実地試験I

@magazma

短編

 ポッドの扉が開くと同時に、コンはゆっくりと目を開いた。まだ体は動かず、ポッドを浸す液体のひんやりとした感触が全身を覆っている。しばらくすると、白い防護服を着た技術者がポッドへやってきた。技術者はポッド内に身を乗り入れると、淡々とコンの頭に貼られた吸盤を外していった。

 技術者が去ると、今度は白衣を着た男がポッドの前に現れた。

 「コンさん、本日の演算業務は終了しました。ポッドから出ていただいて構いません」

 そう言われて、コンはゆっくりと体をポッドから起こした。白衣の男にタオルを渡され、全身から液体をふき取ろうとすると、タオルの当たった皮膚の箇所がピリピリと痺れるのを感じた。

 「こちらが本日分のMC剤です。直ちに経口摂取してください」

 そう言って白衣の男はコンに一つの錠剤を手渡した。コンはその錠剤を掌に乗せて、まるで初めてそれを見たかのように精査した。中央に一つの円が描かれているその錠剤は、コンには目玉のように思われた。実際、コンは毎日飲んでいるこの錠剤のことを全く覚えていないのである。

 コンは得体のしれない錠剤を飲んでいいものかしばらく悩んだが、白衣の男が促すので、やがて錠剤を飲んだ。するとすぐに、鋭い頭痛に襲われた。眼球の奥から脳に無数の鋭い針が伸びているような感覚に、コンはよろめいた。しかしその痛みは数秒もしないうちにきっぱりと止んだ。あれだけ痛かったのに、その余韻どころか、コンは今しがた自分を襲った痛みそのものをすっかり忘れていた。

 「コンさん、調子はいかがですか。私はシバ、あなたの上司でありこの施設の研究員です。思い出せますか」

 そういわれて、コンは白衣の男の左胸に目をやり、名札にシバと書かれていることを認めた。ほどなくして、シバが自分の上司であることを、今朝の記憶から思い出した。

 「コンさんは、明日から休暇を申請されていますね。休暇に入られるにあたって、記憶領域の最終検査を行います。ついてきてください」

 コンはシバに連れられて、施設の一角にある小部屋に入っていった。その部屋はガラスによって二つに区切られており、奥の方の区画には、コンピューターらしき大きな鉄の箱に繋がれた、仰々しい椅子が一つ置かれていた。

 「では、こちらの誓約書にサインしてください」

 コンはシバから、一枚の紙とペンを渡された。その紙にはこう書かれていた。

 「誓約書・本書に署名することで、あなたは脳記憶領域スキャンの実施に自主的に同意したものとみなします。脳記憶領域スキャンは、演算業務従事者が休暇を取るにあたって、当局の研究内容を外部に漏らす恐れがないかを確認するために行うテストです。本テストは脳波デコードによりあなたの記憶領域を電子データ化、及びそのデータをAIにより解析するものです。当局が望む限り、あなたの如何なる記憶をも当局に開示すること、また本テストによりあなたの脳に異変が発生した際、当局は一切の責任を負わないことに同意し、本書に署名してください。」

 コンは誓約書を読もうとしたが、中々文章が頭に入ってこなかった。疲弊しきった脳は、鈍い頭痛と共に重く肩にのしかかっていた。コンは面倒になって、何も読まずに署名をした。

 シバが署名を確認すると、コンはガラスの奥の椅子へ座らされ、そして頭に黒いドーム状の機械が取り付けられた。シバはガラスの外へ出て、スイッチを押した。


 寮へ帰る自動運転バスに揺られながら、コンは車内を照らす淡い蛍光灯の光を眺めていた。はっきりとした記憶はないが、どうやらテストの結果に問題は無かったようだ。

 施設から寮まではバスで片道十分かかる。それより早く着くことも、遅く着くこともない。バスには窓がないため、コンには施設と寮の位置関係すら分からない。もしかしたら本当は二分で着く距離にあって、残りの八分はバスがいたずらにその車体を揺すっているだけの時間なのかもしれない……そんな風に思って、コンは少しだけ笑った。

