第ニ章

淋しがりの君①

「氏名と生年月日を教えてください」俺は、よく肥えたお腹の被告人──レギー(41)に言った。


 しかしレギーはそれには答えずに、「私は何もやってない! 信じてくれ、本当だ!」とぷるぷると贅肉ぜいにくを揺らしながら自らの潔白を主張した。


 今回も完全な否認事件だ。


「それを立証するためにも適切な手続きをお願いします」我ながらお役所的な発言になってしまった。


「っ、分かりました、分かりましたよ」とレギーは承諾と共に不満を表明した。「ベルフィス町で武器を売っているレギーだ。生年月日は6日8月1305年。これでいいだろ」


「はい、ありがとうございます」平静に礼を言いつつ、内心、この事件も骨が折れそうだなぁ、と何となく思っている。


 しかし、俺とは対照的に起訴手続きを行った男──ディラン(23)。口述試験の日に門番をしていた男だ──は、ユルい雰囲気をまとっていて、如何にもやる気のないことが伝わってくる。


「……」


 天井を見上げれば、染みがいつもと変わらぬ微笑み(?)を浮かべていた。


 ディランがこの事件の報告書を持って俺の部屋を訪れたのは3日前のことだ。







「よう、邪魔するぜ」俺が自室で書類仕事をしていると、ノックもせずにディランが入ってきた。


 同年代で同性、ついでにお互いに平民ということで一緒にいることも少なくない。


「どうした? サボりか?」


「仕事だ、仕事」心外そうに言った、ということはない。「残念ながら俺が起訴しなきゃいけなくなったんだよ。ほら」ディランが事件について記された報告書を机に、ポンと置いた。


「ふーん。どれどれ……」報告書を手に取る。


 報告書によると強盗致死罪と強制性交等罪のようだ──解釈の難しい部分はあるが、とりあえずはこれら2罪の同時的併合罪へいごうざいとしておく。以下、事件のあらましだ。

 裕福な商人のルーバン(39)から多額の借金をしている武器商人のレギーが、彼の自宅を訪れ、彼の首を切断して殺害(一太刀で綺麗に切断されていた)。その後、ルーバンの妻のシエンナ(27)を強姦し、さらに金品を奪い、被害者宅を後にした。

 

 うん? なんだこれ。おかしくないか?


 明らかに不自然な点がある。ディランが記述し忘れたのだろうか。

 

「なぁ、ディラン」煙草に火をけて一服し始めたディランに問う。「なんでシエンナは殺されなかったんだ?」普通は口封じのために殺すんじゃないか? 生かしておくメリットはないはずだ。

 

 ディランが煙を吐き出す。「ああ、それはな、奥さんがべらぼうに美人だったからだ」これ以上説明させんなよ、めんどくせぇから察してくれ、といった趣である。


 しかし、悪いがそれで真相を確定的に理解するだけの能力は俺にはない。「美人だからなんだよ。美醜にかかわらず殺すときは殺すのが人間だろ」当然の疑問だ。


「はぁー」ディランは露骨に鬱陶うっとうしそうな顔をしている。「シエンナが、『レギーの愛人になるから助けてくれ』って命乞いしたんだよ。そんで色々サービス・・・・・・したんだと」仕事は終わったとばかりに煙草に口をつける。ぷはー。


 ふーむ。シエンナの美貌と演技力次第では殺されないこともあり得る……か? うーん……。


 俺は吸わないのになぜか机に置かれている灰皿に、ディランが灰を落とす。


 悪いがまだ訊きたいことはある──報告書が雑すぎて他の奴に比べて質問が多くなるんだよ。「じゃあ、なんでレギーが犯人だって分かったんだ? 後からシエンナが告訴したって認識でいいのか?」


