あれ私拉致されたんじゃなかった?


「ホレ、これも食えよ」

「…ありがとう…」

 皿にどんどん乗せられていく美味しそうな料理に、とりあえず箸をつける。普段も上等な食事をいただいてはいるが、あくまでも女官のものであり豪勢という訳ではないので、なんだか久しぶりの感覚である。

 そろりと周りを見渡すと、広い部屋に長机と、それを囲む数人の使用人。

「あれ私拉致されたんじゃなかった?」

「あ?何言ってんだ招待だろ招待」

「……」

 あんな乱暴な招待の作法があるなんて知らなかったけど。

 胡乱な目で子豪を見ると、その鷹のような瞳と視線が合う。

「化粧落とすと、いつものお前って感じだなァ」

「…まぁ、あれはある意味武装だから」

「武装!ナルホドな」

 変装とは言えないのでそう言うと、何に納得したのか子豪はニヤニヤ笑いながら鶏肉にかぶりついた。

 確かに香月は有無を言わさず拉致されたのだが、子豪は悪気のない様子で何処吹く風である。

 そうだ、こういう男だった。

 いつだって自分の選択が最上だと思っていて、誰からの反論も受け付けない。いつしか周りの人は子豪を恐れ、なるべく深く関わらないように距離を取っていくのだ。

「……本当、変わらないのね」

「あ?」

「なんでもないわ」

 子豪は香月に対してもそんな態度で、気に食わなければ力で押さえつけるし、機嫌が良い時は振り回す。三年前もそれで――いや、今はその話は忘れよう。

「ねぇ、私を拉致した理由話してくれないんだったら、とりあえず早く後宮に戻してくれない?」

 香月は箸をそっと置き、子豪へと向き直った。

「――せっかちだな」

「当たり前でしょ、私一応後宮女官なの。仕事だってあるし、行方知れずで心配もされてるはずよ」

「…んまぁそうだろうなァ」

 鶏肉を皿に置いて盃の果実水を豪快に飲み干すと、子豪は香月の目を真っ直ぐ見据えた。

「皇太子の手解き役ってェのは、どんくらい影響力がある?」

「…どういう事?」

「……」

 その鷹の目を珍しく少しだけ伏せると、ぽつりと呟いた。

「皇太子殿下を引き込みたい」

 その様子が香月の知る子豪とは似ても似つかなくて、思わず目を見張る。あの自分勝手で自信満々な子豪が……何かを躊躇っている?

「何がしたいの?」

「……今は言えねェ」

「じゃあ私に出来ることは何も無いわ」

「……」

 どうしたのだろう、こんなに歯切れの悪い子豪は今まで見たことがない。

「ねぇ何なの? 何かとんでもないことやろうとしてたりしないわよね?」

「とんでもないことって何だよ」

「……殿下を……暗殺、とか」

「はァ!?ンなわけねェだろ!」

 本気で驚いたような子豪の反応を見て、香月はひっそりと胸を撫で下ろした。嘘をついているようには見えないから、きっと俊熙たちと追っている『反太耀殿下派』の動きとは違うもののように思えた。

 つまり、桔梗印の外出許可で出ていったあの宮女とは、関係がない。――という可能性の方が高い、としか言えないけれど。

「…じゃあ…秀英さんが何か企んでるの?」

「兄貴は関係ねェよ」

 秀英の名前を出した瞬間、子豪の眉がぴくりと動いた。何かあるのだろうが、きっと何一つ教えてはくれないのだろう。先程香月が想像した『国単位の何か』――でないことを願いたい。

「太耀殿下を引き入れる為に、私を利用したいの?」

「…ンまぁ、そうだな……噂の女が、まさかお前だとは思ってなかったけどよ」

 離れで再会した時の子豪と豪宇の様子を思い出して、確かに知らずに拉致した風だったと納得する。

「お前と分かってたらもっと違う方法にしたんだがなァ……ただ、使えるモンがあるなら使いてェってこった」

 机上を見つめる子豪の顔が、見たことのない真剣なものになっていて思わずドキリとする。まるで知らない人のようだ。

「…例えば私があなたたちに協力したとして、それって私に得があることなの?」

 あるわけないと分かっていながら聞く。

 案の定子豪からの返事は無かった。

 ふぅ。

 香月はひとつため息をつくと椅子の背もたれに身体を預けた。

「私、後宮でやらなきゃいけないことがあるの。だから早く帰りたい」

「……」

「ただ、そっちを最優先にしても良くて、危険がなくて、悪事に手を染めることがないなら…」

 我ながら甘いなと思う。だが、色々あって縁を切ったとは言え、長い付き合いの一族なのだ。僅かだが、情は残っている。

「少しだけ、手伝うことも出来なくはないわ」

「……マジかよ」

 まるで鳩が豆鉄砲食らったような顔だ。

 いや、その気持ちはわかる。自分でもマジかよと思っている。

 何だかんだ頼られると断れない性格は、いつまで経っても治らない。

「お前も変わんねェな」

「何よ文句あるの?」

「……ねェよ」

 呆れたように笑った子豪に、こんな顔も出来たのかと少し驚く。

「…なら、頼む。どうにかして第二皇子と繋がりたい」

「理由は言えないのよね?」

「…まだ、な」

「ハイハイ。で、何をすればいいの?」

 香月がそう尋ねると話は早いとばかりに子豪は立ち上がった。

「とりあえず例の手解き役に変装してくれ」

「変装じゃないわ武装よ」

「どっちも一緒だろンなもん、とにかく早く化粧しろ。うちのモンに準備させっから」

 そう言うと目配せで合図があったのか、侍女が二人香月に近づいて来て、あれよあれよという間に近くの部屋へと連れて行かれた。

 そこには高級そうな化粧品が並べられている。全身が隅々まで確認できる三面鏡もあり、化粧台も整っている。

「…すごい…男所帯なのになんでこんな設備が…」

 姜兄弟の母親は香月が幼い頃に亡くなっていたため、姜家は完全なる男所帯のはずだ。

「あの、この化粧品って…」

 思わず侍女たちに尋ねると、まさかの答えが返ってきて香月の頬がぴしりと固まる。

「若奥様が使ってらっしゃらない、余りのものでございます」

「どうぞお気になさらずお使いください、どうせ捨ててしまうものですから」

 ――若奥様。

「えっ…と、その、若奥様というのは…」

「秀英様の奥様、明明(メイメイ)様です」

 あー、やっぱり。

 なるほど、二年前に婚約解消してから、すぐに新しい奥様をお迎えになったのね。

 別に未練があるわけでもないが、なんだか複雑な気分である。こんな風に心に波風なんて立てたくなかったのに、なぜか最近は荒ぶってばかりだ。

 …まあどうせ捨ててしまうらしいし、好きなだけ高級化粧品を使わせていただこう。

 香月は気持ちを切り替えて、存分に『紫丁香』の武装を施す。着ていた衣装は少しよれてしまったのだが、新しいものを着ても良いと言われ、ええいままよと、吹っ切って楽しく選ばせてもらった。

 結果、初めて『紫丁香』になった時よりも幾分豪奢な手解き役になってしまった気がする。

「おお、流石の腕前だな」

 子豪の執務室に連れて行かれると、素直にそう褒められて複雑な気分になる。

『…それは…化粧映えする素朴な顔だったということなのでは』

『まぁそうとも言うかな!』

 あの夜の俊熙と太耀の会話が思い出されて、「んああ」と変な声が漏れた。

「何だよ妙な声出して」

「いや何でもないわ気にしないで」

 事あるごとに俊熙の顔や言葉を思い出している自分に気づき、自覚してしまった気持ちがふつふつと胸に湧いてくる。困った。こんなはずじゃなかった。

 香月は首を振って子豪に向き直る。…と、それ程気にした風もなく言葉を続けてきた。

「いいか、とにかくお前はどんな手を使ってでも、第二皇子を首ったけにしろ」

「は、はいい?」

「何だよ、そのつもりで手解き役になったんじゃねェのかよ?」

 違う、誤解だ!なりたくてなった訳ではないしなんなら本物の手解き役でもない!

