夏が燻る
押田桧凪
前
今まで何度、自分の不運を呪ったことだろうか。
おみくじを引いて、凶が出るのはご愛嬌。たまたま、なんて程度ではなく、パティシエがケーキに砂砂糖をまぶすように、確実に、丁寧に、災難は降りかかる。雨男、雨女といった類の上位互換であることは言うまでもないだろう。
俺は、そんな体質なのだ。いや、正確にはなってしまった、と言った方が正しいかもしれない。俺の前に、運は無力だ。
✤ ✤ ✤
きっかけは小学校5年生の時。同じクラスに、霊感の強い女子がいた。切れ長の目、前髪は視界にかかるほど伸びて、笑った時に時折のぞかせる八重歯。
俺には彼女が薄気味悪く思えたが、彼女はクラスの人気者だった。
あの頃、教室の後ろの本棚に並んだ児童文庫シリーズ『怪談実況始めました』『旧校舎のナナ不思議』を貪るようにして皆、読んでいた。
不謹慎ながら、他人のゴシップやら芸能人の不祥事やら、後ろめたい事象に興味を持ってしまう卑しい好奇心。それに似た、怖いもの見たさ──本能的に感じ取った強迫観念に突き動かされるように本に夢中だった。
当然の流れとして、霊感があるという彼女に人は集まる。
ある日の休み時間。教室に残っていたクラスメートを招集して、彼女は『ハジャルマ』やろうよ、と声を上げた。気が進まない中、半ば強引に俺も参加させられた。
ハジャルマという謎の遊びは、彼女が説明するにはまず一人、生贄を決め、ここ最近の突発的な大雨を封じる為に捧げる儀式だと言う。
確かにその頃、局地的豪雨による被害が盛んにニュースで報道されていたが、小学生のお祓いごときで何とかなる筈がないと、俺は心の中で霊感少女のことを嘲笑っていた。
そして、その日が運の尽きだった。
西洋魔術において、ニワトリが生贄として使われるのだと彼女は言った。あとは簡単。小学生特有の、支離滅裂なこじつけ論法と周りからの同調圧力によって、ちょうどその月のニワトリ小屋の掃除当番だった俺は “生贄” としてお祓いを受けることになった。
アニメでよく見る場面は、実は間違っていると彼女が憤るような口調で言う。正式なやり方は、魔法陣は術者の立つ位置に描くらしく、床に描いて、あとから消せるようにとチョークが使われた。
彼女の向かいに立たされた俺は、スパイスのような数種の粉末が入った薬鉢を渡された。薄汚れた本を捲りながら、詠唱を始める姿を皆が黙ってじっと見つめる中、空は段々と灰色にくすんでいく。
──逆効果じゃね?
それから雨が降り始め、窓を叩きつけるようになると。クラスメート達に植え付けられた、オカルトへの傾倒から生まれた疑心は確信へと変わった。がやがや、わあわあ言いながら、クラス中が騒ぎ始める。
「ちょっと、しずかに! みんなしずかにして!」
慌てる彼女の声は虚しく、届かず。その後、放たれた大きな一つの雷によって、事態はようやく収束した。
──ゴロッ、ゴロッ。ド、ド。
目の前に火花が散ったような激しい光が一瞬広がり、そして戸惑うような沈黙が訪れる。彼女は俺に言った。
「大丈夫よ、これで。とまきくんは、容れ物としての役割を果たしたから。空も、きっと回復する。期限は……そうね。一週間くらいかしら」
その彼女の言葉は、嘘だった。
俺はその日から呪われた体となった 。
✤ ✤ ✤
俺の今の収入源は、夜間バイトと保険金。
保険金といっても、断じて詐欺ではない。隣の部屋の不審火、救急車に轢かれそうになる、土木工事のバイト中に空からレンガが降ってくる等々。様々な国の保険制度が、不運な俺の生活費の一助を担っている。そう。保険金は常日頃、出来すぎたほどに不幸に見舞われる俺の生きる糧である。深夜にバイトをしているのも、人との接触によるトラブルを可能な限り避けるためであり、交通事故に遭わないよう基本的に移動手段は歩きだった。
✤ ✤ ✤
ある夜勤帰りの日。早朝から開いている店を見かけた。どうやら途中で曲がる道を間違えてしまったようで、礼拝堂のような外観をした建物が突き当たりの奥に現れた。