「裁判が始まれば分かるって」だから今、説明しなくてもよくね? などと意味不明な供述をしており……。


「説明」


「はぁああぁー」デカすぎて幸せは勿論、魂まで抜けてしまいそうな溜め息だ。


 どんだけめんどくさいと思ってんだよ……。


「お前の言うとおり、シエンナがゲロったんだ。運悪く俺がそれを聞いちゃったわけ」マジでいい女だよな、と迷惑そうに眉間にしわを寄せた。


「レギーは否認してんだよね?」


「だなぁ」


現場不在証明アリバイは?」


「ないな」


「……ディランの所感は?」


「さぁ? レギーでいいんじゃねぇか。如何にもな見た目だしよ」おざなり、ここに極まれり。


「『犯罪者には共通する外見上の特徴がある』といった主張をする人間も少なからず存在はするけどさ、俺はせいぜい参考程度にしか思ってない」


「だからなんだよ」


「もうちょい調べてこい」


 またしてもディランの顔が歪む。「マジで? 冗談だろ?」


 なぜ冗談だと思えるのか。


「マジだ」


「えぇー」まるで冤罪えんざいで死刑宣告を受けた被告人のような絶望感だ──と言うと、少し大袈裟おおげさかもしれない。







「──ルーバンの妻のシエンナ、ルーバンに雇用されていた庭師のヒューゴ及びシエンナの奴隷のイリス並びに凶器の片手剣の証拠調べを請求します」冒頭陳述を終えたディランが、静かな法廷で淡々と請求した。多分、カンペどおりに読んだだけだと思うけど。


 それはそれとして、ディランは、証言(証人尋問)を主な攻撃手段にしてレギーを有罪にするつもりのようだ。まぁ順当なところだろう。


 一方、レギーは不服そうだ。捜査段階から一貫して否認しているから、こちらはこちらで順当な反応だ。


「レギー被告人に何か意見はありますか?」


「何かも何も全てデタラメだ。こんな茶番で判決が下されるなんて納得できるわけないだろう!」憤懣ふんまんやるかたないといった様子だ。


「……被告人の主張も検証していきます」冷たいと思われるかもしれないが、こう言うしかない。「証人及び凶器の証拠調べを認めます」


 俺の発言を聞いたレギーは、ふん、と見下すように鼻を鳴らして、指示もないのに被告人席に戻り、ドカッと腰を下ろした。


「……」うーん。


 法廷で好き勝手に舐めた態度を取るのは、本来なら良くないんだけどね。ぶっちゃけ俺はあんまり口煩く注意したくはない。そういう感情の発露が真相究明の役に立つ……かもしれないと思っているからだ。

 特に今回は、というか今回不可解な点のある否認事件だ。どんな些細な情報も見逃せない。

 

 さて、じゃあ早速、証人に来てもらおうか。


 廷吏ていりのジョージに、「シエンナさんを」と指示を出す。


 ジョージがいつもどおり無言で頷いてから証人控室に向かう。


 そして、カラカラという音。その発生源はシエンナの車椅子だ。資料によるとシエンナは下半身が動かせないらしい。

 ジョージに押されてシエンナが証言台の横に移動する。車椅子だと高さ的に都合が悪いからこうなる。やや珍しい情況だが、全くないわけではない。


「お名前と生年月日をお聞かせ願えますか」


「ベルフィス町のシエンナです。生年月日は3日3月1319年です」


 たしかにディランの言うとおり信じられないくらい整った顔立ちをしている。声も、深層の令嬢のそれが少しばかり退廃的にれたような、そんな感じだ。時の流れは残酷だ、と最初に言ったのは誰なのだろうか、という疑問が浮かんだが、勿論、表情にも声にも出していない。


「……」シエンナの観察を続ける。


 彼女の精神に乱れはなさそうだ。夫が殺されて自分も犯され、その犯人(仮)が目の前にいるのに実に安定している。気のせいだろうか。


 シエンナが、見つめる形になってしまっていた俺に微かな笑みを見せる。


「……」


 美しい笑みだとは思う。

 演技に対する適性もありそうだし、レギーを丸め込むことも不可能ではないかもしれないね。

 尤も、レギーのお腹は初めから丸いようだけど。


「それでは宣誓をお願いします」くだらないことなんて何も考えていないですよ、とかたるかのようなおごそかな語り口で俺は言った。


 はい、とシエンナが返事をし、「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」と滔々とうとうと続けた。


「もしも真実を述べなかった場合は偽証罪になり、罰せられますので、嘘はつかないようお願いします」裁判に定型句テンプレは付きものだ。


「はい、存じております。真実のみを告げますのでご安心なさってください」


「結構」それじゃあ主尋問の時間だ。ディランへ視線を向ける。「ディラン一等兵は主尋問を行ってください」


 一等兵は下から2番目の階級だ。

 要領はいいはずなんだけど、如何せん本人にやる気が皆無だから役不足もやむ無しである。しかしその割には、〈煙草代がー、酒代がー、女がー〉と金がないことをいつも嘆いている。本気を出せ本気を、としか言えない。


「ほいほい」ディランが膝に手をつき、よっこらしょ、とでも言いそうな風情で、しかし実際にはそういった言葉は発せずに立ち上がった。「えー、じゃあ、あれだ。奥さんは被告人が旦那さんの首を切断するとこを見たんだよな?」