 明日からの休暇は、コンが今の仕事を始めて一年半が経ち、ようやく許可された最初の休暇だった。コンは翌朝のバスで真っ先に実家へ向かうと決めていた。

 社バスが寮につくと、コンは自分の部屋へ入った。ベッドに腰掛けると、傍らに置かれたテラリウムに目をやった。十五センチほどの大きなガラス瓶の中に、苔むした実家の庭の土と、数百匹のアリが棲んでいる。コンは今すぐにでも寝てしまいたいほど疲弊していたが、重い腰を上げ、戸棚からクラッカーを取り出すと、砕いてそれを瓶の中へ入れた。瓶の口に目をつけて中を覗くと、たちまちクラッカーに群がるアリたちが見えた。コンは満足して眠りについた。


 翌朝、コンは七時半に目覚めた。会社が管理する目覚ましアラームはならなかったが、それでも自然といつも通りの時間に目が覚めた。コンは体を起こしてベッドの端に腰掛けると、自分の体を見まわした。色白で細い惨めな体の、今日は右の手首当たりに、新しいアザができていた。心臓の脈打つ音に耳を澄ませると、ドクドクと、激しい運動の後のような脈拍を感じた。

 コンはいつも通り、自分が寝ている間に見ていただろう夢を思い出そうとした。今日もまた、自分は今まで何か壮大な物語の渦中にいたのではないか、という気がしていた。いや、そうでなければ寝ている間に、アザができるほど激しく体を動かしたりはしないのだ。

 しかし夢というのは不思議なもので、コンは具体的なことは何一つ思い出せないでいた。コンは毎朝つけている夢日記を開くと、薄っすらとした記憶から、爆発、黒い球、裸足、という三つの語を思い出し、記した。

 八時十分発のバスに乗って、コンは街へ出た。街へ出るのは先月の社員レクリエーション会以来で、街の外へ出るのは実に一年半ぶりだ。コンは久しぶりに得た解放感に嬉しくなって、微笑みを抑えられないでいた。

 街につくと、コンは酒屋へ行って両親のために一本の高級なワインを買った。ワインなど買ったことは無かったが、貯まっていた給料を一度に使うのはとても心地が良かった。両親はこのワインを見て、そして働き始めた俺を見て、何というのだろうか。きっと褒めてくれるに違いない、そう考えていた。

 コンは今年で二十六になるが、今の仕事がコンにとって初めての仕事だった。それまでのコンといえば、大学も卒業できず、優秀な兄と比べられては出来損ないと呼ばれる日々を送っていた。そんな中で出会ったのが今の仕事だ。コンはまさか自分が中央アトムズ社に勤められる日が来るとは思ってもいなかった。兄に対する劣等感に悩み続けてきた人生だったが、今ならコンは胸を張って「私は中央アトムズ社の社員です」と言えるのだ。そのためには過酷な労働にも耐えられるし、多少不自由な生活を強いられても気にならなかった。


 電車に揺られること二時間、実家の最寄りの駅に到着すると、兄が出迎えてくれた。顔立ちの似ている兄とコンだが、兄の方がよっぽど健康的な体つきをしている。

 「久々だなコン、元気にしてたか? 」

 「うん、ありがとう兄さん。わざわざ迎えまで」

 二人は兄の車に乗って家へ向かった。

 「コン、仕事の方は順調か? 」

 「うん、とてもうまくいっているよ」

 「それはよかった。兄さんはな、お前のことが誇らしいぞ、一人前の大人になって。顔つきも少し変わってきたな」

 兄はハンドルを握ったまま、笑顔でコンにそう語り掛けた。兄はできた人間で、一度もコンを馬鹿にしたことがなかった。しかしその人の良さもまた、コンの劣等感に拍車をかける一因だった。

 「そうだコン、一つ言っておくことがあるんだった」

 「何? 兄さん」

 「今日は俺の彼女も来ているんだ。近々家族になるかもしれないから、是非仲良くしてやってくれ」

 「そうなんだ。それは楽しみだ」

 兄の彼女であれば、さぞかし綺麗な女性なのだろう、とコンは思った。


 二人の実家は、郊外に佇む質素な一軒家だった。玄関を入ると、母親がコンを出迎えた。

 「お帰りなさい、コン。ひさしぶりね」

 「ひさしぶり、母さん」

 コンは母の顔に笑みを認めると、それがとても嬉しかった。

 「コン、疲れてるんじゃない?母さん、顔を見ればわかる」

 「ちょっとね。それより、お腹がすいたよ」

 「じゃあ、ご飯にしましょう。居間で待っていて」

 そう言われて、コンは居間へ向かった。白タイルの床が敷かれた居間は昼でも陽当たりが悪く、天井の明かりが青白く部屋を照らしている。

 食卓に目をやると、父と、そして異国風の美しい女性が座っていた。

 「おお、コン。帰ったか」

 父がコンにそう言うと、「うん、父さん」とコンは返した。しかしそれよりも、コンは女性の方が気になっていた。彼女は華奢な肩の上に鼻筋の通った整った顔を乗せ、座っていてもコンより身長が高いのがわかるほど、すらりと長い脚をしている。