『魔導館 ナペルナ』
その名前からして、不釣り合いな自動ドアが目立つ。最近、オープンしたばかりのようで、開店記念の胡蝶蘭が入り口のそばに置かれていた。
気分として、魔が差したと言うのかわからないが、そこに俺の追い求める何かがある気がした。気分転換のつもりで、立ち寄ってみようと歩を進め、ピピと微かな電子音に続いて、扉が開く。
雑貨店だろうか。冷房の効きがよろしく、攪拌されたのか、ほんのりとペパーミントの香りが漂っている。不気味な静けさ。
そして、店員の姿は見えない。
木彫りのコンソールテーブル、 カラスの置物、飾り棚。背の高いアンティークな家具が所狭しと並ぶなか、店内の片隅にショーケースが整列しているエリアが見えた。
散りばめられた宝石たち。光の加減でそれぞれが幾重もの色を放ち、その中で俺の目を引いたのは──蒼い石の付いたブレスレットだった。
なんて名前だろうか。
ケースの中の小さな真鍮のプレートに書かれた文字を読もうと屈んだその時。それまで空間を占めていた静寂が
「お目が高いですね」
──ひゃっ。
絹のようになめらかで、おっとりとした声。足音がしなかったため、背後から突然声をかけられて、ぞっとした。あっすいません。
──この店は怪しい。直感でそう思った。涼もうと思って入ったつもりだったが、早急に出なければ。
リスクマネジメント。不運体質であるからこそ、どんな些細なことにも注意を払うことで磨かれた、俺の危機回避本能がそう言っている。
「すいません、用事思い出したんで」
入り口の扉に足を向けようとすると、大袈裟に胸の前で手を叩いて合わせ、あっそうだぁと、変に間延びした声を上げた。技巧がかった
「この際、占ってみます? なんか最近のお悩みとか……どうです?」
溌剌した声で、親しみのこもった目を向けてくる。だから、帰りたいんですよ、とうんざりした表情をつくってみせると、彼女は言った。
「運が、悪いんですよね?」
え、と俺は表情を止めた。わっ図星だ。ふふっと吐息で笑いながら、店員さんはいたずらっぽい表情を浮かべる。何気なく言われたその言葉が胸にとくん、と迫る。
彼女が俺の手のひらに触れた。
「ここ、見てください。まあ別に、手相のほうはあんまり専門じゃないんですけど。手首の近くにある、下らへんのホクロは、何かに取り憑かれていることを示しているんです。もしかしたらなぁと思って」
俺はストンと地上に落とされた気分だった。興奮して、口走る。
「当たってます。俺、実際そうなんで」
そう言うと彼女は顔を少し曇らせて、細く整った眉をぎゅっと寄せた。
「ごめんなさい。なんか、勝手に試しちゃって。良かったら、これ着けませんか?」
カチ、カチ、と鍵を挿し込んで、ケースから俺が先程まで覗いていたブレスレットを取り出した。透き通るような蒼。見てるだけで、心安らぐような淡さ。その神秘的な光。綺麗だった。
その時、チラリと値札が見える。三万円。
俺は頭の中で復唱する。三万円。
「ところで、運って信じてますか?」
……えっ? 購入を強引に勧められるのかと思って、身構えていたので正直、かなり腑抜けた声が出てしまった。
「いや、信じてなくてもいいんですけど。それって人それぞれだし。でも、私は信じてます。これはチャーム──わかりやすく言うと、魔力が込められているブレスレットなんです。人の運を左右するほどの、魔力が。青い石は、ラピスラズリって言う名前です」
淀みない説明。研ぎ澄まされたように、冷たく乾いた声だった。
え。ちょっと待って? 今、魔力とかいう単語聞こえたけど。話の流れに逆行するように、内心慌てて取り乱してしまった俺は、彼女に尋ねた。
「運以前に、魔力を信じるかどうかの話はどうなってるんですか?」
「ああ、えっとね」
まあまあ落ち着いて、と言いたげな様子だ。ぱっと一瞬ほころんだように表情を崩し、それから顔つきを改めて、凛とした声で言った。
「ここで扱う話に、『魔力』はそこまで関係ないんです。まぁ少しは、ありますけど。でも、大事なことは一つ。『運』の存在を信じるかどうか、ということです」
