Deep blue
moco
第1話 悠人くんとの出逢い
私の頭の中に広がるどこまでも青い空の色。
その青色に包まれて、白い天井が見える病室で目が覚めた時、お父さんとお母さんが泣いていた。
もう二度と目が覚めないかもしれない。
そうお医者さんに言われていたのだと聞いたあの日から二年。
失ってしまった記憶が掠れたテープのように少しずつ戻ってきて、やっと私は日常を取り戻しつつあった。
「行ってらっしゃい。車には気をつけてね」
「うん、分かってる。行ってきます」
今から二年と少し前。駅に向かう途中の交差点で信号無視をしたトラックにはねられた私は、二ヶ月もの間病室のベッドで眠っていた。
このまま目覚めることはないと言われていた私がまたこの世界に戻ってこれたのは、今考えても奇跡でしかないと思う。
ただ、何もかも元通り…というわけにはいかなくて、事故の影響は未だに体に残っている。
目が覚めて暫くは、最後に見た空の色で頭の中が埋め尽くされていたのに、少しずつその色がうすれ始めた頃、すぐに気が付いた体の異変。
お見舞いだと会いに来てくれる"友人"や"同僚"。
泣きながら目が覚めて良かったと手を握ってくれるけれど、その人たちは皆私には全く見覚えのない人たちだった。
私の目に映るものは真新しいもので溢れていて、その後の検査で、事故の後遺症で事故に遭う前の記憶の大半が消えてなくなってしまっていることを知った。
辛うじて分かるのは家族のことだけ。どんな職場で、どんな友達がいたのか…家族以外のことはどれだけ思い出そうとしても思い出すことが出来なくて、私はこの事故でここまで生きてきた過去の自分を失ってしまったのだ。
でも…この事故にあったからこそ手にしたものも沢山ある。
「よぉ」
「…悠人くん!」
「調子どう」
「今日は凄くいいよ。悠人くんは元気だった?」
その一人が私の大切な友人になった、一つ年下の悠人くん。
帽子を目深に被って微笑む彼の姿に、日々の生活で窮屈になっている胸の奥がいつも柔らかくなる。
「俺もぼちぼち」
「凄く久しぶりに会えた気がするんだけど…仕事忙しいの?」
「うんそれなりに。芽衣元気そうでよかった」
「うん、最近は体調がすごくいいよ」
「そうか、良かった」
彼と出逢ったのは、私がまだ入院していた時。数年前に負った怪我の定期検診に来ていた悠人くんと、検査待ちをしていた私は、一度だけ居合わせた待合室でほんの少しだけ言葉を交わした。記憶が戻るといいね、そう笑ってくれた彼の笑顔が胸に残っていて、また会えるのを楽しみにしていたけれど、結局退院するまで彼の姿を病院で見ることはなかった。
でも退院して数週間後、彼と私はこの駅で偶然再会することになる。
通勤する人たちで溢れる駅前。
会社に通えるようになってからも長い間PTSDに悩まされていた私は、家から駅に向かう僅かな時間さえも何度も休まないといけないほど酷い状態だった。それでも、早く日常を取り戻したいと冷や汗を流しながら駅へ向かっていたあの日、すぐ側で聞こえたトラックのクラクションの音に体が反応してその場から立ち上がれなくなってしまった。
忙しい朝の通勤時間帯。しゃがみこむ私の横を沢山の人が通り過ぎる中、震える私の肩を支えて水を差し出してくれたのが悠人くんだった。
大丈夫ですか、の声が優しくて、見上げた時の今日と同じ目深に被る帽子の奥にある優しい目に安心したことを鮮明に覚えている。
症状がおさまってお礼を伝えた後にやっと、病院で一度話したことがある相手だとお互いに気が付いて、心配した悠人くんがその日は会社まで送ってくれた。
お礼がしたいと連絡先を交換してから、時々メッセージで話す友達のような関係になったけれど、多忙な悠人くんに会える機会はあまりなくて彼の元気な姿が見れる時間は実はとても貴重だったりする。
「で、今日はどこへ行きたいの」
「えっと、この間高校の時の友達と話した思い出の場所で…」
「ふーん、何か思い出しそうだったのか」
「うん、写真見たら映像が浮かんできて。この目で見に行ったら、何か思い出すかなって」
「そう。じゃ、行こう」
「…忙しいのに付き合わせてごめんね」
「別に。俺も気分転換になるから」
そう言ってさりげなく車道側を歩いてくれる彼の優しさに何度も救われている。二人で出かけるといつも感じる彼の優しさと気遣い。大きな車が通る時は腕を引いてくれて、気分が優れなくなるとすぐに気付いて休ませてくれる。
事故のトラウマで外出が億劫になっている私にとって、安心して外を歩けるこの時間は何よりも大切なものだった。
「悠人くん今日休みなの?」
「いや、夜はまた仕事に行く」
「本当に忙しいんだね」
「またしばらく仕事を増やしているんだ」
「今度はなんの仕事をするの?」
「…ま、色々だな」
体を気遣うメッセージをくれたり、辛い時に愚痴を聞いてくれたり、悠人くんとの出逢いは私が前を向いて生きていく中で確実に大きなものになっている。けれどよく考えると、私はまだそんなに彼のことを深く知らないのかもしれない。どんなものが好きで、どんなものを見て、どんな人生を歩んできたのか。
「今日は悠人くんの話沢山聞きたいなぁ」
「何?面白い話なんてないけど」
「だっていつも私の話ばかりだし」
「別に好きで聞いてるからいいよ」
「でも、お互いよく知り合わないと親友にはなれないよ」
「そうなのか。じゃぁ俺たちの関係は何?」
「まだ…友達?親友には一歩遠い」
たくさんのことをお互いに知り合えたのなら、私たち本当の友達になれるかな。
「そうか」
私を見つめる悠人くんの目は、どこまでも優しくて、そして、どこか遠かった。
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