インクのあふれ先

にゅーろんΩ

シンボル

 22世紀になっても、戦争はなくならなかった。

 しかし、戦争の原因は人ではなくなった。人類が、戦争が個人を超える大きな存在によって生み出された惨禍であると気が付いたのは、つい最近のことだ。

 そのことに気が付いた時、人類は戦争をやめた。


 広場に、人が集まっている。まるで中世の魔女裁判のように、広場の中心の高くなっている台の上の十字架を睨んでいる。

 皆、手を振り上げて怒っていた。口から泡を飛ばし、広場の中心に罵倒を浴びせかける。甲高い悲痛な叫び。野太い罵り。それらがまじりあい、まるで多種多様な色の糸が混ざってできた灰色の埃のような分厚いエネルギーが、広場にべったりと溜まっていた。

 十字架には布が被せてあって、中身は見えない。しかし十字架の交差点の部分だけが盛り上がり、そこにナニカがあるのがわかる。みな、そのナニカに怒っているのだ。

 

 広場の脇から真っ青なローブにすっぽりと身を包んだ人が出てきた。そのことに気が付いた近くの者たちが水をうったように静かになる。やがてその静寂は広場全体に伝播した。

 ローブの者たちが広場の中心の台の上にたどり着いた。十字架の前でローブの背中側を翻し、民衆のほうへ向き直る。真ん中のその者たちのリーダーと思しき人が宣言した。


 「諸君! 諸君らの願いはようやく叶う! 我々はついに、この度の戦争を引き起こしていたその諸悪の根源を捕まえることに成功した!」


 その一言に、広場が爆発した。皆が歓声を上げ、空にこぶしを突き上げる。喜びの涙をその両目から垂らした。それも仕方がないだろう。アレを捕まえ、この世から抹消することは彼ら彼女らの悲願なのだから。皆で憎しみあい、傷つけあうしかなかったあの日々。それもすべてアレのせいなのだ。

 息子が死んだ。娘が死んだ。父が、母が、祖父母が、友人が、恋人、恩師が死んだ。それもすべて、アレがいけない。

 ついに――。その感極まる思いが広場にいる者たちの背中にしびれるような震えをもたらし、さらに歓声の声が強まっていく。


 歓声を聞いていたローブの者たちも、つられて腰を折りまげ、フードで見えない顔を手で覆った。

 そのリーダーは泣き崩れることはなかったが、歯を食いしばって耐えた。そしておもむろに十字架にかかっていた布に手をかけた。


 「諸君! これで我々の悲劇はようやく終わる! これが、これこそが我々を戦争させしめしていた元凶、第三次世界大戦の中心、対人類内発不動点――アトラクタだ!」


 布が解かれる。十字架の中心に、赤色に光る物体があった。ドーナツのような構造をしたそれは、今回の戦争の元凶だった。このドーナツ型のアトラクタは、正確にはアトラクタそのものではなく、数学的な現象であるアトラクタを物理的に抽出したものだが。



 アトラクタ。偶然によって誕生する、集団現象の定点のことだ。集団はアトラクタに導かれるように動く。


 例えば、21世紀初頭の二人の少年と少女が学校で出会い、恋に落ちた時を考えよう。

 少女は少年に好意を伝えようと、バレンタインデーと呼ばれる行事でチョコを作る。拙いながらに一生懸命作ったチョコだ。

 少年も、もしかしたら少女に好かれているかもしれないと期待し、バレンタインデーを待つ。

 当日、少女はチョコを少年の下駄箱に入れる。しかし、通りかかった一人の生徒が下駄箱に誤ってぶつかってしまい、その拍子にチョコが下駄箱から落ちる。その生徒はチョコをもともと入っていた下駄箱の隣に入れてしまう。

 少年が登校する。自分の隣の下駄箱に、丁寧なラッピングで包んであるチョコを発見する。魔が差して、つい差出人を見てしまった少年は、そのチョコが自らが好意を寄せる少女のものだと気が付いてしまう。

 少年は少女が他の男性生徒を好きだと思い込み、少女に冷たい態度で接するようになる。

 少女は、少年の冷淡な態度にショックを受け、涙をする。

 次第に両者はお互いを避けるようになり、こうしてひとつの恋が失われる。

 下駄箱に一人の生徒がぶつかったとき、アトラクタが形成された。そのアトラクタに導かれるように、両者の関係性は両者の思惑を超えて自律な循環運動を開始する。そうして、この場合は悲劇へと至った。




 人類が、自らの社会という集団で起きる悲劇が、こうしたアトラクタによって起こされていると気づいたのは、つい最近だった。

 アトラクタこそが諸悪の根源であるという主張が社会を覆うようになったのは、それからすぐのことだった。

 本当はアトラクタが悪いわけではない。偶然がアトラクタを形成し、世界はまだ見ぬ未来へと流れていく。それだけだ。

 しかし、社会はそういう風には動かない。すでに起きてしまった悲劇にケリをつけつ必要がある。たとえ意味がなくとも、社会は責任者を求め、責任者を抹消しようとする。



 群衆の視線が、赤いドーナツに注がれている。

 リーダーのローブ男が、斧を取り出した。アトラクタの前に立ち、両腕で持った斧を、振りかぶった。


 「これで! われらの悲願は叶う。今まで命を落としたすべての同胞たちよ、仲間を失ったすべての同胞たちよ! この斧の音を聞け!」


 斧が振り下ろされ、ガーン!!!!という金属音が響き渡って、アトラクタが両断された。ゴロンと二つの塊になって台の上に転がった。しかし、切断面は、深紅の輝きを拍動させていた。まだ、”生きている”

 

 一人の女性が台の上に上ってきた。両手を前に伸ばし、ゆらゆらと歩む。その口から、かすれた声が漏れた。

 「私にも、斧を振らせてちょうだい」


 ローブ男は深くうなずくと、斧を手渡した。

 女性は斧を両手で握りこんだ。呆然とアトラクタの片割れを視界に入れたとたん、女性の目と口がゆがんだ。

 「お前がぁぁぁぁ!!! あの人を殺したんだぁぁぁぁ!! 返してよ。返せ!」

 斧を振り下ろす。当たり所が悪かったのか、ガキィン!という鈍い音がするが、女性は止まらない。何度も何度も振り下ろす。

 「返せ! 返せ! 返せ! 返せ! 返せぇぇぇぇぇえええええええ!!!!」

 10数回振り下ろしただろうか、女性は腕を止め、粉々になった赤いかけらを見下ろした。


 すると、今度は台に数人の人が登ってきた。その中の一人が言う。

 「俺にも斧を振らせてくれないか」

 その一言が呼び水となり、俺も!私も!と皆が集まってくる。


 空は青く、透き通るような風が吹く。そしてその空に、斧が振り下ろされる音が、何度も響き渡り続ける。


 22世紀になっても、戦争はなくならなかった。ケリをつけたいという人間の思いは今もまだ、人に斧を振り下ろし続けさせる。過去を断ち切り、よりよい未来を夢見るために。

 

 

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