彼女は続ける。
「運は、人によってある程度固定された数値──いわば確率によって定められていると考えられています。つまり、どのくらいの確率で幸せを掴み取れるか、ということですね。サイコロなんかと同じです。サイコロを振れば振るほど、それぞれの目が出る確率は六分の一に収束するように。『人生は運ゲーだ』という言葉は、その意味では的を射ているともいえます。ゲームでいうところの、ガチャの排出確率と同様に捉えることもできるというわけですね」
それから、と彼女は不意にゆっくりと息を継ぎ、力を込めながら呟いた。
「単刀直入に言います。このブレスレットは、持っている運を三分の一にします」
沈黙が下りる。ややあって俺は一言、なるほど、と呟いた。え、と息を呑む間が空いた。俺の順応の良さに、逆に店員さんが慌てているようだ。普通なら、え? とか、は? とかいうような茶番が必要な段階。確かに、戸惑ってしまうのも無理はないだろう。
「あっ、えっと。聞いていましたか? だから」
「はい、大丈夫です 」
残念ながら、現に俺は、オカルト的呪いに縛られた存在であり、信じたくはないが事実として信じるわけにはいかないぐらい、不運な人生を送ってきたのだ。超常的なことに関して、動揺しないのは当然ともいえる。
「そして、あなたは──。えっとお名前は」
「
「じゃあ、戸蒔さん。戸蒔さんの先程の手相、私の知る限りでは、かなりの凶相で、不運が絶えないことだとお察ししたのですが。もしかして」
「そうですね。まさに、その通りです」
こくり、と顎を引いてみせる。
「この場合、戸蒔さんの、運のパラメーターは振り切れてしまっていて、不運率1 といえます。つまり、確定ってことです」
「まぁ、でしょうね」
自嘲じみた声を漏らし、不覚にも笑ってしまった。普通なら嘆くところだろうが、自らの不運の辻褄合わせとして、合理的な見解を得られたことに対する安心の方が大きかった。
「じゃあもう言わなくてもわかりますよね?」
あざとい笑みをその顔に浮かべ、買え、と言わんばかりの無言の圧力を感じ取る。このブレスレットで、俺の不運を三分の一にできる。しかし、その保証は無い。信じるか信じないかが、買う・買わないを左右する究極の二択だった。不幸を避けるためには、買うしかないが。しかし、心の中のどこかで引っかかっている部分があった。
「そんなの、子供騙しに決まってる」
「子供騙し、ですか。ええ、信じるのは自由です。しかし、魔力を侮ることは危険です。魔力が込められている、という言い伝えがあるわけですから。ジンクスとして」
ジンクス……。俺自身、ジンクスではないが、それに近いものに翻弄されたことがある。
小学校六年生の、ある日の帰り道。友達三人で『白い線を踏んだらいけない』という、よくある遊びをしていた。名前通りのルール。軽いゲームのつもりで、遊んでいたもんだから、交差点の突き当たりから暴走トラックが突然、俺の目の前──白い線を掠めた時、死ぬかと思った。あの時死ななかったことは、俺の人生の中で最大の幸運であり、あのルールに従っていなかったら、走馬灯を見る猶予さえ与えられないまま、即死だっただろう。勿論、これも小五を境に発現した、不運体質に起因する出来事の一つだと考えられる。
この経験を踏まえて熟考を重ねた結果、俺はブレスレットを購入することを決意した。決して店員の口車に乗せられて買おうとした訳でもないし、高い壺を買わされるような悪徳商法に騙されている訳でもない。もう同じ轍を踏まないのだという、強い意志が俺を動かしたのだ。
「運ってのはくじ引きのようなもの。当たりとハズレの数がはじめから決まってるんだよね。だからさ。過去の結果が、未来をつくる。人生もそう。今、買わなかったら損しますよ?」
店員さんの最後の一言が、俺の背中を押した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます