いや無理です他をあたってください


 知っている、そういう役目が必要であるということは。お噂はかねがね、というかんじで。

「ちょっ…と、何言ってるかわからないですね」

 香月は頬をヒクつかせながら掴まれた右手をするりと剥がす。

 そういう役回りが自分に来るとは青天の霹靂過ぎて、『嫌です』感が露骨に出てしまっていることに気づいてはいるが繕えない。

「呉香月、歳はいくつだ」

 断っているのにも関わらず、俊熙は気にした風もなく話を進めてくる。

「…二十、ですが」

「ふむ、ちなみに同衾…」

「ちょーーっと声が大きいですね!!!!!!」

 自分の方がよっぽど大きな声を出しているが、不本意な台詞をかき消せるならマシである。辺りを見回すが人の気配はない、誰にも聞かれてはいないだろう。

 香月は声のトーンを落とし、俊熙に向かい合うと抗議を始める。

「どうして私なんですか?皇太子さまの初めてのお相手なら、もっとこう、相応しそうな方々がいらっしゃるでしょう?」

 そう、例えば昼の時間によく流行りの化粧品の話をしている華やかな一団とか。自分で言うのも何だが、何もこんな、髪も適当に縛っただけのすっぴん地味女官でなくても。

 静かなる抗議に、俊熙は顎に手を宛て、香月を上から下まで眺め下ろした。見定められているようで不愉快な気持ちになるが、しかしこれで「確かにこいつでなくて良い」となるならば我慢できる。

 しばらく考えて、俊熙は顎に宛てていた右手を香月の前に翳すと、人差し指と中指をずいと立てた。

「理由は二つある」

 あれ、なぜか説得される感じになっていないか?

「まず一つ目」

 俊熙の指は人差し指だけが立てられる。

「太耀様にさして興味が無さそうなこと」

 続けて中指も立てられる。

「二つ目、化粧師であること」

 そしてその右手はすっと下ろされ、腕組みの中に仕舞われていった。それを理解の進まない頭のまま目で追いかける。

「以上から、適任だと思われる」

 どうだ、と言わんばかりの顔で仁王立ちしているが、香月の方はサッパリ意味不明である。

「…いや、全然納得いっておりませんが」

 なぜ今の理由で説得できると思ったのか。頭のいい人の考えることはわからない。

「いちいち全部説明しないとわからないのか?」

 そして延々と上から目線で物を申されるのもいい加減腹が立って仕方がない。

 香月は額に青筋を立てながらも、明らかに身分が上の目の前の宦官に丁寧に答える。

「ええ、本当にサッパリですので、他をあたってください」

 もう話は終わりだとばかりに深々と一礼し、香月はくるりと踵を返す。というか、仕える主が恋焦がれている人と…だなんて、どう考えたって受け入れられるものではない。その辺り、女の世界は怖いのだ。後宮を見ている宦官なら分かりそうなものなのに。

 数歩進むが後ろから引き止める声はない。

 諦めてくれたか、とホッとしたところで――ガン、と何かがぶつかる様な音がした。と思ったら目の前に紺色の何かが二本、行く手を阻んでいて、速度を殺せない香月は鼻と膝をそれぞれそれにぶつけてしまう。

「ぁだっ」

 情けない声を出してしまうが、そのぶつかったものがほんのりと温かみをもっていることに気づき、そして数瞬遅れてそれが人の手足だと言うことにも思い至った。

「下手に出ていればいい気になって」

 斜め上から怒りを隠さない声が降ってきて。

 そろり、目線だけでその主を見上げる。

「殿下の何が不満なんだ」

 そこにはたいそうご立腹の、皇太子の右腕の顔があった。

 ガン、という音は、彼の足が壁を蹴りつけた音か。香月が膝をぶつけたそれが、彼の左足なのだろう。

 左に俊熙、右に壁、前は手足で塞がれている。となれば逃げ道は後ろしかない。

 と思ってじわっと後ずさったが、それを有望なこの官吏が許すはずもなく、後頭部が彼の右腕にぶつかるのを感じて万事休す。

 香月は静かに両手を顔の両側まで挙げて降参の体勢をとった。

「ハイ、すみません。もう少し私にもわかるようにお話いただけマスデショウカ」

 両腕に挟まれた状態のまま、半笑いでそう告げる。

「はじめからそうしていればいいんだ」

 不遜な声音と共に左上から溜息が降ってきて、絶対この人とは相容れないなと香月は悟った。


 その場で赤裸々な話をしそうになった俊熙を引っ張り、その辺りの空き部屋へと押し込んだ。

「あの、宦官なんですから後宮のことはよくご存知でしょう!?」

「え?ああ…」

「あんな往来で皇太子さまの…っその、そんな話してたら、大変なことになっちゃいますよ!」

 ただでさえ後宮は弱肉強食の世界である。同じ桔梗殿の同僚であっても、少しでも抜きん出る隙があるならば食らいつく、それが大半の宮女の本能だ。中には家から物凄い重圧を背負って宮入りしてくる者もいて、ここではみんな華やかで幸せそうに笑っていても腹のうちで何を狙っているかは見せないようにしているのが常である。