 ディランのあんまりにもあんまりな言葉使いの尋問に、シエンナは鼻に皺を寄せるのではないか、と俺は思ったけど、そんなことはなく彼女は普通に「ええ」と頷いた。「13日1月の昼過ぎに、居間で夫とゆっくりしている時にレギーさんがいらしまして」


 ディランがその先を引き継ぐ。「そんでレギーがやっちまったんだな」


「はい。『借金の弁済に当てたい』と持参した片手剣でいきなり夫を切りつけたのです」明瞭な弁だ。


 ディランが、隣の椅子を占有する細長い布の塊を手に取る。するすると布を取り除き、なかなか質の良さそうな片手剣を展示(証拠物を法廷でみんなに見せること)した。「これがその時の片手剣で間違いないよな?」

 

 ハリエットといいディランといい、証人に対して敬語を使わないのは良くないと思わなくもない。


「ええ、それです」シエンナが肯首した。


 ディランは片手剣を持ちながら、「この剣は、10日1月にレギーが仕入れたやつで、切れ味がいいから一太刀で首を切断することもできるはずだ。血は洗われているが、この事件の凶器と見ていいと思うぜ」と情況証拠を並べ、検察官としての意見を述べた。


 視界の隅でレギーが曖昧あいまいに唇を尖らせている。無表情を取り繕おうとして中途半端になっているのか、自然とそうなっているのか判然としない。けど、納得いっていないことは子どもでも理解できるだろう。


「これで主尋問は終わりだ」まるで法廷にいることを忘れてしまったかのように普段どおりの口調でディランが言った。


「それでは反対尋問に移ります」と宣言し、俺から見て左側の長椅子に座るレギーに顔を向ける。「レギー被告人は、その場で起立してから反対尋問を行ってください」


 立ち上がったレギーが、法廷をぐるりと見回す。自分を犯人と思っていない人間を探しているのだろうか。

 

 しかし結果はかんばしくなかったのか、レギーは鼻先で「ふん」とわらった。


 俺は味方でも敵でもないですよ、と教えてやりたい気持ちが湧いてきたけど、レギーが鼻で嗤うところを見て豚を連想してしまったので、もしかしたら敵かもしれない。


 シエンナに脂ぎった顔を向けたレギーが口を開く。「お久しぶりですね」努めて穏やかに、といったところか。「1ヶ月ぶりでしたか?」


 事件は10日前だ。つまりは、あくまで事件への関与はなかったという前提で尋問をするつもりなのだろう。


「10日ぶりですよ」シエンナも静かな口調で答えた。


 レギーの頬がピクリとする。「どうしても私を犯人にしたいようだ」シエンナを見下ろす瞳に憤怒ふんぬの光。


「よくも私に対してそのような自分勝手な嘘がつけますね」シエンナが睨み返す。


 法廷に数拍の静粛。


「……話にならんな」レギーが吐き捨てた。そして唐突に、「裁判官!」と──ふぇ?


 声は出さずに目だけで、なんでしょうか、と先を促す。


 すると、レギーはシエンナを指差し、「この女は嘘をついている! 誰もいない自宅内の状況などなんとでも言える! 証言の信憑性など初めからないに等しいんだ!」と口角泡を飛ばし、さらに、「こんなクズの言葉は証拠ではない! 腐った女の気色悪い妄想なんだよ!」と断言した。


 これには流石のシエンナも語調を強める。「いい加減にしてください! あれだけのことをしておきながら無罪になろうなどという虫のいい話が、許されるわけがないでしょう! 罪を認めてください!」


「ないものは認められん! お前こそ嘘を認めたらどうだ?!」


「真実を話しています! 言いがかりはやめてください!」


 完全に平行線だな。


 魔力を声に乗せて、「静粛に!」と法廷に拡散させる。


「……」「……」2人が沈黙する。


「話が堂々巡りになっています。別の質問事項がないのでしたら再主尋問に移りますが、どうされますか?」俺は、レギーの目を見て問い掛けた。


「……こんなのと話していても時間の無駄だ。反対尋問は終わらせてもらう」はぁ……、とレギーは諦念を孕んだ言葉を溜め息で締めくくった。


 このレギーの態度、嘘かまことか現時点では判断しかねる。それは勿論シエンナにも言えることだ。


「……ディラン一等兵は、再主尋問を行いますか?」


「質問なんてないって」あるわけないだろ、とディランは、訊いた俺を馬鹿にするように答えた。


 ディランは差しき、「では私から質問があります」と俺が言うと、シエンナの片眉が僅かに動いた。


「……なんでしょうか」


「犯行時のレギー被告人の服装を教えてください」


 ディランの報告書には書かれていない。


「ああ、はい。茶色っぽいチュニックとズボンだったかと記憶しています。防寒具はベージュの外套コートで、革製の鞄も持っていました」シエンナの口が滑らかに返答を発した。


