水玉心(ミズタマゴコロ)

コオリノ

第1話 水野 玉と申します

紫陽花色の夕空が街に広がり、夜の気配が漂い始める。


街灯には明かりが灯り始め、薄闇を照らす安寧の拠り所となっていく。


窓から見下ろせる街並みから、視線を部屋の中に戻す。


此処は都内タワーマンション最上階の一室。

可愛らしい水玉模様のカーテンに、白をベースとした花柄のベッド。

どこかで見た事がある若い男のポスターに、本棚に並んだ参考書や少女漫の画数々。


年相応の女の子の部屋だと直ぐに分かるこの部屋で、僕は今、とある男と向かい合って座っている。


腰まである長い髪をかき揚げながら、僕は男に視線を向けた。


四十代、スーツ姿の男。

小綺麗で身なりから見てエリート証券マンといった感じだ。


苛立った様子で木製の椅子に腰を掛けている。


「何時になったら始めるつもりだ……?」


「今から始めるつもり……いいじゃん、タワマンなんて普段縁なんて無いしさ、にしてもやっぱり凄い高さだね。人がゴミの様だあとか言って遊んだりすんの?」


「ふざけるのもいい加減にしろ!俺は死んだ娘と話せと聞いてお前に依頼したんだぞ!」


「分かってるって……そうムキになんないでよ、今から始めるからさ」


そう言って僕はポケットからシャボン玉を取り出した。


「しゃ、シャボン玉……?おい、いい加減にしろよ……俺は小娘の遊びに付き合ってるわけじゃ、」


「その小娘に依頼したのはおっさんでしょ、ちょい黙ってて……」


「貴様っ」


今にも椅子から立ち上がり此方に飛び掛ってきそうな勢い。

ちょっとからかい過ぎた。


僕は男を横目に、口に加えたシャボン玉を宙に吹いた。


全身から力が吸い上げられる感覚。

頭の中で水をイメージし、想い人を水でそっと閉じ込め、丸い玉を作る。


それをストローを通してゆっくりと吐き出してゆく。


幼少の頃から、僕には変な力があった。

祖母が言うには、これは水心というそうだ。

なんのわだかまりもない心境は、やがて水鏡となる。

その鏡に映し出したものを形にし具現化する力だと。


何の事だかさっぱりだ。


でもこれだけは確か。


僕はシャボン玉が大好きだ。


そしてそのシャボン玉を吹くと、死者と意志を交わす事ができる。



水銀の様な光を放つ水玉が、粉雪のように宙に舞、落ちてゆく。


目を凝らす。

水玉の一つ一つに浮かび上がる、少女の顔。


依頼主の男が言っていた娘なのだろう。


声は聞こえなかった。

ただ水玉の中で少女は必死に何かを泣き叫んでいる。

必死に何かを訴えている。


やがて脳裏に直接響いてくる少女の声。


「そっか……」


「お、おい……今のなんだ……?今確かにシャボン玉の中に娘の顔が……!?」


どうやら男の目にも、娘の顔が見て取れたらしい。

なら話は早い。


「で、何を聞きたかったんだっけ?」


「あっ……ああ、そ、そうだったな……む、娘は……娘は俺を恨んでないか聞きたいんだ……」


「恨んでないって……お父さんありがとう……だから死なないでってさ……おっさん死ぬつもりだったの?」


「む、娘がそう言ったのか?」


「だから言ったじゃん、話せるって……」


「そ、そうか……恨んでないのか……」


最初は何かに取り憑かれた様な形相だった男の顔が、みるみるうちに和らいでゆく。

年相応の娘を持った父親の顔と言うやつか。


「娘は小さい頃から体が弱くてな……医者に長くはもたないと言われ続けて育ったんだ。生きている間、娘は何度も死にたいと口にしていたが、俺はそれを許さなかった。妻を早くに亡くし、俺には家族と呼べるものは娘だけだったんだ……娘だけが、俺の全てだったんだ……」


「ふうん……結局娘さんは亡くなったってわけね」


「眠るようにな……だから何も聞けずじまいだった。娘は幸せだったのか……俺を恨んでないか……それが聞きたかった」


「良かったじゃん、恨まれてなくて、父親想いの良い子でさ」


「ああ……そうだな……ありがとう……金は後で振り込んでおく」


「うん、宜しく。じゃあね」


僕は肩を落として俯く男にそう言い残すと、立ち上がり部屋を後にした。


エレベーターを使い下に降りると、出口に見慣れた顔の男の姿があった。


私は此方をじっと見つめるその男を無視して出口に向かう。


「こら玉、お父さんを無視するんじゃない!」


「おかしいなあ……僕の父は警察官で今頃忙しく仕事中のはずなんだけどお」


「む、娘が危ない仕事してるんだから気になって仕事どころじゃないんだよ!それにそのいい加減僕って言葉遣いやめなさい!」


「うっさいなあ……僕は僕なの」


「女の子だろ?全くお前って奴は誰に似たんだ……」


「お父さんじゃない事だけは確か」


「た、玉ちゃん!」


情けない悲痛な声で呼ぶ父を他所に、僕はポケットからスマホを取り出した。


ダイヤルを開き、今回の依頼主である男に通話を掛ける。


二三度コールがなった後に、先程の男の声がスマホから聞こえた。


『何だ……?まだ何か用か?お金なら約束通り、さっきネットで振り込んだぞ』


「じゃなくてさ、さっき聞きそびれた事があってさ」


『聞きそびれた……?』


「うん……何で……」


『……?』


「何で殺したの?」


『なっ……!?』


「だから言ったじゃん……話せるって」


『お、お前……それを誰かに』


「言わないよ……言うつもりもない。ただもう一つ、おっさんに謝らなきゃいけないことがあってさ」


『な、なんだ?』


「あれ嘘だから」


『嘘?』


「娘さん、おっさんの事めっちゃ恨んでた。もっと生きたかったのに何で私の事殺したのってさ」


『な、何だと!?おお、俺がどれだけ娘のために尽くしたと思ってるんだ!!なのにあいつは俺にこう言ったんだぞ?私はあんたのお人形じゃない!お母さんの代わりじゃないって!だからカッとなって娘を……で、でもあいつは俺に感謝すべきだ!ずっと面倒見てやって、これからも苦しみ続ける人生から解放してやったんだぞ?感謝して当たり前だろ!だから俺は聞きたかったんだよ……その感謝の言葉を、死んだあいつの口から、俺は間違ってなかったと!』


「救いようがない馬鹿……」


『な、何っ!?』


「病気の娘に手を出した挙句に殺しといてそれだもん……救えないよ本当に」


『誰が救えないって!おい、お前そこを動くな!い!今から……な、何だ?か、身体が……どうなってる、だ、誰かいる……!?う、うわあぁぁぁつ!!なな、何でお前が!?や、やめろ……ち、近付くな!こっちに来る、』


──ツウツウツウツウ


通話はそこで途絶えた。


「だから救えないって言ったじゃん……」


あの時、シャボン玉の中の娘は言った。


早く逃げて、貴女も殺される、と。


そして──私がこの人を殺すから逃げて……と。


「どうした玉……?」


「ううん、何でもない……それよりさ、焼肉食べに行こ。もちろんお父さんの奢りで」


「えっ?あ、いやお、お父さんまだ仕事中だからな、はは、はははは!」


「クソ親父……」


「た、玉ちゃん!?」


こうして、一連の依頼は幕を閉じた。


失くしたものと話す事ができる。

ネットで密かに囁かれる噂。


そんな噂を信じたのなら、一度僕にご一報ください。


僕の名前は水野、水野 玉と申します……。


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