 「紹介しなくちゃな、コン」

 兄がコンの背後から女の後ろへ周り、肩を抱いて言った。

 「彼女がメサ。俺の彼女だ」

 紹介を受けて、メサは軽くおじぎをし、そして顔を上げると同時にコンと目を合わせ、微笑んでみせた。不気味なまでに妖艶なその笑みに、コンは動揺した。

 「コンさん、ですよね? よろしく」

 「はい、よろしく……」

 コンは目をそらしながら言った。しばらくして、居間に料理が運ばれてきた。


 昼に始まった家族の会食は夜まで続き、コンは満腹になるまで母の料理を食べた。夜の十時ごろになると酒もまわり、家族はそれぞれの寝室へ散っていった。

コンの部屋は、窓際に並ぶテラリウムこそなかったが、それ以外はコンが家を出た一年半前の様子そのままだった。ベッドや勉強机、そして日に焼けた映画のポスターもそのままだ。大きな目玉が描かれたそのポスターは、コンが中学生の時に流行したSF映画のポスターだった。

 コンは慣れ親しんだ自分のベッドの上で、激務の後のそれとは違う自然な眠気を、心地よく感じていた。父も母もコンが帰ってきたことを喜んでくれ、そして皆で飲んだワインの味は格別だった。コンは自分もやっと親孝行ができたと、感慨深い気持ちになっていた。

 一つ気掛かりなのがメサだった。コンには、メサが自分に興味を抱いているとしか思えなかった。食事中はやたら視線を感じたし、しつこく仕事のことを尋ねてきた。コンは家族に具体的な仕事内容を隠しているため、なんとか誤魔化さなければならなかった。しかしそれも自分の思い込みだろう、とコンは思うことにした。これ以上メサに惹かれてはならない、彼女は兄の妻になる人なのだ、と。


 「まさか、何も残っていないの……? 」

 それは深夜一時ごろだった。頭蓋に響くパチパチという音にコン目を覚ますと、枕元にメサが座っていた。

 「メサ……さん? 」

 夢心地でコンが言うと、それを聞いたメサは驚いたようで、口を手で押さえるような仕草をした。

 「起こしちゃった? ごめんなさい。そんなつもりはなかったの」

 メサは小声で言った。

 「何をしているんですか? こんなところ兄に見られたら! 」

 メサのことを考えながら眠りについただけに、コンは混乱していた。メサが自室にいるだけで、何かとてつもなく悪いことをしているような気分だった。

 「いえ、何でもないの。気にしないで」

 「なんでもないって……もしかして、探し物ですか? 言ってくれれば、僕が探しますよ」

 言いながら、コンは寝起きの頭を掻こうとした。すると、

 「ダメ! 」

 メサが咄嗟に叫ぶ。しかしコンは既に、自らの頭に触れていた。そして、頭に貼り付けられたいくつかのパッチの存在と、それらがコードを介してメサの手中にある端末と繋がっていることに気が付いた。

 コンは夢から覚めた心地だった。今しがたまで抱いていた不純な妄想が、一挙に打ち砕かれたからだ。

 「ちょっとこれ、あなたが貼ったんですか? 」

 コンは言った。

 「気づかれてしまったようね。」メサはため息交じりに言った「いい? あなたも私も面倒は御免でしょう。ワケを話すから、外までついてきて」


 コンは訳も分からないままメサに付いて外へ行き、二人はとある公園に着いた。

 「何も収穫が無かったうえに、あなたに気づかれるヘマまでするなんて」メサはブランコに腰を下ろして言った。「さて、何から話そうかしら」

ブランコの前に立つコンは身震いをした。寝巻では少し肌寒い。「あなたのお勤め先、どこだったかしら? 」

 メサは震えるコンに突き刺すような目線をやった。先ほどの妖艶な顔立ちとは変わって、都会の闇を幾年も生き抜いた黒猫のような、凛々しい表情になっていた。

 「中央アトムズ社、ですけど」

 「はあ」メサはため息をつき、そして続けた「中央アトムズ社といえばこの国の一大企業よ。世界中のあらゆる化学製品の半分はアトムズ社製のものといっても、過言ではないくらいのね」

 「へえ、そうなんですか……」

 コンは呟いた。

 「あなた、自分の会社のことくらい知っていないとダメでしょう。もしかして、第九ディヴィジョンのことも全く知らないのかしら」

 「何も知らないということはないですよ。第九ディヴィジョンは自分の所属ですから」

 コンはメサの声色から怒りを感じて、慌ててこたえた。

 「そうよね。じゃあ、説明していただける? 」

 「いいですよ。第九ディヴィジョンは、中央アトムズ社の中でも最も先進的な研究を行っている部署です。人類の進歩のため、日々様々な実験や演算を……」

 「その実験や演算の具体的な内容は? 」

 メサが遮るように言った。

 「それは……」

 軽蔑するようなメサの視線に晒されて、コンは委縮した。両親に白い目で見られていた、あの頃が思い出されるようだった。

 「もういい。あなたが何も知らないことはさっきのスキャンで分かっている。だから私から教えてあげる」

 そう言って、メサはブランコから立ち上がった。

 「第九ディヴィジョンは三年前にアトムズ社が巨額の予算を投じて創設した部署。創設当時は大勢の資産家がこの部署の動向に注目したけれど、その実態はまるで公にされていない、謎の部署よ」

 「そしてもっと不可解なのが、」メサは続けた「第九ディヴィジョンの主要取引先が二幸建設という小さな会社のみという点。二幸建設は実態のないペーパーカンパニーで、軍が出資してできた会社だということがわかってきている」

 謎の部署、ペーパーカンパニー、軍……コンは頭の中で反芻した。

 「その前に」コンが思い出したように言った「スキャンって何ですか? 」

 「あなたの寝室で」メサがこたえた「あなたの頭にパッチを貼っていたでしょ?あなたの脳を覗かせてもらったの」

 「何のためにですか……?」

 コンは頭をさすりながらきいた。

 「今までの話を聞いて、私が何らかのスパイであるとか、そういうこと想像つかない? 」

 ため息交じりに言うメサに、コンは呆気にとられてしまった。

 「メサさん、あなたは兄の彼女では……? 」

 「いいえ。あなたに接触するためにあなたのお兄さんを利用させてもらっただけ」

 コンは返す言葉を失い、二人に沈黙が訪れた。自分が畏怖するあの兄が、自分のせいで誰かに利用されたのだ。空を見上げると、ゆっくりと流れる灰色の雲に、月が覆われていくのが見えた。


 「さあ、今度はあなたが話す番よ」メサはポケットからメモ帳を取り出して言った 「まずあなたの仕事内容について聞かせて」

 「仕事内容ですか……」

 コンは戸惑った。今度は適当な誤魔化しで逃げられるようにも思えない。

 「あなた、食事の時に私やあなたのお母さんがいくら聞いても、何一つ具体的なことは言わなかったわよね。一体なぜ? 」

 「なぜといわれても、実はあまり覚えていないんです。毎朝研究所に行って、専門家の皆さんの補助的なことをしているというか。雑用ばかりやらされているから、何も覚えていないんですよ、多分」

 「もういいわ」メサは切り捨てるような口調で言った「ではその、あなたの記憶について。あなたも気づいている通り、明らかに正常じゃないわ。使い古された工具のように錆びついて、しかも穴だらけ。何か外的干渉があったとしか考えられない」

 「外的干渉……?」

 「そうね、例えば……」メサはメモ帳に何やら絵を描き始めた「こういう薬を飲まされたとか」

 手帳に描かれた絵は、目玉の形をした、MC剤の絵だった。コンはそれを見て首を傾げた。

 「嘘でしょ? 」

 メサは声を荒げて言った。

 「どうしたんですか?僕はこんな薬、飲んでいませんよ」

 「いいえ。あなたの口は今、この絵を見て唾液を分泌しようと動いていた。あなたが常習的にこの薬を飲んでいる証拠だわ」

 動揺するコンに、メサは哀れみの目を向けた。

 「あの噂は本当だったのね。MC剤の服用を従業員に強制させる会社なんて、あっていいはずがないのに」

 「あの、一体それはどういう薬なんですか? 」

 「覚えていないのも無理はないわ」メサはこたえた「Memory Cleanser通称MC剤、服用した人の脳に作用して記憶を消す薬よ。薬の強さによってどれくらい前までの記憶を消せるかが変わる。最も強いものは一つの錠剤で一年の記憶を消せる、劇薬よ」

 一体いつそんな薬を飲まされたのか、とコンは考えてみたが、見当もつかなかった。

 「でも、これであなたの睡眠中の異常な脳波パターンも説明がつく」

 メサは呟くように言った。コンは昨日右手首にできたアザをさすっていた。

 「もう一つ、これよ」メサはポケットから手帳を取り出して言った「九月三日、爆発、黒い球、裸足。九月二日、爆発、黄色の煙、月。一体これは何? 」

 「それは、僕の夢日記です。」

 コンはこたえた。

 「夢日記……ね」

 メサは全てを悟ったような口調でそう呟いた。

 「あの、メサさん。僕の身に何が起こっているんですか? 」

 「何が起こっているか? 」メサは無知な子供を叱りつけるような口調で言った「私の仮説が正しければ、第九ディヴィジョンは軍の請負で兵器開発をしているということになる。そして、なにか莫大な演算を要する兵器を開発するにあたって、人間の脳を利用し始めた、といったところかしら。量子コンピューターを数台そろえるより、人間の脳を並列接続して演算を行った方が、遥かに費用対効果に優れているからね。きっとあなたのところの研究所には、あなたみたいに脳を持て余した人間がもう何十人かいて、そしてあなたたちは彼らにとってCPUでしかないってことよ」

 薄い月明かりの中で、コンはメサの言った数々の非凡な事柄を理解できずにいた。というより、理解することを拒んでいた。彼は家族のため、自分の過去のために、ただ精一杯の生き方をしていただけだったのだ。

 「僕は今の仕事を辞める気はありません」

 しばらく考えてから、コンはそう言った。

 「はあ? 」メサは目をひん剥いて言った「あのね、私の仮説が正しければ、あなたは兵器開発に加担していることになるのよ」

 コンは何も言い返さなかった。

 「そして、あなたの夢が研究内容とリンクしていると考えるのであれば」メサが続けた「“爆発”、つまり……第九ディヴィジョンは大量破壊兵器を開発していると考えられる……」

 信じられない、といったふうに、メサは首を横に振った。

 「考えてみて。ある日、開発中の爆弾が完成して、それがどこかの都市に投下される。何千何万という規模の人が殺され、遺された人はあなたたちを心の底から恨むのよ。あなたはそれに耐えられるの? 」



 五日間の休暇を終え、コンは再び寮の自室にいた。昨晩もまた奇妙な夢を見た気がするが、無理に思い出すことはしなかった。

 メサの正体を知ってからというもの、コンは休暇を満足に楽しめなかった。メサの話を全て信用していたわけではないが、兄にメサの正体を告げるべきかどうか、それが彼を悩ませた。

 悩んだ末、コンは休暇の最終日に、兄にメサの正体を話した。嘘つけ、といったふうに兄は笑ったが、その目は今まで見たことがないほどに動揺していたのだった。兄は真実を確かめようとしていたが、その時にはもうメサの姿は無かった。


 そしてコンはメサと一つの約束をしていた。それは、休暇明けの勤務日にメサの調査に協力することだった。この日だけ協力すれば、あとはメサの言ったこと、ひいてはメサの存在自体を忘れてもいい、という約束だった。

 コンに課せられた任務は二つ。まず一つは小型GPS追跡チップを施設内に持ち込むこと。そしてもう一つは、勤務後のMC剤を服用せずに寮に戻り、覚えていることを全てメサに話すことだ。

 大変なことに巻き込まれてしまった、そう思いながら、コンはいつもの通りテラリウムを覗いた。

 休暇前にやったクラッカーが切れてしまったためか、表層に何匹かの蟻が死んでいるのが見えた。自分がその気になれば、この中に棲む蟻たちを全て殺してしまうことだってできるんだ、コンはそんな風に思った。


 バスに揺られている間、コンは何度も、作業着の袖に忍ばせたチップに触れた。バレたらどうなるのだろう、そんなことを考えては、心臓が早鐘を打つのを感じた。施設までの十分間が、いつになく長く感じられた。

 施設につくと、通り過ぎる研究員ひとりひとりがコンを監視しているかのように感じられ、コンは体をこわばらせた。今頃メサは施設の場所を特定できたのだろうか、と思いながら、いつも通りの持ち場へ向かった。

 コンは平静を装うように努めていたが、もし施設内の誰か一人でも、コンの表情や動きを観察していたのなら、すぐにその不自然さに気づいただろう。しかし誰もコンのことなど気に留めていなかった。そしてコンはポッドの前に着いた。

 ポッドの前に着くと、手元の書類を眺めていたシバが顔を上げ、コンに挨拶をした。

 「休暇はどうでしたか、コンさん。今日も、よろしくお願いしますね」

 「はい、おはようございます」

 コンはシバと目を合わせないようにして、挨拶を返した。

 「どうしましたか、コンさん? ポッドの使い方は、今日も私から説明しますので、緊張しないでください」

 シバは笑みを浮かべると、コンをポッドへ誘導した。コンは言われるがままポッド内に寝そべり、シバはコンの頭にいくつかの吸盤を取り付けた。

 シバがポットから出ると、ポッドの蓋が締まり、そしてポッド内は液体で満たされていった。作業着が水に浸され、肌に吸い付くのを感じながら、コンは目を閉じた。


 次の瞬間には、コンはポッドから出ていた。頭がはっきりとしないまま、タオルを手渡され、濡れた体をふくと、体がピリピリと痺れるのを感じた。

 「コンさん、こちらが本日のMC剤です。直ちに経口摂取してください」

 朦朧とする意識の中、コンは手渡されたものを確認した。それは、目玉のような見た目をした、錠剤だった。

 コンはその錠剤と目を合わせて、ハッとした。まさか本当に、自分はこれを飲んでいたのか、と。

 「さあ、飲んで」

 突如として、コンの脈拍は破裂しそうなほどに加速した。こちらを向いて催促するシバが、悪魔のように恐ろしく思えた。

 コンは、錠剤を口にいれた。すると、シバはそれを確認して、書類の方へ目線を落とした。その隙にコンは錠剤を吐き出し、それを袖に隠した。


 「飲みましたか? 」

 しばらくして、シバが問いかけてきた。コンは何も言わなかった。

 「私です、シバですよ。思い出せますか? 」

 「はい、シバさん」

 コンはこたえた。

 「よかった。今日の業務は終了です、お疲れ様」


 バスが寮に到着すると、コンは駆け足で自室へ向かい、そして枕元に隠していた通信機を取り出した。電源を入れるとすぐにメサが応答した。

 「通信機を手に取ったということは、記憶があるようね」

 「はい、メサさん」

 コンは高揚した声でいった。

 「では、覚えていることを何でもいいから話してみて」

 「はい。自分の記憶ではないので、上手く話せるか分かりませんが……」

 「大丈夫。まず、爆弾を開発しているという仮説は正解? 」

 メサがきいた。

 「彼らが開発しているのは、コードネーム・スフェラ。対象地点に局地的ダメージを与える範囲攻撃兵器、です」

 コンは、自分がスラスラと質問に答えられているのが不思議だった。

 「なるほど。開発段階についてはわかる? 」

 「開発は最終段階、直近三百回の演算結果は九十八%予測通り、です」

 「もう最終段階なのね……他に何か特徴は覚えてる? 」

 「スフェラの特徴は、航空機や発射台に依存せず遠隔攻撃ができる点、です」


 「航空機や発射台に依存しない……? 」

 メサがそう呟いたときだった。白い光が部屋を一瞬だけ照らし、そしてコンは彼方から響く低い地鳴りを聞いた。


 「メサさん、今の聞こえました……?」

 通信機からはもう、ノイズしか流れない。

 窓際へ行くと、遠くの地表に大きな黄色い球体が出来上がっているのが見えた。それは霧に投影された映像のように揺らめき、そして中心には黒い球が透けて見えた。

それは、目玉のようだった。

 コンは数秒の間、その大きな目玉をじっと見つめると、やがて袖からMC剤を取り出し、一瞥して、それを飲んだ。



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