 ましてや大人気の太耀の夜の話となれば尚更だ。誰だって、一度でいいからと期待していたりする。

「そちらだって、あんまりおおごとにはしたくないんじゃないですか?」

「……ああ、そうだな」

「まったく、であれば話す場所は気を遣ってくださいよ」

 呆れたように扉の隙間から外を窺う香月の様子を見て、俊熙は一拍置いてくすりと笑った。

「…今笑いました?」

 香月は驚いて振り向くが、そこには変わらない仏頂面の男が居るだけである。この男(いや男…ではないのか?)も笑うのかとびっくりしたのだが、どうやら気のせいだったようだ。

「…で、もう一度ご説明いただけますか?俊熙さま」

 空き部屋には少し古い家具類が置かれてあったので、手頃な椅子を指し座ってもらうよう勧める。

「ああ、わかった」

 素直にその椅子に腰掛けたのを見て、香月も向かいで腰をおろす。

「まず一つ目の『殿下に興味がない』という点だが」

 俊熙はひとつ呼吸をして、香月を真っ直ぐ見据える。

「先程お前が言っていただろう、『大変なことになる』と」

「はぁ」

「手解き役は本来、妃にはしてはいけないという慣例がある。まぁ、理由は色々だが」

「…なんとなく想像はできますね」

 確かに初めてを教えてもらった相手を妃にするのは皇太子の矜恃的なものが傷つきそうな気もするし、何より皇太子以前に関係を持った男がいる女を国母に、というのは難しい話だろう。

「その辺りあさましい女だと、やれ身篭っただの妃にしろだの、後々が面倒になる可能性がある」

 あけすけな物言いに香月は言葉が出ない。

 確かにそういう懸念があるならば、皇太子に興味のない女に任せるべき案件ではありそうだ。

「なるほど、一つ目は一応、理解だけはしました」

 香月は頷いて、目線で二つ目を促す。こちらの方が意味不明だったので詳しく高説被りたいところである。

「二つ目は…」

 俊熙は少し言い淀む。その眉間には深く皺が刻まれていて、物凄く言い難いことなんだろうなと察する。

「お前は今の継嗣問題をどこまで知っている?」

「え…お世継ぎ、ですか…?」

 この国の皇太子は二人居るのだが、第一継承権は確か弟君の太耀さまだったはずである。それぞれなんとかという派閥に分かれていたとかどうとか聞いたことがあるが、詳しくは興味が無かったのであまり知らない。

「第一皇子がいらっしゃるけれど、継承権は太耀さまである、ということくらいは…」

「それを知っているなら話は早いな。第一皇子は静嬪の子で、太耀様は偉皇后の子。継承権が太耀様にあるのは当たり前ではあるんだが…」

 嬪とは側室の中でも下位の方にあたる役職であり、皇后は勿論正室である。先に生まれたとしても母親の身分で未来が決まってしまう。そんなやるせない世界に、ますます後宮の闇深さを感じて香月は辟易する。

「ただ、それぞれ継承権を主張する派閥があるのが大きな問題でな」

 そうそう、確かそんな話をいつかどこかの女官が話していて聞いたことがあったのだ。

「太耀様のお命が狙われているんだ」

「……へっ」

 待て、なんだか今聞いてはいけないことを聞いてしまった気がするのだが。

「ちょっ、と待ってください、それ一介の女官が聞いたらやばいやつですよね…!?」

「しかし話さなければお前は理解できず、理解できなければ手解き役も断るのだろう?」

「いやそれにしても情報ぺろりしすぎでしょうそれは!?」

 完全に国家機密相当の話を聞かされている。

 これ以上聞いては良くない、絶対に良くない。

「今太耀様は、実行犯を捕らえようと画策されているんだ、その為に…」

「待ってください話をやめて!」

 聞きたくない、聞いてしまったら巻き込まれる、そう警鐘が鳴るからやめろと言っているのに、この男(いや男なのか…?とかはもうどうでもいい!)は無理矢理話を続けてくる。

「お前の化粧師の技術を貸して欲しい」

「いや無理です他をあたってください!!」

 私はとにかく、静かに平凡に、ひっそりと梦瑶さまのお役に立てていれば、それだけで良かったのに。

 

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