 …と、叫んで否定したいがそれも出来ず、ぐぬぬと下唇を噛み締めるしか出来なくてもどかしい。

「いや、もうどういうつもりかなんてどうでもいいから、お前の甘えた声ひとつで言う事聞かせられるくらいまで…落とせ」

 子豪の言葉に、そうなった太耀を想像してみたけれど…無理だった。そんな姿は有り得なさすぎて思い描くことも出来ない。

「…ねぇ、それって、普通に殿下にお願いするのじゃ無理なの?」

 香月の知る第二皇子は、肚に隠し持った底知れぬ思慮深さはあるが、基本的には社交的で人当たりも良いし、相手の話を良く聞いて正しく判断しようとする人だ。

 そんな色仕掛けで落とさずとも、一旦は耳を傾けてくれそうなものだが。

「……理由はまだ話せる段階じゃねェし、そんな簡単な話でもねェ」

「ねぇ、まだ話せないってそればっかりだけど、じゃあいつになったら話せるのよ」

「目処は立ってねェ、だから第二皇子の力が必要なンだよ」

 どうやらここで何を聞こうと、話は堂々巡りになるらしい。

 香月は諦めて一旦受け入れることにした。でないと話が進まない。

「あーわかったわ、とりあえず善処する。で、目標時期は?」

「天長節」

「天長節!?」

 思わず声がひっくり返る。最近後宮もその準備が始まり慌ただしくなっていたが、そのはず、天長節はもう十日後なのである。

「なんでそんな無茶な…」

「天長節の儀で宮廷の出入りが増えるからな、色々都合がいンだよ…つうか!お前だとわかってりゃもっと違う策立てたっつの」

「…ちなみに聞くけど、もともとどんな予定だったの?」

「……まぁ……荒事かな」

「はァ!?ま、まさか…人質、とか…っ」

「……」

 大いに呆れて、香月も二の句が告げない。

「思った以上に手解き役が気に入られてるってんでよ、これは使えそうだと思って連れてきちまったらしい」

 その言いようから、どうやらこの拉致を直接指示したのは子豪ではなさそうだ。

「まぁとにかく、何でもいいから第二皇子を引き込んでくれ!」

「……確証はないわよ、そんなの」

「少しでも絆されてくれりゃそれでもいい」

 色仕掛け…などはおそらく通用しないだろうから、子豪の期待からは外れてしまうが正攻法で相談する方がいい気がする。

「つまり、殿下とそこそこ対等に話が出来ればいいのね?」

「そりゃ充分だな」

 ならば何とかなりそうな気もする。


 今後の連絡方法を擦り合わせてから、馬車で後宮まで連れて行くというので屋敷の前で待っていると、馬車を連れてやって来たのは豪宇だった。

「浩…じゃない豪宇、さん?」

「……」

 またもうっかり言い間違えてしまい、豪宇の眉間に皺が寄る。

「……姜さんが、親戚の危篤ってことにしろってよ」

「あ…なるほど」

 不機嫌そうに言った言葉に、子豪の意図が伝わってきて香月は頷いた。

 何も言わず姿を消した理由を誤魔化すため、運良く居た従兄を利用しろということだ。

「お前がどうやって『紫丁香』って名乗ってるか分かんねぇけど、どうせ詳しく調べられたら俺とか姜さんとの繋がりもバレんだろ? そんなら事荒立てねぇほうが無難だよな」

 元々人質として脅迫まがいのことをする予定だった所を、急遽計画変更した訳である。これで豪宇がいなければどう言い繕うつもりだったのやら、だ。

「ほら、早く乗れ」

 顎で馬車を示され、香月はひらひらする裾を持ち上げながら乗り込む。馬車の中は上等な絹が張られていて、綿のたっぷり詰まった椅子は座り心地も抜群である。

「後宮の正門でいいのか?」

「え、あ、うん」

 まるでどこかの令嬢のように、きちんと後宮門まで送ってくれるらしい。

「あれ私拉致されたのよね?」

 香月は思わず独りごちた。

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