「殺害時の返り血は付着していましたか?」


「……」シエンナが顎に手をやる。ややあってから、「ごめんなさい、よく憶えていないです」と初めて明快さのない言葉を口にした。


 ほうほう。  


「分かりました。それではシエンナさんに対する尋問を終わります」フライング気味に動き出そうとした廷吏のジョージに、「次はイリスさんを」と伝える。


 ジョージが車椅子を押してシエンナを退廷させる。次いで、指示どおり、奴隷用の首輪をした褐色肌の少女──イリス(17)を連れてきた。

 イリスは緊張しているようだ。表情も硬いし、動きもぎこちない。

 

「名前と生年月日をお願いします」証言台の前に立ったイリスに本人確認。


「シエンナ様に、所有されている、奴隷のイリスです」少し声が震えているけど、そこまでではない。「生まれた日は分かりません。年齢は17歳ということにしています」


 生年月日を正確に把握していないケースも珍しくはない。特にスラム等の、所謂、貧困層の親を持つとありがちだ。


「承知しました。では、宣誓をしてください」


「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」大分スムーズだ。緊張がほぐれてきたのかもしれない。ちなみに、宣誓のセリフの書かれた紙が証言台に置かれているので、文字が読めない場合を除き暗記する必要はない。


「嘘をつくと罰せられますので、真実を述べるように」


「分かりました」


 前準備的なやり取りが完了したので本題に入る──ディランに「主尋問を」と指示を出す。


「はいよ」とディランが立ち上がる。「えー、イリスは事件発生時には買い物に行ってたんだよな?」


「そうです」イリスの声には幼さが残っているが、過酷な人生の終焉しゅうえんを迎えようとしている老婆のごとき複雑な影がある、気がする。次いで、「庭師のヒューゴさんと一緒でした」と法令上、人間とみなされない立場での仕事内容を語った。


「買い物を終えて、あと少しでルーバンの家に着くってとこで、〈布でくるまれた細長い何か〉を持ったレギーが走り去っていく姿を見たんだよな?」順調な滑り出しに満足しているのか、ディランの口調は柔らかい。マイルドヤンキーというやつだろうか。


「はい。怖い顔で走っていたので印象に残っています」イリスは淀みなく答えた。「変だな、とは思いましたが、その時は私たちと関係があるとは考えませんでした」そのまま歩いて帰りました、と繋げた。


 うん。また俺も尋問させてもらう。


「イリスさん」俺が呼び掛けると、イリスはビクっと身体を強張らせた。


「なんですか」しかし、すぐに緊張はどこかへやったようだ。口調に硬さはない。


「レギー被告人を見たのは、ルーバンさんの自宅からどのくらいの距離の場所でしたか?」


「えーと……」イリスは、視線だけを上に向けて考える素振そぶりを見せる。記憶を掘り起こしているのだろう。「パン屋さんの辺りなので、徒歩で10分ちょっとの距離だと思います」しっかりと憶えているからか、迷いや曖昧さは感じられない。


 日本の〈不動産の表示に関する公正競争規約〉及び〈不動産の表示に関する公正競争規約施行規則〉を参考し、〈徒歩10分強の距離=凡そ800メートル強〉と仮定して審理を進める。


「その時のレギー被告人の様子をもう少し詳しく教えてください」できる限りで大丈夫ですよ、と加える。


 俺が尋問に割り込んだのは、体型的に走るのに向いてなさそうなレギーが、片手剣──ブロードソードと呼ばれる幅の広い剣で、通常は1.3キロ程度──とおそらくは金品が入った鞄を持ったまま、冬の町を駆け抜けるイメージがあんまり持てないからだ。

 意外と運動が得意だとか、途中から走り出したとかならイメージはできるが……。


「詳しく?」質問の意図が理解できないのか、イリスは戸惑いがちに答える。「普通に走っていたと思いますけど……」他に何を言えばいいんですか、と逆に質問されてしまった。


