悩み

 

「先輩、一生悩み続けることと思いますが、頑張ってください」


「なんで!? あと、生温かい目で見ないで!」


 先輩はぷりぷりと怒りながら「はい! じゃあ君の番! 絶対に一生悩み続けるって言ってあげるから!」と言った。だけど、言葉のあとに見せた笑顔。それは、どうしようもなく優しくて、毛布に包まれてまどろむような感覚を覚える。


 真剣に聞こうとしてくれているのは明らかだった。自分のためだけでなく、俺の悩みに真摯に向き合おうとしていることが手にとるようにわかる。生半可に聞いていたつもりはないが、先輩の悩みを軽く聞いていた自分に後悔してしまう。


 俺だけちゃんと悩みを聞いてもらうのはずるい、そう思ったから悩みを打ち明けるか迷った。だけど、先輩は本気で悩みを聞こうとしてくれている。聞きたいのも嘘ではないだろうし、言わない方がよくない気がした。


「俺の悩み……ですよね」


 悩みを話すつもりになったはいいが、何だろうか。目下の悩みとしては、七海さんとの関係、美鶴との関係だけれど、それを相談するのは何か違う気がする。自分で答えを出さなきゃならないという、なんとはなしの使命感がある。


 だから、それ以外の悩み。考えてみると、一つだけ思い浮かんだ。


「実は俺には昔仲良かった幼なじみがいるんですーーー」


 俺は、幼馴染みと昔に戻りたくて命令を聞いてきたこと。『あんたみたいな友達もいない陰キャが話しかけてこないで!』と拒絶されたこと。そして、有名人の友達を作って幼馴染みを見返そうと決めたことを話した。


「なるほどね。それが悩み?」


 俺は首を振る。


「いえ。ついさっきまでは、それが悩みだったんですけど、今は違うんです」


 ここまでが前置き。ここからがついさっき出来た悩みだ。


「さっきいたショートヘアの子、七海さんって言うんですけど」


 先輩は頷く。


「今日幼馴染みに掃除しろって命令されている時に、七海さんが割り込んでくれたんですよ。七海さんはいわゆるカーストトップの女の子だから、幼馴染みは何も言えなくなって苦い顔をしたんです」


「うん」


「有名人と仲良くなって見返すことの終着点がここなのかなあ、と思うと、これは違うなって感じたんですよ」


 先輩は真剣な顔で、それでいて優しい顔で、心地よい相槌を打ってくれる。だからだろうか、つい甘えてしまう。


「この違和感の正体ってなんですかね?」


 自分ですらわからない、無理難題を押し付けた。なのに、


「簡単だよ。君は友達になった君を見せつけたいんじゃなくて、友達になれる君になって見返したいんだよ」


 先輩は息を吸えば肺が膨らむというくらい当然な顔をして答えてくれた。


 胸にストンと落ちる。違和感の正体が簡単に露見する。


 そうか。そういうことか。


 単純なことだった。友達もいない陰キャ、という言葉は、俺の中で、友達もできない陰キャ、という意味で捉えていただけの話だ。前者の意味で捉えるならば、有名人と友達になった俺を見せつけることが見返すことに繋がるし、後者の意味で捉えるならば、有名人と友達になれる自分になることが見返すことになる。だから、後者で捉えていた俺は、前者の終着点に進むことに違和感を覚えたのだ。


 だけど、そう考えると、どうしていいかわからなくなる。ただ単に友達を作ればいい前者と違い、友達になれる自分になる必要、そしてそれを見てもらう必要がある。


「どうしたらいいと思います?」


「友達になるしかないんじゃないかな」


「それって、有名人と友達になった俺を見せつけることと同じじゃないんですか?」


「うん、同じだよ。でも、友達になって証明する以外の方法はない。友達になる過程を見てもらうことを祈りながらね」


 先輩の言葉に、自分の胸の内にあったもやつきは消え、今後の道が明確になった。


 そう思うと、ふと気づかされる。


 ついつい、しっかりと相談してしまった。


 先輩の顔は大人びていて、言葉も的確。いくら子供っぽいところがあっても、やっぱり、先輩は先輩で、年上のお姉さんであって、先に生きてる大人であって、自分が幼いのだとわからされてしまう。ただ、それも、どこか気持ちがいい、というより心地がいい。


 ああ、かっこいいなぁ。


 後輩の悩み事を何でもない顔して簡単に答え、道標すら容易に提示するなんて、純粋に深く尊敬する。それに、液体窒素で凍らせた白薔薇のように外面が美しく内面が脆い人だけれど、薔薇は薔薇なんだ、と思った。


「先輩、相談に乗ってくれてありがとうございました。おかげで、悩みが晴れました」


「そっか。なら、良かった」


「はい。やっぱり俺は有名人と友達になろう、と思います」


 そう言うと、先輩は笑った。


「君に影響されたのかな。私もぼっちから抜け出そう、という気になってきた」


「じゃあ俺と友達になってくれませんか?」


 先輩に首を振られる。


「ごめん。友達とかまだ私にはわからないんだ。それに私の好きな小説では、ぼっちとぼっちが集まっても友達にはならず、ぼっちーずになるって書いてあったし」


 物凄い悲しいことを言うな、この人。俺まで涙が出そうだ。まあでも、断られることは予想できていたので「ですよね」と答えた。


 その時、スマホが鳴る。開いてみると、時間は18時前を示していた。


「あ、そろそろ帰らないと。先輩とのお喋り楽しかったです」


「え」


「えって何ですか?」


「いや、私とお喋りって。私、君とちゃんとお話してた?」


「気づいてなかったんですか? 先輩ちゃんと喋れてましたよ。それに話してて楽しかったですし」


 先輩は心底不思議そうな表情で、胸を押さえて首を傾げた。


「どうかしましたか?」


「わからない、けど、何でもない……と思う」


 少し赤く見えるけど、多分夕焼けのせいだろう。窓の外を見ると、沈む前の夕日が真っ赤に燃えている。蝙蝠がくるくると飛び回り、住宅からは晩ご飯の匂いが漏れる時間だ。薄暗い図書室は趣深く、ずっとこのままの時間が続けばいいのに、と思わされてしまう。だが、帰らねばならない、そろそろ閉館の時間で、守衛さんが来てしまう。


「それじゃあ、帰りますね」


「待って。あの……その、また会えるかな?」


「気が向いたら、図書室にきますよ」


「ぅん。待ってる」


 そう言って笑った先輩の笑顔は、咲き乱れる向日葵のように無邪気に美しかった。

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