夜職怪奇譚
敷島 朝日
今日からキャバクラで働きます。
「それじゃ、今日から働ける?無理?じゃあ来週。それでよろしく。わかんねえ事があったら教えて。なんでも良いよ」
そんな適当な事を言われて働くことになったキャバクラだが人生で行ったことは1度しか無い。酔った先輩に連れて行かれた程度で後は本や、テレビでしか情報を得たことが無い。僕は今日からこの店のボーイとしてお客様とキャストと呼ばれるキャバ嬢様と一緒に働くことになった。
どんな時も始まりは突然であるが、こんな突然もあるんだなあと声に出さずにぼやいている。あまりにも早い決断を受けて、他人事のようにも感じる。
少しばかりここで働くことになった経緯を説明しよう。
先輩の紹介だ。大学を卒業したどうしようもない先輩からの紹介だ。どうしようもない人間が働いているのだから、これは僕でも務まると考えたものの現実は非情らしい。
僕自信も先輩と肩を並べるくらいには大学を適当に過ごしているため、人様、親様に顔向けができるとは微塵も思っていない。親の金で大学に行っているわけでは無いのでそこだけが唯一褒められる点であろう。
それ以外は、日常を無碍に惰眠を貪ることを良しとし、出来る限り省エネルギーで活動をしようと考えている何処にでもいる学生だ。
そして、大学生らしく金は無く、そのくせ働くのであれば、出来る限り楽が出来る高収入なバイトがいいと考えるのは自然の摂理、労働者の摂理だ。ベーシックインカムの様な不労所得を得たいと常日頃から夢想する健気さは評価してほしい。
聞くところによると、この仕事は休憩時間こそ無いが、お客様が来店していない場合は何をしてもいいらしい。
自分で適当に休み時間を作って、煙草を吹かして適当に冷蔵庫にあるお茶やコーラ等を飲んでいれば仕事が終わってしまうと聞いた。余談であるが、金のない学生程煙草を吸っているのが自分調べだ。僕自身例に漏れていない。
この程度のバイトなら誰にだって出来るはずと思ったのが馬鹿だった。しかし男子大学生なんて基本は馬鹿だ。何も考えていない。
この夜の世界には、ありとあらゆるグレーゾーンと、ブラックゾーンが交差して、日本とは思えない様相を店内で繰り広げているのだ。ここまで法が機能していない場所もあるのかと最初は考えたが、考えるだけ無駄だった。ここにいる人間の8割は何も考えていない。だから僕自信も考えるのを止めた。脳は休める時に休んだほうが効率が良いらしい。だとすれば次に僕が頭を使う時は量子コンピュータのような素晴らしい働きが出来ると考える。
冒頭の発言を思い出して頂きたい。知り合いの紹介でも一応面接をすると言ったものの3秒で面接が終わった。今どきこの様な面接をする企業なんてあるのかわからない。20数年生きてそれなりに社会を学んだつもりだったが、全く学べていなかった。これは新しい社会勉強をする必要がある。
「そんじゃよろしく」
結局こんな感じのいい加減な言葉で締めくくられて、どう反応すれば良いのか今後の義務教育で教えた方が良いだろう。
因みにだが面接をしてくれた彼は名をハヤトさんと言う。源氏名ではなく本名だが、後に色々とバレてしまう。勿論色々だ。それよりも大量の彫り物を隠して頂きたい。灰色のスーツから見え隠れする腕と足首からは綺麗な和彫りが見えています。入れ墨を初めて見たわけではないが、ここまで全身に入れ墨が施された体は初めて見た。
僕のような小心者には少し刺激が強すぎる。
忘れていたが、そろそろ、自分の自己紹介をしようと思う。はじめに自己紹介をすると全ての事象が円滑に進むのは短い人生で学んだ数少ない常識の一つだ。もっと言えばこれさえ出来ていれば他は適当でもなんとかなる。結局挨拶がものを言う世界なんだよ。
しかし、自己紹介をするとしても平々凡々を貫き通した自分に何か特徴があるかと言われると何もない。都内在住の工学部の学生とでも言えば良いのだろうか?星の数程いる学生の中でこれだけで人を判断するのは難しい。
できれば他に何かあれば良いのだけど、これと言ってなにもない。眼鏡を掛け、散髪をするのが面倒でちょっと長い黒髪の青年と書いても、これも山程いる。だったらどうする?
結論は簡単で、この普通こそがこの場所で一番目立ってしまうのである。他が奇抜過ぎる。
何が奇抜かは考えなくてもいい。そのうち分かる。嫌でもわかる。四則演算よりも簡単に証明出来てしまうのだ。ここちょっと理系っぽい。
完全に余談だが、僕はそれほど頭が良くない、偏差値で言うところのFらしい。正確にはFよりちょっと上の評価を頂いたのだが、そこに差異は無いだろう。身に余る評価に体が縮こまる。決して目の前の男を見てではない。
完全に流れ作業で、目にも留まらぬ内定を手に入れた僕であったが、ここからどうなるのかは一抹の不安を覚えている。バイト事態はそれなりにやったが、ここまで簡単にバイトが決まったことは無い。特別に今まで経験したバイトを少しだけ書いていこうと思う。
昔働いていた中華料理屋は、文字通り汚え中華料理屋だ。店主が煙草を吸いながら従業員にキレ散らかしているバイト先だ。煙草を咥えながら中華鍋を振るう姿に貫禄を感じる。時々従業員に向けて空芯菜を投げつける等、鍋の扱い以外にも素晴らしい投球フォームを見せてくれる歴戦の料理人だ。この仕事で覚えた技能としては、皿を高速で洗う、餃子と唐揚げを丁度良く料理する。シュウマイの肉詰め、葱のみじん切り等、一人暮らしをする上で必須となる事ばかりだ。いい経験になった。必ずしも料理の腕と人格が一致するとは限らない事も学んだ。馬鹿と鋏は使いようとも言われるが、料理人と中華鍋も使いようだ。
この他にも色々と働いたことがあるので、ダラダラと続けても良いのだが、それだと、退屈になってしまうので、それはちょっとだけ紹介しよう。
例えば、社長が従業員をボールペンで刺している小売業だったり、思想が左に寄り過ぎて毎週末デモの誘いをしてくる居酒屋。パチンコと競馬と競艇雑誌のみを机の上に置いている人がいる塾、どれだけ働いても、土嚢を積む以外の仕事が無い建設業など。
これだけ書くと世界の広さ、多様性を十分に感じられる。体とメンタルが頑丈である僕自身一番参ったのは土嚢運びだ。A地点からB地点まで土嚢を運ぶだけの作業だが、これをずっと繰り返す。頭が狂うかと思った。まるで賽の河原だった。
僕の経歴はこれくらいで良いとして、そろそろ話を進めよう。
話を進めると言っても、結論としては僕はこのキャバクラで働くことになった。簡単な話だ。
事前に先輩からは、楽しいアットホームな職場と紹介されているが、先が思いやられる。出来ることなら平穏無事な生活を営みたいのだが、既に片足を突っ込んでしまった以上、ある程度は覚悟しなければならない。手を染めていないだけ、マシと考えよう。何事でもボジティブに考える事が大切だ。
――ここは歌舞伎町ではない繁華街の何処か。新宿から西方の繁華街で起こる波乱万丈物語。全てフィクション、ノンフィクションは存在しない。
そんな感じではじまります。
夜職怪奇譚 敷島 朝日 @midorinoikimono
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