うちには随一の化粧師がいるからな
「可及的速やかに、冬胡との物流を止められねェか?」
「かなり無茶言うわね」
「無茶なのはわかってる。だからここまで乗り込んで来たんだろうが」
「オイ姜の坊ちゃん、口が過ぎるぞォ」
そこは、いつか毒に倒れた香月を匿ってくれた部屋だった。その時は寝台が中心に添えてあったが今は仕舞われているようで、寝台の替わりに大きな長方形の卓が置かれ、その周りに十の椅子が並べられていた。
太燿の左右に俊熙と磊飛が、真正面に子豪が着座し、その右を芳馨、香月の順で固めている。
雲嵐の姿は見えないが、いつものように天井裏に控えているのだろう。
磊飛の指摘に一瞬押し黙ってから、子豪は先程よりは幾分か丁寧な口振りで、再び口を開いた。
「今兄貴が冬胡に流してンのは、おそらく武器系統だ。何処で調達してるかはまだ調査中だが、かなりの量がある」
「いつから武器を?」
「本格的にやり出したのは前回の天長節より少し前か?おそらくそんくらいだな。一気に金がウチに入りだしたのはそれからすぐだ」
「あら、でもそれより前から、姜家は冬胡に頻繁に通ってたんじゃなかったかしら?」
芳馨の言葉に、香月は確かにと頭の中で情報を整理する。香月が秀英に婚約延期を言い渡された頃、既に秀英は冬胡を含めた他国へ出入りを繰り返していたはずだ。あれは三年も前の天長節の頃だった。次の年は賢威帝の崩御が起こって、その次の年は香月はもう見習い女官として後宮にいた。間違いない。
「なるほど、かなり慎重に地盤を固めてたってことかな?」
太燿が顎に手をあててそう言うと、「いや」と俊熙がそれを遮る。
「それもあるでしょうが、その時期だからこそ可能になった、と考える必要もあるかと。何か不規則性が無かったか…?――昨年の、天長節」
意味深に俊熙がそう言うと、太燿と芳馨が一瞬空けて「あ!」と声を揃えた。
「夏蕾で何かあったと言えば、元々予定の無かった天長節の儀式が突然開催されることになったわね」
「二年前の天長節の頃は、ちょうどおじい様――賢威帝が崩御された時期だからね。昨年は喪に服す意味でも儀式はしないって方針だったはずなんだよね」
儀式という言葉に何か思い至ったのか、磊飛もそれに被せるように記憶を辿る。
「確かそん頃、急に夏蕾への人の出入りが増えてたなァ。参内者も多いしでかなりの人数が警備に駆り出されたような…」
そこで香月もなるほどと思い至る。天長節は特に大きな行事であり、他国からも商人や皇族の訪問が多くなる。人も、物も、動きが活発になるのだ。
それが大量武器の輸出にとって、ちょうど良い目くらましになる。
――では、問題は、誰が糸を引いているか、ということである。
「…待ってよ、それじゃ…」
芳馨が硬い声で言い淀むと、それを受けて俊熙も張り詰めた声を出した。
「思ったより、大物だな」
「…中止の筈の儀式を復活させられる権限なんて、持ってる人は限られてるからね」
「――オレぁ、とてつもなく嫌な予感がするんだが」
「多分『アタリ』よ、それ」
香月も思わず両手で口元を覆う。
唯一その場で『皇宮に関係のない』子豪は、慎重に、何時になく真面目な声で、太燿を見据えてひとつだけ問うた。
「オレがここに助けを求めに来たのは、正解だったってことでいいンだよな?」
「うん、そうだね」
「……圧倒的に最善策だ」
俊熙の頷きを見て、子豪はフゥと息を吐いた。
「…ンなら、良い。裏でどんな大物が糸引いてようが関係ねェ。もうオレは引けないとこまで来てンだ、何でも出す」
その言葉に改めて子豪の覚悟がわかって、香月は芳馨越しにその横顔を見た。やはり見慣れない真面目な表情がそこにあり、それだけのっぴきならない事態なのだと悟る。
「ただ、これ以上深い話をするのは『ここ』では無理だな。場所を改めよう」
俊熙がそう言うと、全員が頷いた。
――恐らく話の流れからして、秀英が冬胡に武器を輸出している件には、皇宮の上層部が絡んでいるということである。そんな中で、子豪にとっての東宮は、明らかに『敵陣』だ。
「ンなら良いとこがあんぞ。オレらの隠れ家…って訳でもねェが、ここよりは安全だろうな。――この件に関しては、ってだけだが」
「充分だろう。ゴロツキ程度なら、何かあっても私だけで殿下をお守りすることは出来る」
「オイオイ俊熙、オレは御役御免かぁ?」
「アンタみたいに図体でかい男いたら不自然でしょーが」
「いやまぁ絶対に何もねェとは言えねェけど、一応丁重には扱わせて貰うぞ?」
そんなこんなで子豪の隠れ家らしき場所で続きを話す、という流れになっているが、香月にはどうしてもピンと来ないことがあって、おずおずと右手を小さくあげた。
「どうした、呉香月」
すぐに俊熙が目を留める。香月はようやく許された発言に、渦巻いていた疑問を乗せた。
「あの、どうしてもしっくり来なくて…」
子豪が言っている『武器の輸出が始まった時期』と『天長節が突然開催されたこと』が重なっていることは解ったが、何故それが結びつくのかが納得いかないのである。仮説のひとつとして考えるのならまだしも、俊熙たちはどうやらこれが正解だと思っている口振りなのが、香月にはピンと来ないのである。
