なかなか進まないバンドの練習をひと休みしたら

「てか、美歌先輩? 何度同じ場所間違えたら気が済むんですか〜!?」

「んー、よくわからないけど、同じ場所だから間違えるんじゃないかな〜?」

「確かにそれは一理あります。でも美歌先輩は同じ場所を間違えすぎです!」

「ああ〜、ごめん! でもあたしが一音間違えただけで、茜ちゃんよく気づくね?」

「そんなの誰だって気づきますよ。ベースは音楽の根幹なんですから、間違えたらそこに不自然な違和感が生じて当然です。美歌先輩が間違えれば、その分だけ音楽の違和感が伝染してしまうんですから、気をつけてくださいね!!」

「え、そうなの?? 音楽に違和感…………なんて、さっきあったかな?」

「ひょっとして美歌先輩、自分で間違えた箇所、気づかなかったんですか??」


 あたしはドラムのバチをそっと床に置いて、深く溜息をついた。これで今日ここに来て、何度目だろう? 藤沢のマンションの防音室で練習を始めて、ようやく一時間ほど。あと一時間もすれば正午になり、湘南の日差しは今より高い位置まで駆け上がるだろう。遠くに見える江ノ島の灯台は、どこかあたしたちを高らかに笑っているようにも見えた。

 そして、あいつ。ずっと防音室の入口に背中を預けている透は、やはりあたしの顔を覗いては、小さくくすくす笑っている。もちろんあたしに話しかけてくることもない。その笑いはまさかあたしを励ましているつもりなんだろうか。いや、正直なところ、あたしを馬鹿にしている風にしか見えない。本当に困った幽霊である。あたしをより苛立たせてくれて、一体何がしたいのだろう。


「あの〜、美歌先輩。少し休憩しませんか?」

「う、うん。そうしよっか」


 気がつくと美歌先輩も、なぜかあたしの顔を見て笑っていたんだ。なぜ? ひょっとして、あたしの顔に何かついているんだろうか? あたしの頭の中ではそんな疑問が膨れ上がり、気がつくと心の奥であたし自身も笑っているような気がしてきた。

 もっとも今のあたしは笑みが顔の表に現れることもない。だからあたしがどんなに笑っていたとしても、ここにいる二人にはあたしが怒っているようにしか見えないのだろうけど。


「そもそもどうして美歌先輩は不器用でちゃんと弾けるかもわからないくせに、今年もチロルバンドなんてやろうと思ったんですか?」

「うーーーん…………どうしてだろね???」


 そう質問しても、美歌先輩はやはり笑いながら何かを誤魔化していた。自ずとあたしは焦りというか苛立ちというか、だけどその美しい笑みは奇妙な安心感さえ放っていて、どこかほっこりとしてしまう自分がいる。


「やっぱし今年こそは自分一人の力で弾いてみたかったからかなー?」

「え……?」

「……ううん。なんでもない。一年前のあたしからどれだけ成長してるのかなって、それを試してみたいだけかもって」

「一年前って言いますけど、あの頃よりむしろ弾けなくなってませんか?」

「え、そう?? さすがにそんなことは…………」


 とはいえ元々美歌先輩の職業はアイドルで、音楽の担当パートは『奇跡の歌姫』と異名を放つ程度のボーカルだ。一年前などに比べたら美歌先輩の仕事も相当忙しくなってるわけで、趣味でもベースを弾いてる余裕なんてどこにもなかったはず。およそ一年ぶりにベースを弾き始めたとなれば、弾けなくなっていても当然なんだけどね。

 あたしはもう一度溜息をつく。人は溜息をつけばつくほど幸せが逃げると言われているけど、なぜか今日に至ってはむしろ幸せが増えていってるように感じるのは、気のせいだろうか。


「ひょっとして美歌先輩、ユーイチ先輩がほぼ真奈海先輩に確定しちゃってるから今年はやや脱力気味とか、まさかそんな話ではないですよね???」

「そ、そ、そんなことはないよ!!!? ……てかそれってどういう意味?」


 そして、美歌先輩自慢の天然な慌てっぷりは、やはり可愛い。最後の質問返しは正気なのか冗談なのか、それさえわからないほどなのも、美歌先輩の性格そのものを表しているよう。あたしはまたしても小さく溜息をついてしまっていた。


 美歌先輩は正直言うと今日よりも、去年がむしゃらにベースギターの練習をしていた。今を生きることそのものに精一杯で、どんなに間違えようと誰にも何も言わせない程度に殺気立っていた。誰かのためというより、恐らくは自分のため。自分の何かを変えたくて……。

 当時、美歌先輩がユーイチ先輩に想いを寄せていたことは、共にチロルハイムで暮らしていたあたしにも容易に想像がついた。だけどユーイチ先輩のすぐ側には、いつも真奈海先輩がいる。美歌先輩だって当然そのことに気づいていたはずだ。だけど……いや、ひょっとしたら、だからこそなのかもしれない。美歌先輩は断固として、去年最後までベースギターの練習をやめようとしなかったのか。

 そんな美歌先輩が、今度はあたしの代わりに小さな溜息をついた。


「ね。うちの学園祭の後夜祭のジンクスの話、茜ちゃんは聞いたことある?」

「あ〜、後夜祭が始まる直前に……みたいな話でしたっけ? そんなの嫌というほどクラスの周りでも話を聞きますし、だけどあたしには特に関係ないっていうか……。そのジンクスがどうかしたんですか?」

「……ううん。やっぱしなんでもない。今の話はそのまま忘れて」

「あれ? ちょっと待ってください。確か去年の後夜祭って、あたしは『White Magicians』として後夜祭のステージで歌うことになってたから正直それどころじゃなかったんですけど、『BLUE WINGS』のお二人は真奈海先輩の気まぐれのせいで仕事サボってて……」

「いや、だから忘れてって!! そろそろ練習再開しよ?」


 美歌先輩は慌て始めた。それはきっと何かのフラグであることに違いはない。

 去年の後夜祭。あたしが普通に仕事してる中、間違えなく真奈海先輩と美歌先輩はオフだった。確か真奈海先輩が『ユーイチとデートするから』とごねたせいで、あたしと胡桃さんが後夜祭で歌うことになったんだ。だけど後夜祭が終わると、どういうわけか真奈海先輩はしょんぼりしてて、てっきりユーイチ先輩と喧嘩したのかと思いきや、そのユーイチ先輩の顔はどこか上の空。

 美歌先輩はというと、なぜかどぎまぎした顔してましたよねそういえば。

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