フランス行き片道切符
@magazma
短編
「本当にどこも開いてないな、まだ10時半だぜ」
「分かってて集まったんだ、コンビニで缶ビールでも買っていこう」
二人の若者は坂の途中のコンビニに入ると、それぞれひいきの銘柄の缶ビールを2本ずつ買った。
「さて、どこで飲もう」
「久しぶりにホテル街の方へ行かないか。喘ぎ声を肴に飲むのさ」
「そうしようか。もっとも、聞く喘ぎ声があるか分からないけどね」
「行けば分かる」
そう言いながら男の一人、肌の白い金髪の男は缶ビールを1本袋から取り出し、栓を開けた。二人は互いの間に少しの距離を保ったまま横並びに、黙って大通りから路地へ歩いて行った。そして人通りの少なさに違和感を覚えながら、路端に腰を下ろした。
「本当だ、静かだ」
「言っただろう。喘ぎ声も聞こえなければ、クラブから漏れる音楽も無い」
「東京がこんな風になっちまうとはな。これじゃあパリと変わらない」
「そうなのか」
「言っただろ、パリじゃあ夜に遊ぶところなんかロクにないんだ。一大都市みたいな顔してさ」
もう一人の男、黒髪の正に日本人といった顔立ちの男も、やっと缶ビールを取り出して、開けた。歩いている間に振ってしまっていたようで、たちまちビールが溢れた。男は手が濡れないように缶をアスファルトの上に置いた。
「なあ、俺たちがバーで出会った夜のこと、覚えてるか?」
碧い目の男がきいた。
「覚えてるさ、お前が会う度に思い出させてくれるおかげでな」
「あの夜は最高だった。お前に出会えたし、それにマナミと初めて会ったのもあの夜だった。あの夜みたいな出会いは、しばらく訪れそうにないな」
「しばらく、ね。俺に言わせれば、その考えは楽観的すぎる。もうずっと無いかもしれないぜ」
「寂しいこと言うなよ。きっと俺たちの夜は戻ってくるさ、そうでないと困る。俺はそのために東京に居るようなもんなんだから」
そういって背の高い方の男はビールをゴクリと飲んだ。背の低い方の男も、この間に缶の半分ほどビールを飲みほしていた。
「生活の方は大丈夫なのか」
黒髪の男がきいた。
「つまらない、ってこと以外に問題はない。先月は危うく電気を止められるところだったが、それもなんとかした」
「そうか、なら、仕事もしてるのか」
「まあな。俺なんかは世間がどうなろうとやっていけるさ。それよりキョーコや、シンジみたいな奴らこそ、困ってるんじゃないか。あいつらに日盛りの生活は厳しいだろう」
「どうだろうな」
「なあ、電話してみないか、どうせ他にすることもない」
そういって金髪の男は黒髪の男にスマートフォンを取り出させ、電話をかけさせた。シンジは電話に出なかったが、二人目にかけたキョーコは電話に出た。
「もしもし、タクミ? どうしたのいきなり」
「ああ、今ちょうどフィリップと飲んでてさ、キョーコの話になったんだ」
「え、嬉しい! フィリップも一緒なの?」
「キョーコ! 元気にしてた?」
金髪の男はスマートフォンの前に身を乗り出し、手を振りながら言った。
「え、もしかして道端で飲んでる?」
「そうだよ、他に行くとこなくてさ」
「ウケる! 二人マジで仲良しだよね」
そう言われて、黒髪の男はカメラに見えるように、缶ビールを一口飲んで見せた。
「キョーコはさ、仕事とかどうなってんの?」
黒髪の男がきいた。
「お店はもうずっと休業してる。かといって他に働く先もないし、マジで困ってる。でも田舎に帰るのだけは絶対に嫌なんだよね」
「そうなんだ。でも、その割にはちゃんとメイクしてるね」
「そう。家にいるときでもメイクしないとね。そうじゃないと当分メイクする機会なんてなさそうだし」
「確かにね」
少し間を開けてから、黒髪の男はそう応えた。
「キョーコ、暇なら来ない?」
金髪の男が言った。
「行きたいけど、やめとく。明日用事あるからさ。コバヤシさんと会うの」
「コバヤシさんって、あの?」
「そう。最近はよく会ってる。色々助けてもらってるしね」
「そっか。大変だね、キョーコも」
フィリップは残念そうに言った。
「それよりフィリップ、フランスへ帰らなくていいの?」
「うーん、あんまり帰りたくないんだよね、キョーコと同じだよ」
「そっか、わかるよ」
微笑むキョーコに、フィリップはカメラ越しに笑い返した。
「じゃあ、そろそろ切るね」
キョーコの一言で電話は切られ、二人の男はしばらく黙っていた。通りは、先ほどよりも少しだけ暗く感じられた。
「そういえば、つまみを買わなかったよな」
先ほどまで飲んでいたビールの缶を足で踏みつぶしながら、金髪の男が言った。
「いらないよ。戻るのは面倒だ」
スマートフォンをいじりながら黒髪の男が応えた。それを聞いて金髪の男は、黒髪の男に見えないように親指を少し舐めた。
「なあ、キョーコって前からあんな風だったっけ?」
金髪の男がきいた。
「さあな。最近は会ってなかったし」
