつがこれなのか、と問われると明確に違うと言わざるをえない。
「立ってるのも何だし、とにかく座ろっか」
「はい」
先輩が窓の側の席に座ったので、俺はその前の席に後ろ向きで座った。
先輩後輩の関係で、同じ教室、前後の席で向かい合う。至近距離で先輩の目を見づらく、斜め下を向く。先輩の方もすこし頬を染めて机を見ている。
「今日の授業でさ……」
「そんなことがあったんですか……」
互いに目を背けて、何でもない話をする。さっきよりは青春っぽさはある、だけど……。
「部室と変わらないね」
「そうですね」
実際、部室にいた時と変わらない。無人の教室で二人きりっていうシチュエーションが全く活きていない。
ファーストフード店で雑談する主人公とヒロインのままじゃないか、そう思った俺は先輩に提案してみる。
「先輩、動いてみますか?」
「動いてみる?」
「はい。部室になくてここにあるものを触ってみる、とか?」
先輩は考え込むように唇に指を添えた。そして呟くように言った。
「……黒板」
黒板に目を向ける。
「何か描いてみます?」
「うん」
俺たちは黒板の前に立ち、チョークを手にとる。先輩は左端にちょこんと何かよくわからないものを描いた。
なんとなく生き物なんだろうな、と思ったけど、悪戯心がそそられ、意地悪してみる。
「これなんですか?」
先輩はむっとして俺を見た。
「どこからどうみても猫だよ」
「これが?」
「なら君も描いてみなよ、チョークで描くの難しいんだよ」
そう言われたので、俺も何か描くことにする。でも何を書こうか。ねこ……こあら。
かつかつとチョークの音を鳴らせてコアラを描く。出来上がりはぶさいくで、先輩と同じくらい絵心はなかった。
「これは豚?」
「コアラです」
「あはは! ぜんっぜん違う!!」
「うっ、次は先輩の番ですよ!」
絵しりとりが始まった。先輩と俺の絵は下手だったけれど、その分何回も笑ったし、何回も怒ったりして盛り上がった。
「ああもう、描くスペースがないね」
「ですね」
気づけば黒板は、絵とも言えない絵で埋め尽くされていた。
幼稚園児の落書きのような一枚絵。でも、親にとってはかけがえのない一枚絵。俺にとって黒板はそんな一枚絵だった。
かしゃり、と音が鳴る。見れば、先輩がスマホで写真を撮っていた。
「高梨くん、この写真、青春の1ページを飾れるかな?」
先輩に写真を見せられて笑う。
「少なくとも、俺の青春の1ページには飾れますよ」
「なら、私は表紙だ」
まだ絵しりとりの勝負気分が抜けていない先輩に笑う。
少しのやりとりのあと、俺たちは黒板消しを手に取った。高いところを俺が消し、低いところを先輩が消す。すべて消えて、深緑になった黒板だが、まだ絵の残像が見える気がした。
「帰りますか」
「そうだね」
しばらく二人立ち惚けていたけれど、そう口にして寂しさに包まれた時だった。
「こら、遅くまで教室で遊んでるんじゃない」
教室に中年の先生が入ってきた。
「俺だから見逃すけど、今後は残らないように。大体から、年頃の男女が遅くまで……っておい!」
走り出した先輩に腕を引かれる。こけそうになったので、走ってついていく。
「先輩、何で逃げるんですか!?」
「何かそういう気分だったの!」
「何ですか、それ!」
「君も走ってるから同罪!」
「無茶苦茶な!」
先生の「廊下を走るな!」と言う声を背に、何もおかしくないのに笑いながら走った。
階段を駆け下り、廊下を走り、逃げ込むように文芸部室に入る。
二人とも息絶え絶え。肩で息をする。そんな姿をお互い見合って、また笑う。
不思議な空気。マジックハウスをおとずれたような感じ。現実が現実に思えず、ふわふわと浮ついて、そわそわして、楽しくて仕方ない。そしてそれに加えて、甘い。レモン味の飴玉をころがしているように甘い。
「ありがとう、高梨くん」
笑いが収まると、先輩は言った。
「何がですか?」
「お願いを聞いてくれて。ぼっちの私に青春を教えてくれて」
そう言った先輩の笑顔は、絵画から出てきたようで、今までで一番綺麗だった。
胸が鳴る。ただでさえ、走ったあとで心臓がうるさいのにやめてほしい。
「高梨くん、何か私にお願いある? お礼に、私も君の願いを叶えたいんだ」
「別にいいですよ、この前悩みを解決してもらったお礼ってことにしといてください」
「それじゃ気が済まない。こんなに喋れたのも君のおかげ。君が私にちゃんと喋れてるって言ってくれたからなんだ」
たしかに、今日はこの前よりもちゃんと喋っていた。それは自信がついたからなのかもしれない。
「だから、二つ借りがある。一つは君の悩みを解決したとしても、もう一つ残ってる」
先輩から、何が何でも引かない、という意思を感じる。お願いを頼むしかないか。
「なら俺と友達になってください」
「ごめん、友達とかわからないから、叶えたくても叶えられない」
「まあ、ですよね」
「うん、他にないかな?」
「……じゃあ、髪」
「え?」
「手櫛させてもらえませんか?」
俺はすぐ、自分がとんでもないことを言っていることに気付き、慌ててごまかした、
「す、すいません。冗談で……」
「いいよ」
「え」
「してもいいよ?」
先輩は恥ずかしそうに顔を伏せた後、上目遣いでこっちを見た。潤んだ瞳、頬は上気している。
俺は先輩に近づいて、恐る恐る髪へと手を伸ばす。
「……んっ」
髪に触れると、汗をかいているはずなのに、甘い香りが弾けた。
指を入れると何の抵抗もなく吸い込まれていく。流れる髪は、清らかな小川に指を入れた時のように、するすると指の間を通っていく。指を滑らせると、柔らかな感触とともに甘い快感がぴりぴりと走って手が震える。
「んんっ」
白くて綺麗なうなじに触れると、先輩はこそぐったそうに身を縮こめた。びっくりして動かしていた指を止めると、どうしたの? と物欲しげな顔を向けてきた。
その顔は、熱っぽくて、色っぽくて、艶かしくて。何もできず、見つめ合ったまま、長い長い時間が流れて。
どちらからでもなく、顔が、だんだんと、近づいてくる。ぷっくらした唇が目に入り、瞳が閉じられ。
———これ以上は、友達じゃない。
「せ、せんぱい」
俺が声を出すと、先輩のまぶたが開く。先輩は「わわっ」と身を引いた。
互いに顔を真っ赤にして無言になる。しばらくそんな時間が続いたが、先輩が照れ臭そうに笑って、静寂が破られる。
「ね、ねえ、無言になっちゃったのは、私がぼっちだからだよ、ね?」
「た、たぶん、そうだと思います」
「だ、だよね」
俺たちは嘘をついた。
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いつもお読みくださりありがとうございます。
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