「確かに天長節の開催に踏み切ったことが、秀英さんの輸出にとって利があったんだろうとは思います。けど、それが因果関係の成り立っている事実かどうかって、どうやったらわかるんでしょう?」
運の悪い偶然かもしれない。
他の線も考えた方が良いのでは。
そう思って問うてみたが、その疑問はすぐに打ち消された。
「あらそうね、香月には前提条件が無かったわよね、ごめんなさい」
「実はね香月ちゃん。昨日話してた『郭家』の話、覚えてる?」
「あ、はい。確か六率府のもう一人の将軍、でしたよね」
「そう、そんで反俺派の筆頭ね」
笑ってそう付け足す太燿に、香月は何と言っていいかわからず曖昧な苦笑いを返す。
「実は郭家って、黄家の――俺らの遠縁なんだよ」
「……え」
黄家と言えば、もちろん目の前に御座す第二皇太子・黄太燿の生家であり、現皇帝・黄昂漼(こうこうさい)が当主の家――夏蕾の皇族の事である。
「…ん?俺ら?」
「あ、えっと、俺とか父上の、ね」
なんとなく気になった部分も問うたが特に意味は無いようだ。
つまり、郭家は皇族の血筋であるということである。
それに被せて、今度は芳馨からも情報が出てくる。
「あと郭家と縁があってきな臭い家と言えば、『夏家』なんかもあるわね」
夏家と言えば言わずもがな、蝋梅殿の主君・夏嶺依淑妃だが、その父親は吏部尚書であり……
「そう、反俺派だね」
うっかりチラッと太燿を見てしまうと、またカラリとそう言われた。
「つまりは、姜子豪が持ち込んだ件と、我々が止めようとしている反太燿殿下派の動きは、どうやら冬胡を鍵にして複雑に絡み合っているらしい、という事だ」
ここまで言われて、ようやく香月にも納得がいった。こんなにも、バラバラだった点が線で結びついてくるなんて。
「…ってことは、この国のとってもお偉い方々が、冬胡の侵略を後押ししつつ、更には太燿さまを暗殺しようとしているかもしれない…という事……?」
思わずヒソヒソ声でそう聞くと、太燿がにっこり笑って、
「いよいよ事態は核心に迫ってきたみたいだね?」
とはっきり断じた。
いやいやまるで良い事のように仰いますけど!
「やっぱり第二皇太子だけは敵に回しちゃいけねェなァ」
ガハハと子豪が笑って、俊熙は深くため息をついた。
それからはすぐに、子豪の隠れ家で密談をする為の段取り打ち合わせに入る。
酉の刻六ツ頃に、この空安の都の南東にある青楼街で落ち合うことになった。隠れ家が青楼街にあると聞いた時の俊熙の渋りようは凄かったが、特に奥まった高級青楼であれば秘匿性も高く詮索もされにくいという利点も確かにある為、最終的には合意した。
しかし話を聞きながら、香月の胸はなんとなくモヤモヤしていた。存外面白そうだと乗り気な太燿はさておき、俊熙も青楼に赴く訳である。
別にそういう事をしに行く訳ではないことはわかっている。…わかってはいるが、過去に支度をした青楼の妓女たちの話を思い出してしまうのだ。『そういった真面目な密談が成功したあとこそ、男共は燃えるのだ』と。
その他にも妓女たちの武勇伝を思い出しては心中で「あああだから違うって!」などと考えていると、
「香月ちゃん、聞いてる?」
突然太燿に話を振られて「エッ」と間抜けな声が出た。
「すみませんもう一度…」
「だから、化粧師頼むねって」
いつの間にか『呉』の技を提供することになっていたらしい。
「流石に青楼に殿下が現れたと噂になる訳にはいかないからな。――本当は殿下には留守番していて欲しい所だが」
「もう、しつこい!黄のことなんだし俺にもちゃんと関わらせてよ」
おそらく香月が思考に耽っている間、同じやりとりを何度か繰り返したのだろう。ハイハイ、といった感じで俊熙もため息をつく。
「で、どう変装しようかと考えたんだが、それは至極簡単だった」
そして目を瞑った俊熙は、ふ、と笑みを深めて
「うちには随一の化粧師がいるからな」
と、最悪の殺し文句をぶん投げてきた。
……本当に最悪だ。
そういうのに一番弱いって、わかっててやってない?
「……誠心誠意、お支度させていただきます」
なんとか平静を保ってそれだけ返す。
すると今度は子豪が突拍子もないことを言い出す。
「どうせならお前も、妓女のフリして奥まで来りゃいいじゃねェか」
「はい?」
「あらいいじゃない、今ちょうど『色気作法』叩き込もうってところだし、高級青楼ならついでに学べるわ」
ちょっと待て、なんだか芳馨もノリノリである。
「えー、面白そう!いいじゃん香月ちゃん、一緒にいこう」
太燿まで乗り気になってしまい、そんな場合じゃないだろとは言えない香月は視線で俊熙に助けを求めた。
目が合った俊熙は仕方ないという風に首を軽く振ってから、その場をばちりと収めてくれた。
「遠足に行くんじゃないんだから、浮かれない!」
はーい、と大人しくなった全員に緊迫感は露ほども感じられず、香月は苦笑いを零した。
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