「俺の中でキョーコってのは、いつも踊っててさ。それから下ネタを言うとゲラゲラ笑う。キョーコといると自分が一流のコメディアンみたいに思えてくる、そんな奴さ」
「それはいつも二人とも酔ってたからだろ」
「一度キョーコがふざけて俺にキスしてきたんだよ、なんかのゲームをしていたとき、お前も居たよ。俺は一瞬身構えたんだけど、そしたらキョーコがあまりにも酒臭くてさ、思わず笑っちゃったんだよ、覚えてるか?」
「さあ、覚えてないな」
金髪の男は遠くを見ながら去りし夜の思い出に浸っていた。友人に冷たくあしらわれたことは、気にしていないようだった。
「またマナミに会いたいなあ」
金髪の男は遠くを見たままそう言った。それを聞いて黒髪の男は、スマートフォンをポケットにしまった。
「まだそんなことを言ってるのか」
「マナミはいい女だった、夜の街には似合わないような。本当に、マナミがあの日バーに来ていたワケが、今でもわからないよ」
聞いて、黒髪の男は1秒ほど下を向き、そして再び顔を上げた。
「そんなことだから愛想をつかされたんじゃないのか」
二人の男の目が合った。
「どういう意味だ?」
「マナミに何が似合うかは、お前の決めることじゃない。あの日、マナミは彼女なりの理由があってバーに来ていたんだ。もっと言えば、それを理解してくれる男を探してた」
黒髪の男は普段から無表情で、言ったその時も彼はいつもと変わらぬ顔をしていた。しかし金髪の男にとってその眼差しは、いつになく真剣で、何かを訴えているかのように思えた。
静寂の中、金髪の男は今しがた聞いた言葉を一度考えて、しかしそれに対して真面目に言い返すことが、自分にとって良い議論を生まないことを悟った。
「なあ、マナミにも電話してみないか」
金髪の男は笑って言った。
「俺はマナミの連絡先は知らないぞ」
黒髪の男がそう言うので、なら俺がかける、と申し出ようかと思ったが、金髪の男は自分のスマートフォンに電波が通っていないことを思い出した。
「なあ、世の中がこんなことになってるのに、お前は本当にフランスに戻らなくていいのか」
「なんだよいきなり。向こうじゃあ誰も俺のことなんか気にしてないし、俺も家族のことなんか気にならない。帰るだけ無駄だ」
冗談交じりに言ったつもりでいて、自分が全く笑えていないことに気づくと、金髪の男は慌てて2缶目のビールを開けて、飲んだ。
「そうか」
黒髪の男は2缶目に手を付ける様子は全くなく、ポケットから煙草を1本取り出して、ライターで炙るように火をつけた。
「お前こそ、どうなんだ。今日は自分のことを全く話していないじゃないか」
そう言われて、黒髪の男は煙を一息吐いた。
「今日はお前に言いたいことがあったんだ。自分のことでさ」
「そう言ってたな」
金髪の男は、夕方に送られてきたメッセージを思い出しながら言った。
「就職することになった。知人の紹介でな」
「よかったじゃないか」
「だから、お前とこうして会うことも、もうなくなる」
頭を掻きながら、黒髪の男が言った。金髪の男は内心少し驚きながら、しかし同時に二人の関係が無くなることには、違和感を覚えなかった。
「そうか、真剣なんだな」
眉を少し上げて、言った。聞いて、黒髪の男は煙草を大きく吸って、吐いた。
「ああ、結婚も考えている。そのための就職だ」
「本当か? 驚いた、どういう風の吹き回しだ?」
今度は明らかに、黒髪の男は普段よりも神妙な表情になっていた。金髪の男は、手に持ったビールのことを忘れていた。
「これからのことを考えて、最善の道に思えた、それだけさ」
そう言うと、黒髪の男は再び大きく煙草を吸い、そして咳き込んだ。
「俺がお前に言いたいことは、お前が心地よく感じていた居場所はもう無い、ということだ。俺も含めてな」
「おい、俺は別にお前が恋しくて東京に留まるわけじゃないんだぜ。俺は俺の居場所くらい自分で作れるさ。心配される筋合いはないよ」
言い返しながら、金髪の男は、叱られた少年のような心持ちになって、またそんな自分に気づいて恥ずかしくなった。
「それで、結婚相手っていうのは誰なんだ」
金髪の男はきいた。
「マナミだよ」
黒髪の男は遠くを見ながら答えた。
「お前、さっき連絡先は知らないと言ったじゃないか」
「それが嘘だったと言ってるんだ」
二人はしばらく沈黙した。
「話はそれだけだ。俺は終電を逃さないうちに帰るよ」
そう言うと黒髪の男は、端まで吸った煙草を地面にこすりつけて、立ち上がり、一人歩き始めた。
「じゃあな」
独り置き去りにされた金髪の男は、しばらく夜空を眺めた後で、思い出したかのようにビールを飲み干した。金髪の男は時計に目をやると、もう終電に間に合わないことを確信した。
男は鞄から一通の手紙を取り出し、それを力任せに破り捨てた。それは昨晩書いた、母親に宛てたものだった。「近いうちにパリに帰る」と、そう綴った手紙だった。
フランス行き片道切符 @magazma
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