「疲労の程度や走る速さはどうでしたか?」


「……そこまでは憶えていません」


 そう言われてしまえばどうしようもない。


「ではレギー被告人の服装はどうでしたか?」


「ベージュの外套コートでした」


「血痕はありましたか?」


「……なかったような気がします」


 シエンナの証言と矛盾はないか。


「……分かりました。私からは以上です」ボヤっとしているディランに、「ディラン一等兵は主尋問を再開してください」と指示。


「ん? ああ、もういいのか」


「はい、続きをどうぞ(少しはやる気を出せ)」念を送るが、俺にそんなスキルはないので、ディランは何処吹く風で首の骨を鳴らしている。羨ましい性格をしてやがる。


「えー……」と内容のない文字を声に出して思案する時間を稼いだディランは、「他に何か言いたいこととかってあるか?」となんのために頭を捻ったのか分からなくなることをイリスに訊いた。


「ありません」イリスに気分を害された様子は見受けられない。


「りょーかい」とディランは答え、次いで、俺に向かって、「尋問は終わりだ」と伝えた。


 じゃあ、問題の反対尋問といきますか。


 ディランに座るように言ってから、レギーに、「反対尋問をお願いします」と促すが──。


「いらん」不機嫌さがありありと窺える声。「この餓鬼も嘘しか言っておらん。どうせ何を訊いても無駄だ」何も訊く気になれん、と諦念と怒りの色を顔に張り付けている。


 一方のイリスにはそういった感情はなさそうだ。つん・・としていて、レギーを見ようともしていない。

 実際に嘘をついているならば偽証罪だが……。


「……分かりました」今この場で証明することはできない。「ディラン一等兵は、再主尋問を行いますか」


「行いませんね」とディランは肩を竦めた。


 まぁそうだよね。


「それではイリスさんへの尋問は終了です。お疲れ様でした」退廷してください、と結ぶ。


「はい」イリスが証言台を後にする。


 イリスが法廷から出るのを待って、「庭師のヒューゴさんをお連れしてください」とジョージに最後の証人を連れてくるようお願いする。


 さて、次のヒューゴで最後だ。







「そうっすね。パン屋の近くでレギーを見たのは間違いないっすよ」三白眼のヒューゴ(25)が、イリスと同様の証言をした。


「だよな」ディランがチャラい相槌を打つ。「レギーは走ってたんだろ?」


「なんで急いでんだろうなぁ、とは思ったけど、そん時は別に気にしなかったっすね」ヒューゴは、証言台に手をついて体重を掛けながら自然な声音こわねで言った。


 とりあえずイリスにしたのと同じ質問をしておきたい。しかし俺が声を出そうとすると、ディランと目が合った。


「……」どうやらディランは、俺がしようとしたことを察したようだ。


 ディランはヒューゴに視線を戻し、「そん時のレギーの様子はどんなんだった?」と俺の代わりに質問を投げ掛けた。


 どういう風の吹き回しだろうか。気まぐれかね。


「どんな?」イリスと同じ様にヒューゴは訊き返した。


「走る速さとかだよ」


「……そんなに速くはなかったはずっすけど」よく憶えてないっす、と証言台から手を離す。


「レギーの服はどうだった?」ディランは更に問う。


 あー、とも、えー、ともつかない声を出した後に、ヒューゴが口にしたのは、「外套コートを着てたっす」という、もう2回は聞いた言葉だった。


「コートの色は?」


「ベージュっす」今度は即答した。


「血は付いてたか?」


「俺は見てないっすね」これも前2人と同じだ。


 コートを脱いでいる時に殺害したのならば、返り血はコートではなく中に着ているものに付くはずだから不自然ではない。加えて、証人の供述に食い違いもない。


 んー……。


 ふと、ディランが俺を見ていることに気づいた。〈こんなもんでいいか?〉と暗に訊かれているような気がする。

 これはもしや精神感応かんのう系スキルを取得する前触れなのか、と期待に胸を膨らませながら、〈こんなもんでいいよ〉と暗に答えておく。

 

 ディランが頷く。そして再度、ヒューゴへと質問した。「レギーのコートのサイズってどれくらいなんだ?」


「……は?」「……は?」「……は?」俺とヒューゴ、ついでにレギーの疑問と困惑が重なった。


 一拍遅れて、「え?」と発したディランの顔は、〈なんでだよ。ノアが訊けって言ったんだろ〉と不服を表明している。


「……」「……」「……」「……」


 どうやら俺が精神感応系スキルを取得する日は、まだまだ先のようだ。というか、一生無理かもしれない。

 ファンタジー世界なのに夢がないことを理由に、神様相手に一般不法行為による損害賠償請求訴訟を提起できないだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る